小説『神神化身』第三十五話

「追想の凱旋(がいせん)会

「あ。あそこの和菓子屋さんのチョコ入りバームクーヘン美味いんだよな。こう……一つ一つ個包装になってて、一口サイズのやつ……」

 皋(さつき)がぽろっとそう漏らしたのは、武蔵國(むさしのくに)の舞奏社(まいかなずのやしろ)に挨拶をした帰り道だった。果ての月を経て、闇夜衆(くらやみしゅう)に対する警戒心が緩んでいたのだろう。今までなら絶対に口にしない地元譜中(ふちゅう)の紹介めいたことをしてしまった。案の定、隣にいた萬燈(まんどう)が好奇心に目を輝かせる。
「お前がそんなことを言うのは珍しいな。行ってみるか」
「や、そんな目ぇ輝かせるようなもんじゃないっていうか……俺が小さい頃好きだったなーくらいだから。あんたってほんと平等? だな……」
「へえ、和菓子屋さんですか。私もあそこ好きでした」
 そういう気分だったのか、知っているはずのない昏見(くらみ)も悪ノリしながら言ってくる。
「お前、譜中詳しくないだろ。門外漢(もんがいかん)の癖に」
「何を言うんですか! 私は典型的な譜中っ子ですよ。何しろ譜中には私の別荘が九千九百九十九軒ありますので! あのおっきなお屋敷も私のものです!」
「この間は九百九十九軒っつってただろ。桁を増やすな。桁を。あとさりげなく譜中で一番デカい家を所有しようとすんな」
「所縁(ゆかり)くんってば探偵を辞めた癖に疑い深いですね! 悪しき職業病ですよ!」
 遠くに見える大きな屋敷を指差しながら、昏見が子供のように頬を膨らませる。この間はテレビに映ったサグラダ・ファミリアを指差しながら同じことを言っていた。昏見の侵略は留まることを知らない。このまま放っておけば、世界遺産の殆どは昏見の所有物となるだろう。そうして昏見に呆れているうちに、萬燈はスタスタと和菓子屋に歩いて行ってしまった。あの作家は目を離すとすぐこれだ。慌てて後を追いかける。萬燈から離れるとまた騒ぎが引き起こされるかもしれない。
 思えば、この迅速な対応が一番よくなかった。もう少しここでまごまごしていれば、和菓子屋の前で「所縁……?」という声に呼び止められることもなかったのだ。
 嫌な予感と共に振り返る。そこには、自分とよく似た顔立ちの、小柄な女性が口元を押さえながら立っていた。都合の悪いことに髪型まで似ている。長い髪を一つに結んで後ろに垂らした姿は、まるで皋所縁のマイナーチェンジだ。
「所縁くんってば、私を置いて行っちゃうなんて酷いですよ! ……おや?」
 昏見が目敏(めざと)く女性に目を付ける。最悪なことに、和菓子屋に入って行ったはずの萬燈まで戻って来ている。もう駄目だ。逃げようもない。女性が口元から手を離し、にっこりと笑顔を浮かべた。
「わあ、偶然! 私、所縁の母の結(ゆい)といいます。素晴らしい舞奏(まいかなず)でしたよ、闇夜衆の皆さん!」


