小説『神神化身』第三十三話
「Happy New Year for prayers」「大分撒けましたね。仕方ないので萬燈(まんどう)先生は布で隠しましょう。はーい、先生はしまっちゃいましょうね」
そう言うと、昏見(くらみ)は萬燈夜帳(よばり)の頭の上に灰色の布を被せた。いかにも収納の少なさそうな服のどこにそんな布を隠し持っていたのだろうか。というか、普段からそんなものを仕込んでいるのか。そう思うと、いつも通り突っ込みを入れてやりたくなる。
しかし、皋(さつき)は今の状況に付いていくのが精一杯だった。どうして新年早々こんな目に遭わなければならないのだろう?
大晦日を皋の家で過ごした後、闇夜衆(くらやみしゅう)の三人はそのまま初詣に出かけた。くつろいだやり取りのお陰ですっかり気が緩んでいたからか、それがどれだけ危険なことか思い至らなかったのだ。
三人でのんびりと出かけ、参道に出ている出店を冷やかしている時に、過ちに気がついた。道行く人々がざわざわと何かを話し、こちらを指差している。何だろうか、と振り向いた瞬間に、その理由が分かった。
「あれ、萬燈夜帳じゃない?」
誰かがそう言って、更に視線が集まる。闇夜衆だの、本物だの、萬燈先生だのの、かなり的確なワードが聞こえてきた。思わず青ざめてしまう。そうだった。萬燈先生は有名人なんだった。おまけに、そうでなくても今の自分達は闇夜衆としても名が知られてしまっている。何の備えも無しにこんな人混みに来ていいはずがない! 逃げようと思った瞬間には、もう取り囲まれていた。
こんな状況であろうと、萬燈は完璧にファンサービスをこなしていたし、昏見だってそつなく応対していたと思う。だが、あそこであれ以上騒ぎになったら方々に迷惑が掛かっていただろう。そういうわけで、こうして神社が見えなくなるくらいまで退却してきたわけだ。
「人混みに縁遠い人生だったから忘れてたわ……そこに面白人間達を放り込むと大変なことになるってことに……」
一緒に出かけるような友人はいないし、事件が起こりそうなところには近づかないようにしていたので、人混みがどんなものかを失念していた。あれは人の集合体なのだ。
「まあ、いい教訓だわな」
「うわっ、声がいい。布掛けられてもあんまり萬燈さんのオーラ減じてなくない?」
「いやー、照れ困っちゃいましたね。自分達の輝きにもっと自覚的であるべきでした。なんてったって私達は闇夜衆ですもん!」
「かしこまっちゃったのイントネーションで言ってんじゃねえよ。でもまあ、そうなんだよな……」
こうして舞奏衆(まいかなずしゅう)として歓心を向けてもらえるのはありがたかった。自分達が誰かを楽しませることの出来る存在であるというのは励みになる。皋にも応援の言葉を掛けてくれる人がいた。期待されているのだ。
……もっとも、闇夜衆の昏見有貴の方が騒がれていたことは、若干釈然としなかったが。見た目は悪くないし人当たりはいいし、何より素晴らしい舞奏(まいかなず)を奉じた昏見に歓心を向ける人間は多いのだろう。過去に色々とあった上に、逃げるように探偵を引退した皋よりも会えて嬉しいのは分かる。……分かるが、釈然としないものはしない。騙されてるぞ! と声高に言ってやりたくなる。
「何にせよ、ここから参りに戻るのはキツそうだな……帰るか」
「ええっ! いいんですか所縁くん! 人生の色々な悩みを高次の存在に祈ることで解決しようとしている願いガチ勢の所縁くんが初詣を諦めるなんて!」
「お前は新年からかっ飛ばしてくるな……。まあいいや。願いを叶えられるようにお願いするんじゃ、ちょっと複雑すぎるだろ。俺が縋るのはカミだけでいいや」
「お前もなかなか言うようになったじゃねえか」
布を暖簾のように持ち上げながら、萬燈が笑う。流石の彼も透視は出来ないようなので、そこにちょっぴり安心した。
「あー、でも甘酒飲んでみたかったんだった。俺、甘酒飲む家庭じゃなかったんだよな。出店で売ってるのは見たことあるんだけど、今まで手だそうと思ったことがなくて」
「え!? 所縁くん、甘酒飲みたいんですか!?」
「へ? そこにそんなに食いつかれることある? 甘酒って俺が知らないだけで飲むのに何らかの資格がいるものなの?」
「飲みましょう飲みましょう。大丈夫! このまま萬燈先生の輝きさえ封じておけば、甘酒を買うくらいは出来ますって」
