トンパチ折原昌夫が語る全日本プロレス、SWSの信じられない話!! 付き人して全盛期の天龍源一郎の側にいたからこそ明かせる驚愕のエピソードを18000字のインタビューで語ってくれた。SWSってやっぱり凄い!
――折原さんといえば「トンパチ」というイメージが凄く強いんですね。
折原 前田(日明)さんからも「おまえトンパチなんだって?」って聞かれましたね(笑)。でも、実際にボクに会ってみると「イメージが違う」ってよく言われるんですよ。ボクはいま週1で新宿2丁目のほうでゲイバーをやってて。
――そうみたいですね。
折原 ボクはゲイじゃないんですけどね。その店にはプロレスファンも来るんですけど、リング上と違ってあまりにも普通だからそのギャップに驚かれるんですよね。ボクの見た目はどうですか?
――まあ、怖いですね(笑)。折原さんは波乱万丈のレスラー人生ですから、尋常じゃないイメージが強いんでしょうね。
折原 たしかに波乱万丈ですよ、いまもそうですけど(笑)。でも、当時は波乱万丈だなんてわからないですよね。皆さんの人生だって1年の終わりに「ああ、今年も大変だったな……」って振り返りますけど、そのときって意外と大変さがわからないもんですよね。ボクもそういう時代が長かったから、気がついたら「大変だった」という。
――いつプロレス界から消えていてもおかしくなかったわけですよね。
折原 実際にいなくなったことも何回もありましたし。自分のギリギリのラインを超えちゃったところが何回もあったので。たとえば誰かの付き人についていると、その人の生活の中で自分も生きなきゃいけないので。「誰か」というのは、ボクの場合は天龍さんなんですけどね。
――天龍さんの生活と一体化するわけですね。
折原 天龍さんは相当な日常なんですよ。その生活の中で生きていくのが付き人。それ以外に自分のこともしなきゃいけない。だからかなり負担があったんです。いまは付き人制度ってほぼないと思うんですけど、新日本も全日本も。
――荷物持ち程度ですよね。
折原 全日本プロレスの道場って世田谷にあったんですけど。そこからタクシーでワンメーターで東京農業大学があって、その近くに天龍さんのマンションがあったんです。ボクは朝4時頃に起きて、そのマンションに行って、玄関や車の掃除をするんですよ。奥さんに「お腹空いているなら何か食べていく?」って聞かれて。
――私生活からサポートするわけですね。
折原 昔の付き人ってこういうもんですよ。小橋(建太)さんだってシリーズが終わっても、馬場さんのマンションに行って背中を流したりとかやったり。いまの付き人は何をやるかと言えば、カバンを持ったり、電話の受け答えぐらいで。
――折原さんの場合、天龍さんの付き人以外の仕事も多かったんですよね。
折原 当時の全日本の合宿所の寮長が小川(良成)さんで、住んでいたのが北原(光騎)さん、小橋さん、菊地(毅)さん。先輩たちからすれば、ボクが付き人の仕事をやっていようが関係ないんです。「折原!」って呼ばれたときにその場にいないと、も〜う大変なんです。「天龍さんの仕事をしてました」って説明するんですけど、そんなことは関係ない。
――理不尽ですよね(笑)。
折原 だって全日本の雑用をこなすのは、ボクひとりしかいなかったんですから。
――折原さんのことは雑用係として雇ったところもあったそうですね。
折原 ボクはテストにはちゃんと合格してるんですけど、渕(正信)さんが「ウチでデビューはさせないよ。命にかかわる問題だから」って。当時のボクは60キロあるか、ないかくらいだったんで。
――プロレスラーとしては線が細かったんですね。
折原 メシ炊き、会社の従業員でいいならしばらく面倒を見るよという感じで。天龍さんの付き人をやりながら地方を回ってるときに誰か外国人がケガしたんですね。そうしたら馬場さんが「バトルロイヤルがひとり足りないから、おまえが出ろ」と。
――急なデビューだったんですね。
折原 タイツやシューズを持ってなかったんで、リチャード・スリンガーから借りて。そのバトルロイヤルは公式結果として残ってないんですね。デビュー戦として記録されたのは平成2年2月22日、静岡県浜松市体育館の菊地毅戦です。それまでに2回くらいバトルロイヤルに出ていたんですけど。
