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癌に勝った絶対王者・小橋建太■小佐野景浩のプロレス歴史発見

2015/06/01 00:00 投稿

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  • 小佐野景浩
プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは「小橋建太」!! プロレスがますます好きになる小佐野節を今回も堪能してください! 

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par16

①理不尽小僧・金村キンタローがすべてをぶっちゃける!
「インディで年収1500万……一銭も残ってないです!」

②「おまえ平田だろ!」平田淳嗣のスーパーストロングなプロレス人生
「働いていた新聞配達店に山本小鉄さんから電話があったんです……」

③小佐野景浩のプロレス歴史発見……デンジャラスK・川田利明物語
「三沢光晴を追いかけて――」

④元・日本テレビアナウンサー倉持隆夫インタビュー
作られたスポーツを実況するということ――「古舘伊知郎はすべてを知ったうえでしゃべっていた。私は何が起こるかを知らず実況していたんです」

⑤タイトルマッチ惨敗! 堀口恭司はどうして攻略されてしまったのか? 大沢ケンジが解説!

⑥ピエロの狂気! 矢野啓太「胸いっぱいのプロフェッショナルレスリング論」矢野啓太

⑦マット界事情通Zの「プロレス点と線」トーク
・高橋奈苗退団から見えてくる世IV虎の今後
・諏訪魔vs藤田和之を実現させる方法
・高木大社長W-1CEO就任と静かなる帝国GENスポーツエンターテイメント

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――小橋建太というと海外修行には一度も行きませんでしたし、新人時代に七番勝負が組まれるなど、若くして抜擢を受けていたイメージがあります。

小佐野 全日本プロレス系では異例の扱いですよね。まず言いたいのは小橋建太を一番最初に取材をしたマスコミは、絶対に私なんです(笑)。なぜなら小橋が全日本に入門した日に会ってるから。87年の620、私はシリーズオフに全日本の事務所にいたんですよ。そうしたらガタイのデカイ若者がスーツ姿で入ってきたんです。それが小橋だった。

――6月って入門にしては時期外れじゃないですか?

小佐野 彼は一度、書類選考で落ちてるんです。それまで京セラに務めていたサラリーマンでしょ。会社をやめて「さあプロレスラーになるぞ!」って書類を出したら落とされるという(笑)。

――絶望しますね、その流れは(笑)。

小佐野 小橋は納得がいかなくて「なぜ落ちたんですか?」って全日本に電話をしたんですよ。

――電凸する小橋建太!

小佐野 そうしたら「あなたは格闘技経験がないでしょ。それに身体も大きくない」と。まあ、一般人よりは大きいし、柔道二段だったんけど。「じゃあボクより小さい菊地(毅)選手や北原(光騎)選手はどうなるんですか?」と食い下がったら、菊地はアマレスの学生チャンピオン、北原選手はシューティング出身。バックボーンが強いわけですよ。

――かつてはプロレスラーになろうとしたら、何かしらの看板が必要だったんですね。

小佐野 小橋は柔道二段だったけど、その程度の経歴では入れなかったということですよね。でも、プロレス入りが諦められず、ボディビルの遠藤光男さんの関係から、大津で馬場さんに会うところまでなんとか持っていったんです。それでなんとか入れてもらった。で、小橋が上京した日に事務所で私と会ったんです。第一印象は「ガタイのいいヤツが来たな」と。相撲の知識がなかったので「これはもしかして全日本入りすると言われている相撲の玉麒麟?」と勘違いしちゃったわけですよ(笑)。

――田上明と間違えましたか!(笑)。

小佐野 それくらい小橋は入門前から身体がガッチリしてたんですよ。これは取材しきゃと声をかけて、上半身裸にして写真を撮って話を聞いたんですけど……よくよく話を聞いたら玉麒麟でもなんでもなく普通の新弟子で(笑)。

――ハハハハハハ!

