小説『神神化身』第三十四話

心機一転(Re;START)


「俺の本願やっぱり三百六十五日お正月ムードになることにしよっかな。ここでのポイントは、あくまでお正月ムードであって本物のお正月ではないこと。実際の新年はお客さんが多くてしんどいから。あー正月も休めた気しなかった。もう駄目、くじょたん閉店です」
 久しぶりの舞奏(まいかなず)の稽古をこなした後、比鷺(ひさぎ)はぐったりとしたままそう言った。これほどまでに弱っている比鷺は久しぶりに見たので、三言(みこと)は一気に心配になってしまう。海に浸かるときは準備運動をしなければいけないのだから、比鷺の心にも同じように準備運動をさせるべきだったのかもしれない。
「僕や三言はともかくとして、お前は休みとか関係無いだろ」
 遠流(とおる)が相変わらずクールに言い放つ。確かに、正月休みが終わって一番影響があるのは遠流だろう。リストランテ浪磯(ろういそ)もお店を開き始めたけれど、元々三言は決まったシフトでしか店に出ないので、急に忙しくなったという感覚は無い。
「ありますー。何にも誰にも罪悪感を覚えずにダラダラ出来る理由がある喜びを知らないわけ? はあん、全く罪悪感を覚えなくていい永遠の冬休みがほしい」
 エゴサに精を出しながら、比鷺がもよもよとそう口にする。多種多様なテクニックを使って上手にエゴサをしている時は比鷺も幸せそうなので何よりだ。遠流の目の温度が氷点下まで下がっていることも、風物詩的で微笑ましさすら覚える。
 新年ムードもすっかり消えてきて、日常が戻ってきた。
 受け取った御秘印(ごひいん)を相模國(さがみのくに)の舞奏社(まいかなずやしろ)に奉納し終えると、まるで果ての月が遠い過去のことのようだ。
 変わったことといえば、化身だけだ。
 三言の手の化身は、形を少しだけ変えたまま残っている。三言のものだけじゃない。確認してみたら、遠流の化身も比鷺の化身も形が微妙に変化していた。一筆が書き加えられたような形になっている。遠流の菊の花の化身にも花弁が一枚増えていたし、流線型の雷の形をした比鷺の化身にも光の軌跡が一本増えていた。
 カミに認められた舞奏の才の証にこういった変化が現れたということは、カミは自分達のことを認めてくれたということだろう。そう思うと、三言は素直に嬉しくなった。
「そういえば、闇夜衆(くらやみしゅう)の人達にちゃんとお返事しないとね。寒中見舞いにしようと思うんだけど」
 その時、思い出したように比鷺が言った。なんだかんだで礼節を重んじる家に生まれたからか、比鷺はこういうやり取りを、他の人よりもずっと大切にする傾向がある。
「ああ、そういえば俺宛のもリストランテ浪磯に届いてた。昏見(くらみ)さんは本当にマメなんだな。感動したよ」
 昏見さんとわざわざ名指ししたが、実際は闇夜衆全員のメッセージが入っていた。多忙と聞いている萬燈夜帳(まんどうよばり)ですら目を見張るような達筆で激励の言葉をかけてくれたのだから、ありがたいことこの上ない。皋(さつき)の文字は生真面目に角張っていて、人柄をよく表しているような気がしなくもない。
「マメな割にきっちり一月二日に届いたのが何というかそれっぽいというか……。わざと狙ってやってない? 昏見さん。遠流のところにも届いたのかな?」
「来てるとしたら僕のは事務所に届いている……んじゃないかな。分からない。事務所に来た分はまだ受け取ってないんだ。……数が数だから」
 遠流が困ったように笑う。全国の八谷戸(やつやど)遠流ファンが祈りを込めて送ってくる年賀状の数を想像すると、途方も無さを感じた。もしかしたら千枚──いや、それ以上届くのかもしれない。
「遠流ってそういうの全部目通してるわけ? ただでさえ忙しいのに」
「ちゃんと読んでるよ。……時間を見つけて、になってるけど。関心を向けて貰えてるんだから、ちゃんと気持ちだけでも受け止めないといけないだろ」
 遠流が真面目な顔で言う。すると、比鷺が訳知り顔で頷いた。
「その点、アイドルとカミって似てるのかもしんないね」
「お前はまた適当なことを……」
「いや、比鷺の言葉は的を射ているのかもしれない。舞奏競を経て、そう思うようになってきたよ。関心と歓心を受け取って、人に恵みを与える存在なんだから」
