・組織従属主義の打破。
日本の教育を悪くした一つの原因は、一つの組織へ入る事を極めて重視する文化、つまり入口文化である。入学式が大事にされ、落第なしに卒業できる学校、入学試験に合格してしまえば卒業できる大学、就職試験を突破出来れば定年までいられる企業。その典型が入学試験である。
こうした入口文化が顕著になったのは、昭和四〇年頃からである。
一つの組織に入って、そこで人生を終える。
従って、組織の運命と自分の運命を一緒にしてしまう。
組織と個人の運命が背反する時は、他を犠牲にして組織の命運に賭ける。
日本の教育を変えるには、こういう組織従属主義を打破しないとならない。
・一幕二場の人生シナリオ
今の日本が豊かといわれながら、閉塞感が漲っているのは、今の子供達、あるいはその若い親達の考えている人生のシナリオが一幕二場の貧寒なものだからである。
生まれてから二二歳
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コメント
孫崎さんに少し異論があります。
学校教育は大切です。
根性のある子ほどよく勉強して良い大学を
目指すべきです。
生きる上で大きな武器になりますから。
よく勉強して東大に入った人はもちろん
ガチガチの体制派にもなりますが、宮本顕治の
ようにもなるのです。
孫崎さんのようにもね。
キューバ革命を指揮し成功させたのは虐げられた
庶民ではありません。
カストロもゲバラも超エリートでした。
体制の中で十分立身が望めるほどの。
彼らの正義感が別の道を歩ませました。
中国革命の主役たちも同じです。
私は子供達には勉強をしてほしい。
たとえ、動機が良い大学に入るためだけで
あったとしても。
勉強しエリート大学に入ったからこそ、見えてくる
ものがあります。
そして少数でも人生の行き方を変える人が出てきます。
もちろん、そんな人は少数です。
それは否定しませんが。
学校と言う組織を嫌い始めた根性のある子は、ではどうしますか。
勉強しないのですか。
それではダメです。
爪はとがねばなりません。
もう少しゆとりをもって学校生活を過ごしたかったです。成績が良い悪い=人格の良し悪しではありませんが成績が悪い子は私生活も荒んでいるかのように見られ先生から見向きもされなかったように思います。学校とはもっと個人の多様性を重視すべきだと思います。もうこの経済至上主義の時代は崩壊へ向かっていますから、いずれそのようになると思います。
近年、学校教育のなかでの画一化が息苦しいほどになっているのは否定できない。多様性など望みようもなく、教員が専制君主化。中学で顕著。
原因は「人間教育」の空洞化。「人間」という概念が空洞化しているので、教育できない。
日本の教育は、教師にとって無難な方向に奔り、生徒にとっては単なる苦痛の種でしかない暗記教育。
論理的な構築力をやしなうような意見発表や小論文の時間は皆無で、やろうとしても教員の側にそれを教える能力がない。
最近、アクティブ・ラーニングなどということを言いだしているが、生徒の意見を押さえつけるしか能の無い教員に双方向的な関係性のなかで指導するスキルも意欲もない。
テレビとやらを見ればわかる。東大だ、京大だという連中がQ様とやらに出て競っているのは、単なる暗記能力にすぎないことが。これじゃあ、創造力を鍛えている他国をしのげるわけはない。
よって、日本の学校で知的な爪を研ぐことはほぼ不可能である――一部の超エリート私学を除いて。
(ID:18367902)
物事の本質は、良いとか悪いとか、好きとか嫌いとか、分別を超えたところにあり、宗教的因果の論理に支配されているとみるべきものでしょう。
個人と集団も同じことであり、個人と集団を別物という考えは正しくなく、さりとて、個人と集団が同じものということもできない。この個人と集団をどのように見ていくかによって変わってくる。個人と集団では自ずから集団の力が勝り、個人は集団に従属、包含されるようになっていく。これは、島国日本のように、集団が個人として活動するよりも益が多い場合であり、陸続きの西欧諸国の場合は、集団として活動しても、集団が守れる範囲に限界があり、個人の普段の防衛本能に頼らざるを得ない環境の差が大きいのです。日本は集団となってまとまる傾向が強く働くので、物事を達成するためには、大きな力を発揮し、高度成長を成し遂げた実績を残してもいる。この集団力の欠点は、目標が定まれば大きな力を発揮するが、目標がないと右往左往して漂流状態になる。
一番悪いことは、過去の栄光を引きずることであり、現在も何の根拠もなくして、高度成長に期待し、経済政策を遂行しており、無駄な税金の使い方をしても、政府、日銀に怒りが向かっていかない不条理がまかり通っているといえます。成長にしか、目が向けられないが、江戸時代のように現状の維持継続とという見方が広がる必要性がないか。