物事の本質は、良いとか悪いとか、好きとか嫌いとか、分別を超えたところにあり、宗教的因果の論理に支配されているとみるべきものでしょう。 個人と集団も同じことであり、個人と集団を別物という考えは正しくなく、さりとて、個人と集団が同じものということもできない。この個人と集団をどのように見ていくかによって変わってくる。個人と集団では自ずから集団の力が勝り、個人は集団に従属、包含されるようになっていく。これは、島国日本のように、集団が個人として活動するよりも益が多い場合であり、陸続きの西欧諸国の場合は、集団として活動しても、集団が守れる範囲に限界があり、個人の普段の防衛本能に頼らざるを得ない環境の差が大きいのです。日本は集団となってまとまる傾向が強く働くので、物事を達成するためには、大きな力を発揮し、高度成長を成し遂げた実績を残してもいる。この集団力の欠点は、目標が定まれば大きな力を発揮するが、目標がないと右往左往して漂流状態になる。 一番悪いことは、過去の栄光を引きずることであり、現在も何の根拠もなくして、高度成長に期待し、経済政策を遂行しており、無駄な税金の使い方をしても、政府、日銀に怒りが向かっていかない不条理がまかり通っているといえます。成長にしか、目が向けられないが、江戸時代のように現状の維持継続とという見方が広がる必要性がないか。
チャンネルに入会
フォロー
孫崎享チャンネル
(ID:18367902)
物事の本質は、良いとか悪いとか、好きとか嫌いとか、分別を超えたところにあり、宗教的因果の論理に支配されているとみるべきものでしょう。
個人と集団も同じことであり、個人と集団を別物という考えは正しくなく、さりとて、個人と集団が同じものということもできない。この個人と集団をどのように見ていくかによって変わってくる。個人と集団では自ずから集団の力が勝り、個人は集団に従属、包含されるようになっていく。これは、島国日本のように、集団が個人として活動するよりも益が多い場合であり、陸続きの西欧諸国の場合は、集団として活動しても、集団が守れる範囲に限界があり、個人の普段の防衛本能に頼らざるを得ない環境の差が大きいのです。日本は集団となってまとまる傾向が強く働くので、物事を達成するためには、大きな力を発揮し、高度成長を成し遂げた実績を残してもいる。この集団力の欠点は、目標が定まれば大きな力を発揮するが、目標がないと右往左往して漂流状態になる。
一番悪いことは、過去の栄光を引きずることであり、現在も何の根拠もなくして、高度成長に期待し、経済政策を遂行しており、無駄な税金の使い方をしても、政府、日銀に怒りが向かっていかない不条理がまかり通っているといえます。成長にしか、目が向けられないが、江戸時代のように現状の維持継続とという見方が広がる必要性がないか。