 三言が言うと、遠流はどこか含みのある表情で頷いた。遠流はアイドルを続けているうちにその真理に辿り着いたのかもしれない。
「そういえば、鵺雲(やくも)さんからも年賀状が来てたぞ。住所が書かれていなかったから寒中見舞いを送れないんだが」
「げー! あいつ三言のとこにも送ってんのかよ! さっさと焼いちゃいな! あ、でもあいつの年賀状を焼いた灰を撒いた場所は今後千年草の生えない不毛の土地になるから気をつけてね」
 噛みつかんばかりの勢いで比鷺が言う。九条(くじょう)鵺雲は比鷺のたった一人の兄だが、比鷺はどうにも鵺雲のことが苦手らしい。浪磯を出て行ってしまった兄から便りが来るのは嬉しいだろうにな、と三言は友人ながら心配になる。
「俺のところにもやたら気持ち悪い年賀状届いてたわ……。あいつのメールは全部受信拒否してるけど、アナログだと届いちゃうんだなあ……」
「鵺雲から他に連絡は無いのか? あの男が今どこにいるのかを知る手立ては?」
 何故か遠流の方が過敏に反応する。そんな印象は特に無かったが、遠流も鵺雲のことを慕っていたのかもしれない。
「そ、そりゃ……メールに返信したら答えてくれるかもしれないけど……いや、ない。ないわ。あいつが答えるはずがない。あいつ、聞かれたら何でも答えますよ、みたいな顔しておいて、実際に答えるのは、あいつが答えたがってることなんだよ。だから絶対に期待しちゃ駄目だ」
 比鷺が苦々しく呟く。鵺雲がいなくなってから随分経つ。あれきり会っていないとなると、様子が分からなくて心配だろう。それに、鵺雲は浪磯でも有名な覡だったのだ。もし浪磯に残っていてくれたら、櫛魂衆(くししゅう)に的確なアドバイスをしてくれたかもしれない。いや、才能のある彼が残っていてくれたら、そもそも彼が櫛魂衆を組んでいたかもしれない。それは少し寂しいことだ……と思いかけて、留まる。最近の三言は前よりもずっと貪欲になっている。
「鵺雲さんも櫛魂衆の舞奏を褒めてくれてたし、頑張らないとな」
「えー……これ以上頑張ってどうすんの……一段落したんだし休んでもよくない?」
「そうはいかないよ。これからまた合同舞奏披(まいかなずひらき)が開かれるんだし」
「えっ!? 覡ってそんなに働かされるの? やだやだやだ、戦うプレッシャーもあるけど、単に舞奏をやるのも面倒臭い……」
 比鷺がとうとうべったりと床に倒れ込んむ。すると遠流が慣れた様子で比鷺のスマートフォンを奪い去り、荷物入れに放り込んでしまった。
「あ! ひどーい!」
「エゴサタイムは終わりだ。お前はスマホから引き剥がさないと無限に同じことをし続けるからな。こうして物理的に引き離すのが一番いいんだ」
 比鷺の扱いに慣れたのか、遠流は取り扱い説明書を読み上げるかのような口調で言った。結局、この対応が正しかったのだろう。おもちゃを奪われた比鷺がのろのろと立ち上がる。ここで荷物入れの方向に向かわせなければ、無事に稽古が再開出来るというわけだ。
「さあ、やるぞ。僕が忙しくなることが理解出来てるなら、ちゃんと協力しろ」
「うえー、遠流までやる気満々……三言もお前も舞奏大好きっ子じゃん……」
「ああ、そうだな。舞奏披も楽しみにしているし、舞奏をやる機会が貰えることが嬉しい」
 事もなげに遠流が言う。その言葉があまりに屈託の無いものだったからか、比鷺も虚を衝かれたような顔をしていた。
「……しょーがないな。あと一回だけ付き合ったげる」
「は? 何勝手に一回にしようとしてるんだよ。まだ全然時間あるだろ」
「ぐ、さりげなく稽古を圧縮しようという試みが」
 それでも、比鷺は嫌々ながら神楽鈴を手に取っている。それを寿(ことほ)ぐべく、三言も鈴を軽く鳴らした。
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著:斜線堂有紀

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。



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