小佐野 裸にして写真まで撮ったのに「デビューするまでは本には載せられないから、デビューできるように頑張ってね!」なんてごまかしてね(笑)。小橋本人は「さすがプロになると入門初日に取材されるんだ……」ってビックリしたそうですけど。

――しかし、小橋さんの執念がなかったら全日本入りは実現しなかったんですね。

小佐野 というのは、当時の全日本の若手には菊地や北原がいて、その年の1月には高木功(現・嵐)が入門してるし、玉麒麟も入ってくる。豊作だったんです。だから柔道をかじった程度で、しかも年齢も20歳を超えている小橋建太は書類的にはいらなかったんですよ。

――たしかに人材は間に合ってますよね。

小佐野 だから小橋はエリートでもなんでもなかったわけですけど、普通の新弟子とは違った雰囲気を持っていたんです。それは何かというと、たいていの新弟子はパワー不足なんですよ。小橋の場合はボディビルをやっていたこともあるのか、とにかく力が凄かった。あとはみんなが言うように真面目。身体つきもいいし、「この新弟子はいいんじゃないの?」というムードはあったんですよね。

――ただの新弟子とは違うぞ!と。

小佐野 いますぐデビューさせてもおかしくない。で、デビュー前に馬場さんの付き人になったんです。当時は高木功が馬場さんの付き人をやってたんだけど、(ハル)園田さんが飛行機事故で亡くなったでしょ。馬場さんに話を聞くべく一般マスコミが押し寄せたのを高木がうまく対応できなかった。それを見たカブキさんが「小橋、おまえが馬場さんの付き人をやれ!」と命令したんです。

――イレギュラーなかたちだったんですね。

小佐野 でも、馬場さんはそんな付き人交代を認めず、口も利いてくれなかった。馬場さんは高木のことはかわいかったわけですよ。高木はデビュー直後から馬場さんのパートナーとして抜擢されたりして、小橋とは扱いが違ったわけです。

――高木功こそエリート扱いだったんですね。

小佐野 高木は相撲出身だし、デビューした時点で身長・体重はスタン・ハンセンと一緒だったんですよ。

――そりゃあ馬場さんも目をかけますよね(笑)。

小佐野 それと比べて福知山から出てきた田舎の青年が付き人なんて認めませんよ。だから小橋は凄くつらかったみたい。だって付き人なのに馬場さんに「おまえは来るな」と言われるわけ。馬場さんの付き人としてずっと一緒にいるのはそれはそれで大変かもしれないけど、小橋の場合は食事の席にも呼ばれなかった。本当にかわいがってもらえなかったんです。

――川田さんも馬場さんの付き人時代、かわいがられませんでしたけど、それ以下。

小佐野 川田の場合はアマレスの実績もあるし、デビューしてから付き人になったから。小橋は新弟子で、しかもカブキさんが交代させたわけで、馬場さんが高木をやめさせたわけじゃないからね。しかも小橋の2ヵ月後には玉麒麟こと田上明が入門してきて「いつデビューさせるのか」とプログラミングしてるわけですよ。

――小橋さんの出る幕はなかったんですね。

小佐野 高木や田上は相撲という格闘家出身だけど、小橋は単なるサラリーマンだもん。それはやっぱり扱いは違うわけですよ。あるときなんかクビを宣告された。UWFのソフトボール大会に先輩の仲野信市に誘われて小橋も参加したんですよ。仲野は前田日明や高田延彦と仲が良いからさ。その様子が『ゴング』に載ったんだけど、その記事を読んだ馬場さんに「おまえはクビだ!」と言われてね。

――うわあ(笑)。

小佐野 仲野が「自分が誘ったんで許してください!」と必死に謝って事なきを得たんだけど(笑)。小橋いわく「それくらい自分は全日本にはいらない人間だった」と。デビューして何カ月してヒザをケガしてるんだけど、休みたくないから隠してたんですよね。それで怒られたんですよ、ケガを内緒にしていたから。馬場さんは基本的に「プロは休んじゃいけない」という考えだけど、あくまでメインイベンターの話。「鶴田や天龍なら休めないけど、小橋おまえは休んでいい人間だ」と。

――休めということはまだ必要のない人間ということですもんね。

小佐野 そう言われたくないからケガを隠していた。天龍さん離脱前にタイガーマスクとアジアタッグ王座を初めて獲って。キャリア2年で初タイトルは快挙なんだけど、本人いわく「ようやくスタートラインに立てた。やっと自分の居場所が作れた」と。それくらい若手時代の小橋は追い詰められていたんです。

――しかし、2年目でタイトル奪取は快挙ですよね。抜擢を受けるようになったのはなぜですか?