 しばらくぶりの実家は、まるで知らない家のように見えた。殆ど立ち寄ることのない場所だし、帰ってきても長居はしない場所だ。こうして闇夜衆の二人と一緒に卓を囲むようなところではない。何がどうなってこうなったのだろう。昏見は弾けるような笑顔だし、萬燈は興味深そうに微笑んでいる。そのまま、好奇心の魔物が楽しげに尋ねた。
「皋。お前、表札は『皐』だったな。あれは何でだ?」
「あー……いつも使ってる皋は屋号みたいなものだから」
「なるほどな。なんでまた?」
「なんでまたってそりゃ……………………あれ? 何だったかな。若気の至り……? だってさ、俺が名探偵やり始めたのって高校時代だぞ? ちょっとくらいイタいとこあって然るべしだろ」
 本当は何か別の理由があった気もするのだが、忘れてしまった。こんなことを忘れるか? と思ったものの、忙しく過ごしていた日々が長いお陰かきっかけが思い出せない。大方縁起が良かったとか漢字が格好良かったとかそういう理由だろう。
 実際に、漢字を変えてよかったこともあった。名探偵・皋所縁がどれだけ誹謗中傷とバッシングを受けても、実家には累が及ばずに済んだからだ。無関係だと言い張れば、あの不遜な名探偵への怒りの巻き添えになることはない。
「所縁くんってば、まさか高校を卒業した後のご自分はイタくないとでも!? どちらかといえば所縁くんはそこからが本番じゃないですか!」
「お前は俺の隙を絶対に見過ごさないな。言っとくけど怪盗ウェスペルのネーミングも相当なもんだと思うぞ、俺は」
「だから私達は似たもの同士のニコイチなんじゃないですか。私はここをばっちり誇っていきますよ!」
 昏見が全く誇れないことで胸を張る。そうこうしているうちに、紙袋とティーセットを持ってきた結が戻ってきた。
「急にお声がけしてしまってごめんなさい。皆さんお忙しいでしょうに……。紅茶もあるものしかなくて」
「いいえ! むしろ所縁くんのご実家にお邪魔出来て嬉しいです! 普段はあの殺風景なマンションにしか入れてくれませんから!」
「あの殺風景なマンションにも入れてねえんだよなあ~押しかけられてるだけなんだよなあ~」
「それで、お母様。所縁くんの可愛いエピソードとかありませんか? ここでしか聞けないやつ」
「ふざけんな」
「そうねえ、ううん、親からしてみたらやることなすこと可愛かったけど……。探偵になれますようにってお星様に祈ったりして」
「ちょっ……捏造するなよ! 俺が祈ってたのはそんなファンシーな存在じゃなくて……もっとこう……純粋な祈りだっつの!」
「純粋な祈りが通って名探偵になれた所縁くんってば、可愛いですねえ!」
 もう駄目だ。やっぱり最悪な化学反応が起こっている。何が悲しくて自分の実家に知り合いを招き、実母と面談させなければならないのか。この生き地獄からさっさと解放しろ、という目で母親を睨むと、結は思い出したように手を叩いてみせた。
「そ、その……本題なんですけど……私、図書館で読み聞かせボランティアをするくらい本が好きで……お時間は取らせないわ! これが済んだらすぐ解放しますから!」
「解放ってなんだ。軟禁かよ」
 皋の言葉を無視して、結が紙袋から何冊もの本を取り出す。表紙に書かれた『萬燈夜帳(よばり)』の名前を見て目眩がした。
 そう、これだ。これさえなければ……と皋は心底思う。
 立ち話で終われればよかった。きっと昏見と二人だったら、結の方も空気を読んで終わっていただろう。なんだかんだでちゃんと気の遣える母親なのだ。だが、運の悪いことに今日は萬燈まで同伴していた。自重しろよと目で合図していたのだが、生で萬燈夜帳に会えた興奮に抗えなかったのだろう。麗しの母君はいつにない押しの強さで自分達を実家に招待してしまった。
「これは……ありがとうございます、御母堂」
 並べられた本を見て、萬燈が丁寧にお礼を言う。
「と、とんでもない! あ、あの……ま、萬燈先生……? よかったらサイン頂けないかしら……? 全部とは言わないから! あ、全部読んでるのだけど、特にお気に入りのだけにします! あっ、私、あのドラマ観ていたの! 『月の諸問題』! それに『アンコール・アフェア』も……先生が書くものってどれも凄く面白くて……」
「光栄です。私のサインでよければいくらでも。あなたの人生と心を割いて頂いたことに感謝しなくては。ありがとうございます」
「そ、そんな、そんな、楽しませてもらったのに、あっ、握手とかもしてもらっていいですか……」
「勿論。お手をこちらに」
 萬燈が笑顔で手を差し出す。自分の読者に対して最大限のファンサービスを行うのがこのエンターテイナーだ。今日は一段と素晴らしくていらっしゃる。というか『皐結が一番喜びそうな萬燈夜帳』をやってくれている。こういう対応もしてくれるんだな……と思うと感動してしまいそうなくらいだった。引き出しが多い……。
 元々観囃子(みはやし)だった母親だし、ドラマもよく観ていたし、こうなるのは当然だと思う。根がミーハーなのだ。でも、肉親のそれを見せつけられるのはどうも恥ずかしい。いや、相手は萬燈夜帳だ。これでテンションが上がらない方がおかしい。どんな人間でも萬燈相手なら溶ける。そう割り切れたらどれだけいいか、
「きゃあ! 所縁どうしましょう! あなたこんな二人に囲まれて……ど、どうなっちゃうの? どうなっちゃってるの?」
「どうもなっちゃわないだろ」
 うんざりしたように言うが、結は欠片も堪えていないようだった。隣に座る昏見の視線が痛い。萬燈が黙々とサインをしているのを見ながら、日付を入れるな! 為書きをするな! 時間が掛かるだろ! と心の中で無粋なことを言ってしまう。あの様子だとまだ大分かかるだろう。
「でも、こうして闇夜衆の皆さんとお茶を頂けるのは嬉しいことね。観囃子として観に行ったけれど、あの舞奏は素晴らしかったから……」
「そりゃどーも……」
「お母様の言う通り、嬉しいことですね。これからも所縁くんの為に骨身を惜しまず頑張っちゃいます!」
「嬉しいわ。これからも昏見くんの舞奏を楽しみにしているわね」
 結が嬉しそうに笑った、その時だった。
「……あれ、あなた……昏見くん……ずっと小さい頃に、私と会ったことはない?」
 その言葉で、空気が変わった。結が記憶の糸を辿るように目を細める。
「急にごめんなさい! 私、昔から記憶力がよくて……あの、あなた……和菓子屋さんの近くにある大きなお家の子……じゃなかった? ……ええっと、確かそこに住んでいる方ともお話ししたことが……確か、あそこに住んでいたのは、あの有名な、」
「いいえ」
 昏見が遮るように口を挟む。
「いいえ、結さん。それは人違いです。私はアラスカの生まれですし、譜中とは何の関係もありません。所縁くんと同郷であれば、きっともっと早い段階から大親友になっていましたよ」
 昏見が残念そうに眉を寄せながら、わざとらしく言う。すると、結は「そうよね。こんなに綺麗な顔の子が譜中に住んでたら、知らないはずがないわよね……ごめんなさい」と、若干ピントのズレた謝罪をした。


