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デマが流布していく構造――人は面白さの奴隷(2,463字)

2013/07/02 06:00 投稿

コメント:4

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興味深い記事があった。

Facebookで人気の「有名なバイオリン弾き」は限りなくデマ(追記あり)

概要を説明すると、アメリカのワシントン・ポスト紙が、とある実験をした。世界的に有名なバイオリニストにみすぼらしい格好をさせて、ワシントンD.C.の駅で、バイオリンの路上パフォーマンスをさせたのだ。そうして、駅を行き交う人々がどのような反応をするかを見たのだった。

その結果どうなったかというと、行き交う人のほとんどは、そのまま立ち止まることもなく通り過ぎた。ただ、そのうちの何人かは、それが素晴らしい演奏だと気づいて立ち止まり聞き入った。また、何人かは彼にお金を寄付したし、ある人は、演奏しているのが世界的なバイオリニストだと気づいて、驚いて「何をしてるんですか?」と尋ねたりした。

ただし、黒山の人だかりができたわけではなかった。それは、演奏した場所が駅で、しかも時間が通勤ラッシュだったことが影響しているだろう。これが休日の公園なら、もっと違った結果になったはずだ。


ところで、ここからが面白いのだが、この記事を読んだとあるアメリカのブロガーが、このエピソードを自身のブログで伝えた。ところがそこで、微妙な改竄が行われていたのだ。
それは、例えばそのバイオリニストの演奏を最も気に入ったのは、たまたま通りすがった3歳の男のだった――とか、そのミュージシャンが世界的なバイオリニストだと気づいた人は一人もいなかった――といった具合である。つまり、大きく変えているわけではないけれども、ところどころ微調整しているのである。

ぼくにとって興味深いのは、人がこうしたエピソードを伝える際、ついつい内容を面白く改竄してしまう、その習性である。人には、デマを捏造してしまう本能のようなものがあるのだ。
それも、無意識のうちにしてしまうのである。その意味で、人は「物語」というものにマインドコントロールされている。人は面白さの奴隷なのだ。

人は、ついつい嘘をついてしまう。嘘と言うよりも、話を盛ってしまう。ついもっと面白くなるよう話してしまうのだ。これは、誰にでも見られる生理的な現象である。
例えば、上記のブロガーなどは、元の記事もネットにアップされているから、嘘だとバレる可能性がとても高い。それにもかかわらず、話を盛ってしまっているのだ。

ということは、本人が気づかずにやってしまった可能性が高いのではないか――とぼくは見ている。 

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コメント

過去を偶然のパーツへ分解し未来を必然へと収束させて、因果関係という「物語性」を作ろうとする人間の「面白さ」への貪欲さが、《場》へのバイアスを生じさせ、デマを流布していくということでしょうか。

No.2 138ヶ月前
岩崎夏海 岩崎夏海
(著者)

>>1
そうなんですよね。
人々が物語ろうとする力が歴史を生み、歴史が学問を生み、学問が文明を生み、文明が科学を生み、科学が現代を生んだ、と考えると、人々の嘘をつく力は人間の能力の源泉かもしれません。

No.3 138ヶ月前
岩崎夏海 岩崎夏海
(著者)

>>2
その通りですね。デマは通常、最も分かりやすい形を取るんですよね。陰謀史観なんかは誰もがコミットしてしまう強い吸引力を持ってますけど、それは人間がとても理解しやすいからなんです。だから、理解しやすいというのもちょっと考えものなんですよね。ぼくは理解しにくい方が好きです。

No.4 138ヶ月前
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