昏見が嬉しそうに皋の手を引く。こんな布で対策出来るはずがない。けれど、当の萬燈も率先して向かっているので、抵抗を諦めた。甘酒とは、一体どんな味がするのだろう。
「はー、疲れた。だから大変なんだよなー。お前ら二人と初詣行くのしんどすぎる……」
自分の部屋の馴染んだクッションに倒れ込むと、比鷺(ひさぎ)はそう愚痴を漏らした。傍らには困ったように笑う三言(みこと)と、眠たげに目を細める遠流(とおる)がいる。何だか昔に戻ったみたいだ。
「比鷺が苦手な人混みはあまり無かったような気がするが」
「時間帯も場所も配慮したからね! でもそういうことじゃないんだよなあ~!」
クッションに埋もれ込みながら、比鷺は先ほどの初詣を思い出す。
待ち合わせをした後、遠流があまり目立たないよう、少し迂回して参りに行った。地元の人しか分からないような場所を通り、さっさと参りに行ったのだ。地元暮らしが長いからか、こういう調整は慣れている。そうでなくても比鷺は浪磯(ろういそ)では融通が利くのだ。
だが、真に恐れるべきは浪磯の外から来る遠流ファンではない。真の敵は中にいたのだ。
浪磯の人々は、基本的に六原(むつはら)三言のことを弟や息子、あるいは孫だと思っている。だから、こうしてお正月に会おうものなら、相応のかわいがり方をするのだ。なので、数メートル歩く度に、三言の荷物は増えていく。定番の餅や甘酒は勿論、浪磯で採れた海産物やら、小さな重に詰めたおせちやら、自家製の伊達巻きやら、全然関係のないお菓子やらが押しつけられていくのだ。
どれだけかさばろうとも、三言は人の善意を断らない。なので、いざ参拝が済む頃には「そのまま冬眠でもするのか」と言いたくなるような状態にまでなってしまう。恐るべし、三言の猫かわいがられ。浪磯ぐるみで愛されている覡(げき)なだけある。
当然三言だけでは食べきれないので、お菓子関連を近所の子供達に配るまでがセットだ。こうして経済が回っているのだなあ、と比鷺は頷く。
「あの贈り物行脚の時点で結構しんどいんだからね?」
「だって、断るわけにもいかないだろう。貰えるのは嬉しいし」
「うう、笑顔が眩しい……これは渡したくなる。絶対渡したくなる。この笑顔とありがとうの言葉だけで、持ってるものを六原三言に押しつけたくなっちゃう……」
だから、色々含めて疲れた。ただでさえ櫛魂衆(くししゅう)は注目を集めている。あの九条(くじょう)家の弟がついに覡になったというだけで大騒ぎなのだ。もう駄目だ。九条比鷺は静かに暮らしたい、と一人ごちる。
「あーあ、お正月なんかつまんないよ。実況も捗らないし」
「お正月は動画を上げないのか? 比鷺のファンは待っているんじゃないのか?」
「いやー、正月といえばガチャ動画だし……。そこに参入できない時点でね……。前にも出るまで引く動画を上げたんだけどさ。俺があまりにドブドブとガチャを回すもんだから、視聴者がドン引きしたのよ。終いにはあまりのドブ具合に燃えかかったからね。その金がどこから出てるのかって言われるわけよ」
「太い実家だな」
「比鷺の家からだな!」
「ぐううう」
遠流と三言に間髪入れず言われて、クッションに縋り付く。この柔らかい感触だけが比鷺に優しい。
気を取り直して、部屋の隅に置いておいたノートパソコンを手に取る。そして、大きなカメラを接続して、映りをチェックした。長らく使っていないものだが、画質は悪くない。いいものを選んだ甲斐がある。すると、その様子を見た遠流が、不快そうに顔を歪めた。
「おい。なんだそのカメラ。お前、顔出ししてないだろ。……まさかするつもりじゃないだろうな? お前みたいな焦げ目のついた人間が覡であることがバレたら櫛魂衆の沽券に関わる」
「そんなグラタンみたいな形容詞つけないでくれる? ていうか、これはそういう為じゃないから! もー……俺が折角頑張ろうとしてるのに」
ぶつぶつと漏らしながら、比鷺がノートパソコンを弄る。そして、ビデオ通話ツールを立ち上げた。教えてもらった連絡先にコールを入れると、殆ど間を空けずに相手方が出る。
「えーと、見えてますか?」
『それはもうばっちりですよ! さっすがはひさぎんですね!』
画面の向こうの昏見有貴が、笑顔で丸を作る。そして、カメラの具合を確かめるように、皋と萬燈の姿も映し出した。ここは昏見がやっているバーらしく、洒落た内装が見える。
しっかりと繋がっていることに感動したのか、三言が目を輝かせた。