 結局、萬燈は実家にある著書全てにサインをした。落款(らっかん)が無いことを謝っていたが、十分だろう。これ以上を望めば全国の萬燈夜帳ファンに悪い、と思うような待遇だ。
 実家にはなるべく立ち寄らないつもりでいたし、結だってそれを承知していた。だから、覡(げき)になってからも帰ったことは殆ど無い。これからもそうするつもりだったのに。推しの小説家の存在は、その不文律を全てぶち壊してしまうのだ。恐ろしい。だが、誰が責められようか。皋だって、母親にサイン本を手に入れて欲しくないわけじゃないのだ。ただ、もう二度と電撃お宅訪問はやめてほしい。本当にやめてほしい。
「私は『所縁をよろしく』なんておこがましいことは言いません。言えるはずがないんです。所縁は私なんかよりも色々なものを見て、選び取ってきたのですから。だから、ただお二人に惜しみない感謝と歓心を。私は一観囃子として、これからも応援しています」
 去り際、結はそう言って深々と礼をした。いつ見ても背筋が伸びていて、綺麗だと思う。昏見と萬燈も丁寧に礼をする。それを見ると、何だか妙に居心地が悪い。
「所縁。身体にだけは気をつけて」
「ああ。……気をつける」
 シンプルな言葉で頷くと、結が微かに微笑んだ。どことなくぎこちない笑顔も、自分によく似ていると思った。


「いやー、素敵なお母様ですね! 所縁くんに似ていてとてもお綺麗でした!」
「お前、なんであそこで嘘を吐いた?」
 多摩川沿いまでやってくると、皋は気になっていたことを口にした。サインを書いていた萬燈もちゃっかりとあの言葉を聞いていたのだろう。面白がってでもいるような顔で行く末を見つめている。
「あら、根拠も無く私のことを嘘吐き扱いですか? 寂しいです」
「あんなあからさまな反応されたら誰でも分かるって。てかアラスカ生まれってのは確実に嘘だろ」
 あの時の昏見は、素で動揺しているように見えた。
 つまり、実際に皐結と昏見有貴(ありたか)は以前に会ったことがあるのだ。
「お前、なんで譜中にいたの?」
「言ったじゃないですか。譜中にあるお家は所縁くんの実家とマンション以外、ぜーんぶ私の所有物件ですよ」
 冗談めかした言葉に怒りそうになったが、ふと思い出す。サグラダ・ファミリアと同じ調子で指差されたあの大きな屋敷は、本当に昏見のものだったのかもしれない。よくよく考えれば、皋は昏見のことを殆ど知らないのだ。
「まあ、いいじゃねえか。あったとしても愉快な巡り合わせだろ」
「……萬燈さんがそんなこと言うのも珍しいな。まさか、なんか知ってたりする?」
「そんな顔しないでくださいよ。大した話じゃありません。きっとすぐに分かります。何なら、調べたらすぐに分かるようなものですしね。ただ、ただの事実だって誰から言われるかで変わるでしょう? ね、名探偵」
 そう言う昏見の手には、いつの間にやら件のバームクーヘンが三つ握られていた。いつの間に入手したのか、あの和菓子屋が好きだったのは本当なのか。ぐるぐると疑問が巡る中、皋の手にも個包装されたお菓子が押しつけられる。お菓子に罪は無いので、乱暴にそれを剥いてやった。

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著:斜線堂有紀

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。



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