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[本号の目次]
1.NHK撮影班の奮闘
2.深海HDビデオカメラ撮影システムが捉えたもの
3.ヒロビレイカ論文の推敲
4.我々の映像が語ること
5.ヒロビレイカの論文発表

NHK撮影班の奮闘

 結局「なつしま」の8時間に及ぶ深海の映像記録から、ダイオウイカは発見することができなかった。しかし、今までに見たことも撮影されたこともないような大型のイカが、大きな鰭を悠然と波打たせてカメラの前を自由自在に泳ぎまわる映像が何度かにわたり捉えられていた。

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餌のスルメイカをめざして突進する
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仕掛けのクリップに突っ込む
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そのまま前進して向きを変える
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反転して鰭をたたみ、後ろ向きに高速で去る

 「なんのイカだ?」 最初に見たときは鰭が三角形で大きいことからソデイカかと思われた。が、さらに映像をよく見ると、腕の先が一瞬光っていることに気が付いた。そうだ、マッコウクジラの胃内容物の調査でしばしば見つかったヒロビレイカに間違いない。あの光は第2腕の先端にある大きな発光器が光っているのだ。これこそ世界で初めて深海でヒロビレイカの生時の姿を捉えた貴重な生態映像になる。しかし、論文として纏めるためにはより多くの行動様式を撮影した映像が必要であった。
 調査期間を終えた「なつしま」が我々を乗せて帰路に就いた9月15日以降、NHK撮影班の小山ディレクターと河野カメラマンは父島に残った。小笠原水産センターの調査船「興洋」の五ノ井船長と大型漁船「勇大丸」の平山船頭を拝み倒して、引き続き10月1日から7日にかけて小笠原父島南東海域で、ダイオウイカを撮影するため「なつしま」から引き揚げた深海HDビデオ撮影システムを両船で各々16回と2回、深海へ降ろしたのである。生きているダイオウイカの映像を、この機会にどうしても手に入れたかったのだ。

深海HDビデオカメラ撮影システムが捉えたもの

 NHK撮影班は、白色光のハロゲンライトの前面に赤と青のフィルターを付けることによって、暗黒の深海で撮影用の光の波長がダイオウイカを始めとする深海動物にどのような影響をあたえるのか調べる計画を立てた。また「なつしま」で観察されたヒロビレイカの第2腕の発光に似せて、今まで餌とともに吊るしていたLEDペンシルライトを1本から2本に増やしてヒロビレイカの発光に似せた。残念ながらNHK撮影班の継続調査にも関わらず、やはりダイオウイカを撮影することは出来なかった。
 しかし、「興洋」と「勇大丸」の乗組員の積極的な協力によりヒロビレイカの姿が頻繁にカメラに捉えられた。その中には第3腕先端発光器を光らせて餌のスルメイカを襲うハンティング行動や仕掛けの周りを泳ぎ回り青色フィルターのライトを襲う攻撃行動、2本のLEDペンシルライトの光に反応して近寄り発光器を点滅させるコミュニケーションと思われる行動など、ヒロビレイカの行動生態に関する貴重な映像が含まれていた。

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8本の腕を大きく広げて餌に突進する
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第2、第3腕で餌のスルメイカを捕らえる
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餌を抱えてぐるっと体を回転させる
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体を大きく曲げる
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8本の腕で餌をしっかり抱え込む

 東京に戻ってきた小山ディレクターは彼らの撮影した映像を私に見せてくれた。これだけ多様な映像があればヒロビレイカの行動を詳細に解析することができる。ダイオウイカではないが世界で初めて深海性大型イカ類の生態映像を捉えた快挙である。小山ディレクターの承諾のもと、可及的速やかに論文として纏めることになった。

ヒロビレイカ論文の推敲


 2005年10月中旬ころから、ヒロビレイカ論文の下書きを始めた。前回のダイオウイカと同様、英国の自然史系学術誌ロイヤルソサエティーのシリーズBに投稿することにした。二回目となると書式などは手慣れたものである。イントロに向けてヒロビレイカの生態に関する古今東西の文献を網羅的に調べた。あまり多くの論文はなかったが、1993年にダイオウイカの研究で前出のローパー博士が、ヒロビレイカの分布と分類の再検討にあわせて、ネットで採集したヒロビレイカの若体が船上の水槽の中で腕先端の発光器を青白く光らせたこと観察したと報告していた。さすが、ローパー博士である。
 さらに、2003年にスペインの研究者による「深海性ヒロビレイカの生活史と生態に関する新たな知見」と題された論文に、北東大西洋の漁場で中層トロール網により水深400~600mから3個体のヒロビレイカが混獲され、その平衡石による年齢と卵巣と精巣の性状から成熟状態、胃内容物を調べたことが報告されていた。それによると、最も大きな標本は外套長1.32m、体重124㎏の雌、次いで外套長1.05m、体重66㎏の雌、そして外套長1.19m、体重19㎏の雄の3個体であった。両雌個体は成熟途上、雄は長い陰茎と精莢をもっており完熟と判定された。平衡石には最大雌が1052輪、次の雌が645輪計数され、孵化後各々33カ月、21カ月が経過したものと推測された。胃内容としては、テカギイカの顎板と鈎、アオギスと思われる鱗が発見された。調べてみると、海外での研究の深さに驚かされた。