――折原さんって全日本に入門する前に、新日本に道場破りをしたという噂もあるじゃないですか。
折原 そういう話が雑誌にも書かれてますよね。実際に新日本の道場には行ってるんですけど、ちょっと大げさになってる部分もあって(苦笑)。
――高校生のときに新日本の道場で「どこからでもかかってきなさい」と四つん這いになったグラン浜田さんの頭に、トップロープからニードロップ叩き込んだという。
折原 大げさですね(笑)。
――あ、盛られてますか(笑)。
折原 あれは高校生を卒業して三洋電機でサラリーマンをしながらレスリングをやってるときですね。相手はグラン浜田さんなのか、新人さんなのかおぼえてないですけど、「何かできる?」って聞かれたんですよ。それでミサイルキックをやった記憶はありますけど、それも不意打ちというわけではなくて。相手の身体が小さかったから、それイコール浜田さんという話になったんですかね。
――「道場に行った」以外は違う話になってますね(笑)。
折原 そのあと新生UWFのテストも受けてるんですよ。田村(潔司)くんが受かった第1回のテスト。成績はボクが一番だったんですけど、なぜか落とされて。「どうしてですか?」って聞いたら「一番はこれ以上の成績は見込めないから2番を取った」と。
――その2番が田村さん。
折原 何か大人の事情があったのか、よくわからない理由だったからイヤになっちゃったところもあったんですけど。ボクが働いていた三洋電機に島田宏さんという方がいて。
――90年代インディのキーパーソンのひとりですね。
折原 「そんなにプロレスをやりたいなら」ってことでTPG(たけしプロレス軍団)の記事を見せられて。どこかのプロレスショップの地下に……。
――ウォーリー山口さんが五反田でやってた『マニアックス』ですね。
折原 そう、そこに行ったんですよ。そうしたら邪道と外道がいて。ボクはアマレスの強化選手だったんで、テストは問題なくできたんですよ。それで「明日から来てくれないか」って言われたんですけど、「ここはマジメに選手を育成してるみたいだけど、ちょっと見に来ただけで、こんなところに入るつもりはない」って偉そうに断って。UWFのテストに落ちた腹いせですよね(笑)。
折原 向こうは「今度会ったらおぼえてろ!!」とか怒ってたんだけど。今度会うときはWARのときで、冬木(弘道)さんが彼らを連れてきたんですよ。今度は俺が先輩で立場が逆転してて(笑)。
――ハハハハハハ! 全日本前にいろいろとあったんですね。
折原 全日本のテストもちゃんとこなしたんですけど、「あとで連絡する」って言われたまま1ヵ月経って。身体が小さいから最初から取る気はなかったんでしょうね。島田さんから「連絡が来ないんだったら行ってみれば」って言われて、チケットを買って後楽園ホールを見に行ったんですよ。そうしたらグッズ売り場で馬場さんが葉巻を吸っていて、その脇には小橋さんがついていて。
――全日本の古き良き光景ですねぇ。
折原 馬場さんに直接「いつになったら入れてくれるんですか?」って聞いたです。馬場さんは葉巻を吸いながら「小橋、こいつは誰だ?」って。馬場さんは知るわけないですよね。小橋さんは「ああ、こないだ渕さんに身体が小さいから帰された……」。そうしたら馬場さんは「小橋、上着を脱げ」と言い出して、小橋さんのジャージをボクに渡して「これを着て今日からだ」って。
――それで入門決まりですか(笑)。
折原 馬場さんはずっと笑ってましたね。小橋さんは「よかったな!」って喜んでくれて。そのまま合宿所についていったら、ほかの先輩方から「誰だ、おまえ?」って話になって、とくに小川さんは「コノヤロウ〜」という凄い顔をしてて。そこから敵ですね(苦笑)。
――小川さんのかわいがりは相当凄かったみたいですね(笑)。
折原 基本的にボクのことをデビューさせるつもりはなかったですから毎日が地獄の練習で。スクワット1000回から始まって最終的には5000回やることになりましたから。
――5000回!