「本当に出来た! テレビ電話だ! これで闇夜衆の人と話せるんだな!」
「こ、このご時世にテレビ電話って単語チョイスをするやつ……それが六原三言……!」
『やっほー! 六原くん! お元気そうですね! あけましておめでとうございます、あ、九条くん! 私の送った年賀状はお読み頂けましたか?』
「えっ、うえ、読んでない……」
『当然です! 今朝出しましたからね!』
「…………………………」
『年賀状って元旦に届かなくても嬉しかったりしません? 『年賀状いつまで出していいのか問題』ですが、私は今年が終わるまでに、即ち大晦日までに届けばいいと思いますよ!』
『いいわけねえだろ』
平素以上の笑顔で言う昏見に対し、皋が呆れたように返す。
『……どうも。俺はあんまり乗り気じゃないし、昏見が無理言ったんだと思うけど。話せる機会があるってのは……悪くはないよな』
こういったリモートでの会話に慣れていないのか、皋の目線は絶妙に合っていない。
「うん。こうしてテレビ電話の力で皋さん達に挨拶出来るのは嬉しい。比鷺に頼んで良かった」
『……あー、うん。確かに文明の力ってすごいよな……』
何の発展性も無さそうな発言をして、皋が笑う。ややあって、彼は真剣に続けた。
『これからも何かしらで会うことあるだろ。だって、俺もお前も舞奏を続けていくわけなんだからな。その時は……まあ、よろしく』
「よろしくお願いします!」
三言が嬉しそうに一礼をする。その様子を見ただけで、『テレビ電話』を繋いであげた甲斐もあったのかもしれない、と比鷺は思う。三言にとっては、こうした他衆の存在が励みになるだろう。
「……仮にも敵にこんなにフレンドリーに接していいものなのかな」
言いながら、遠流も画面に割り込んでくる。すると、奥にいた萬燈夜帳がにやりと笑った。何故か肩に灰色の布を掛けているのは、そういうお洒落なんだろうか。様になっていなくはないが、天才のファッションセンスはよく分からない。
『正月くらい構わねえだろ。それとも、八谷戸(やつやど)は新年からやりあいたいってのか? それも悪くは無えが』
「……舞奏の場以外では、僕にも話しかけてくれるんですね」
『あの場以外では、お前にも言うべきことと見るべきところがあるからな』
ぐえー、と心の中で悶える。いつも猫ちゃんみたいな顔してるのに、萬燈先生を前にした遠流の闘争本能が強すぎる。バトられても嫌だしもう切っちゃおうかな、と思った瞬間、昏見が『まあまあ。ところで私、今度車を手に入れるつもりなんですよ』と強引に話を変えた。助かった。よくわかんない人だけど、戦闘民族二人より扱いやすい。
「昏見さんは車を買う予定があるんですか。いいですね」
三言が無邪気に言う。
『いえ、買うんじゃなくて当てる予定です。なんと巷には高級車と引き換えられる券の入った福袋があるそうなんですよ! それを今から当てるつもりなので』
「あ、ああ……皮算用的な奴だったか……こっわ……」
『何を言ってるんですか、九条くん。こっちには萬燈先生がいるんですよ! この人がいる限り、私の皮算用は確固たる計画、いや予言された未来になるんです。はー、何台もらおっかな。わけっこしましょうね、萬燈先生』
「え、そういうのあんの!? ガチャ当て放題じゃん! ……ねえ萬燈先生、浪磯来る予定ない? 大丈夫、画面をタップするだけの簡単なお仕事だから」
「お前はつくづくろくなことを言わないな。三言に対してだけじゃなく萬燈さんにまで……一度天罰を食らえ。アプリごとお前の存在をアンインストールしてやる」
「なるほど! そういうことだったのか! でも、萬燈さんなら福袋で当てなくても、高級車くらい買えるんじゃないかな」
三言が至極尤もなことを言うと、何故かツボに入ったのか、皋が笑う。それを見ていると、何の根拠もないけれど、もしかしたら今年はいい年になるかもしれない、なんてことを思ってしまった。
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(テキストと同様の内容を画像化したものです)
著:斜線堂有紀
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
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©神神化身/ⅡⅤ