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北東大西洋で捕獲された最大級のヒロビレイカ(雌)
New data on the life history and ecology of the deep-sea hooked squid Taningia danae
F. Gonza´lez, A. Guerra & F. Rocha, Sarsia 88:1-6 – 2003

我々の映像が語ること

 ヒロビレイカもダイオウイカと同様にブヨブヨとした筋肉質の体から、素早く泳ぎ回ることははなく不活発な深海性のイカと考えられてきたが、我々の映像はそのイメージを根本から覆した。
 ヒロビレイカは、大きな三角形の鰭を波打たせて腕を前にして水平方向から餌を襲う際の遊泳スピードは2~2.5m/sec(時速7.2~9㎞)に達し、急激に向きを変えてほぼ同じスピードで後方に泳ぎ去ることができる。また、針にかけたエサのスルメイカを抱えて、後ろ向きに引っ張り針から外すことが出来るほどの遊泳力も持っていることが分かった。さらに第2腕先端の大発光器は、餌を襲う際に近づく少し手前で光を強く発してすぐさま光を消し、突進するとともに体を大きく曲げて、8本の腕で餌を後ろから抱え込むように捕まえる行動が観察された。これは、光により餌を確認すると同時に、餌に襲う方向を示した後に光を消して体を反転することによりフェイントをかける極めて巧妙な捕獲行動といえる。また、赤色光下で、二本のペンシルライトの光をめがけて発光器を長く光らせて接近した後、光を点灯したり消灯したり、腕の間隔を変えたりしてあたかも意思疎通を図ろうとする行動が観察された。いままで推測の域を出なかった、同種内における発光によるコミュニケーションを裏付ける実証となったのである。

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光を発しながら仕掛けに近づく
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仕掛けから距離を置いて回り込む
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第2腕先端の発光器を光らせてペンシルライトに近づく
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ペンシルライトの幅に合わせて発光器の間隔を狭める
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コミュニケーションをとるように発光器の間隔を広げる

ヒロビレイカの論文発表

 このヒロビレイカの調査・研究結果を纏め、ダイオウイカの静止画の論文と同じ英国の自然史系学術誌、ロイヤルソサエティーのプロシーディングスBに2006年11月に投稿した。論文を書き始めてほぼ1年が経ってしまったが、レフェリーの審査を経て2007年の1月に受理され、インターネットを通じて2007年2月13日に Observations of wild hunting behavior and bioluminescence of a large deep-sea, eight-armed squid, Taningia danae(深海に生息する大型八腕イカ、ヒロビレイカの攻撃行動と生物発光)のタイトルで窪寺・小山・森の共著論文として発表された。この論文も公表されるやいなや、海外のメディアの注目を集め、英国のBBCニューズや米国のニュー・サイエンティスト、ナショナルジオグラフィックのネットで発信された他、ドイツやフランスのメディアなどにも大きく取り上げられた。ダイオウイカの静止画の時の騒ぎほどではなかったが、この論文もかなりな反響があったと自負している。
 今までほとんど知られていなかった中深層性大型イカ類であるヒロビレイカの遊泳行動や攻撃行動、さらに誰も見たことのなかった第2腕先端の大型発光器による同種内における光コミュニケーションなど、行動生態に関する多くの新たな知見と最新のHDビデオカメラによる深海探査のアプローチに強く興味をひかれたのであろう。

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この論文は下記のアドレスから自由にPDFをダウンロード出来ますので、興味のあるかたはお読みください。
https://royalsocietypublishing.org/doi/pdf/10.1098/rspb.2006.0236

また動画を含むSupplementary Materialsも下記のアドレスからフリーでアクセスすることが出来ます。ヒロビレイカの遊泳行動、攻撃行動、発光コミュニケーションズなどの映像を見ることができます。
https://royalsocietypublishing.org/doi/suppl/10.1098/rspb.2006.0236

なお、論文中の写真・映像に関してはNHKがコピーライトを保有しています。二次使用はできません。