小佐野 たぶんね、それは小橋が練習熱心だったからだと思うんですよ。馬場さんは小橋のデビュー戦の日に初めて食事に誘ってくれたんです。「おまえ、よくがんばったな」と。やっぱり馬場さんも小橋の練習ぶりを認めたんじゃないですかね。小橋本人からすれば自分にはバックボーンがないじゃない。そんな自分がどうやって居場所を作るかといえば、とにかく練習をするしかなかった。一生懸命やってる姿を見せるしかなかったんです。

――ノンキャリアとしての立場が小橋建太の原動力になったんですね。

小佐野 本当に真面目だったよ。89年にハワイ合宿で小橋と菊地がマレンコ兄弟から特訓を受けたんだけど。小橋は「練習に来たのであって遊びに来たわけではないんです!」と日光浴すらしないんですよ(笑)。

――長州流では、日焼けもプロレスラーの仕事ではあるんですけど(笑)。

小佐野 あのときはマカハという土地のボクシングジムで練習したんだけど、小橋はマレンコたちと極めっこをやって負けなかったですからね。彼は北原に関節技を教わってたから。

――小橋建太はシューティング仕込み!

小佐野 そうそう。アマレスは菊地に習い、サブミッションは北原。それに力が強いからそうそう極められない。怪力で弾き飛ばしちゃうから。

――フィジカルで圧倒する現代MMAにも通じますね(笑)。

小佐野 馬場さんも「小橋、気を使わなくていいからやっちゃっていいぞ」なんて言ってね。極めることはできなくても極められることはないという。

――ちゃんとプロレスラーのナイフを持ってたんですねぇ。

小佐野 デビューしてからの小橋のことは馬場さんは目をかけていたと思う。88年にデビューして1年後の893月27日の22歳の誕生日に、まだシングルで1勝もしていないのに馬場さんと組んでフットルースのアジアタッグに挑戦してるんですよ。

――表向きはエリート扱いなんですよね。

小佐野 その頃の全日本は雰囲気も変わったというか、昔はノンキャリアとキャリアの差は激しかったわけ。でも、天龍革命以降は頑張ってる選手がクローズアップされていく時代になっていったじゃない。格で押さえつける時代ではないことを馬場さんも気がついたんですよ。ファンも小橋を注目し始めた。俺らマスコミも小橋の試合は必ず見てた。やっぱり彼はデビュー当初から骨太な試合をしていたから。ビックリしたのは、デビュー2戦目か3戦目で大熊(元司)さんをブレーンバスターでぶん投げたこと!(笑)。

――ハハハハハハ! 新人が大ベテランになんてことを!

小佐野 当時の前座の常識からすれば考えられない。だって昔の若手はトップロープからの攻撃はダメだし、場外のフェンスに投げるのもダメだった。でも、そういうことが許されつつあった時代だったんだよね。あの頃の若手は、先輩の様子を見ながら、隙あらば何かやってやろうという姿勢があった。馬場さんも「自信があるならやりなさい」と許していた。一方でカブキさんみたいに「10年早い!」という先輩もいる中で若手は試行錯誤していった。だって北原なんかシューティングのレガースをつけて試合をしてたんだよ。

――よくよく考えたら全日本プロレスのリングで大それたことしますよねぇ。

小佐野 考えられないでしょ。北原の若手時代は佐山タイガーマスクチックな動きをしていたから。菊地毅はダイナマイト・キッドだった。

――それにしても、馬場さんの意識の変化も興味深いですね。

小佐野 小橋はウエイトトレーニングが好きでしょ。でも、馬場さんはウエイトが大嫌い。馬場さんいわく「あれはオカマがやることだ」と。馬場さんがアメリカにいた頃、マッチョな奴はそんなヤツばっかだったらしく(笑)。

――そんな偏見があったんですね(笑)。

小佐野 ところが小橋の練習を見ているうちに、馬場さんも「俺もやってみようかな?」ってウエイトトレーニングにやりだしたんですよ。

――えええええ!(笑)。

小佐野 小橋は嬉しかったそうですよ。「自分の姿を見て馬場さんの考えが変わった」と。


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