折原 でも、5000回ってすぐなんですよね。
――ええと、すぐじゃないと思います(笑)。
折原 1000回は100回の10回じゃないですか。100回はすぐだから、それを10回で1000回、それが5回で5000回。
――いや、5000回は5000回です(笑)。
折原 先のことを考えちゃダメですよね。ウチの高校のレスリング部は日体大や自衛隊と練習してて、それもかなりつらかったんですけど。そういうときは奥歯で内側の肉をおもいきり噛むんです。
――えっ……。
折原 噛むと痛いでしょ。「もう無理だ……」ってときは、そうやって痛みを感じることで「まだできる」って奮い立たせてましたね。
――意識はまだあるという確認作業。一般人は使う機会はなさそうですけど(笑)。天龍さんの付き人はどういう経緯だったんですか?
折原 合同練習が終わったあと、13時頃から天龍さんや三沢さんとか、上の人たちが練習に来るんですよ。ボクはキッチンでちゃんこを作ってるんですけど、練習場に行くときは必ずキッチンの横を通るんです。通りかかった天龍さんいわく、ボクがいつも泣いていたみたいで。
――どういうことですか?
折原 うーん、よくおぼえてないんですけど(笑)、何か悔しくて泣いてたんじゃないですかね。そんな状態だから天龍さんはすぐにやめるんだろうと思ってみたいで。こっちは天龍さんのことをクルクルパーマのクソジジイにしか思ってなくて、興味なかったですけどね。あくまでタイガーマスクになりたかっただけなんで。
――折原さんはタイガーマスク以外はよく知らなかったそうですね。
折原 馬場さんは「ジャイアント馬場」という名前だと思ってましたから。「馬場さんの本名を知ってるか?」って聞かれて「はい、ジャイアント馬場です!」って答えて怒られて。
――さすがに怒られますよ(笑)。
折原 で、あるとき天龍さんから「おまえ、明日もいるのか」って聞かれて「はい」と答えたら「じゃあ明日から俺の付き人になれ」って言われたんです。でも、最初は断りました。
――えっ、なんてことを!(笑)。
折原 だって寮の仕事もあるから困るじゃないですか。天龍さんは「おまえ、断ったな?いいから付き人になれ」と。当時は携帯電話がないので道場のピンク電話から会社の馬場さんに連絡をして「決まったから」って。ホントにイヤだったんですけど……。
――それまで天龍さんに付き人はいなかったんですよね。
折原 いなかったですね。一応小川さんがカバンを持っていたりしてましたけど。なんで付き人にしたかというと、ボクがデビューして数年経ったあとに当時の『週刊ゴング』編集長が天龍さんに「どうして折原だったんですか?」って聞いたんです。天龍さんは会社から「折原はデビューさせない」って話を聞いていたらしくて。デビューできないのに死ぬほど練習してる。でも、このままだとクビになるかもしれない。
――救いの手を差し伸べたという。
折原 付き人にすればクビにはできないですからね。でも、寮の仕事もあるから凄く大変でしたよ。先輩方は20人近くいますから、休む暇もなかったです。ちゃんこのあとは、みんな花札とかやってるんですよ。ボクはずっと立っていて「お茶!」「コンビニ行って来い」とか用事をこなすんですよね。面倒くさいのは「餃子が食べたくなった」と。
――花札やりながら餃子ってご機嫌ですねぇ(笑)。
折原 作るより『餃子の王将』で買ってきたほうが早いですから。それでも30分くらいかかって面倒くさいので、タクシーを使ったら「今日は早くないか?」って聞かれて。「タクシー使いました」って本当のことを言ったら「バカヤロウ!!」って怒鳴られて。
――下っ端の楽は許さない(笑)。
折原 あと練習はしないけど、ちゃんこを食べに来る選手もいるんですよね。だから何十人分のちゃんこも作らなきゃいけなくて。
――ちゃんこだけ食べに来る!(笑)。
折原 時には昼飯が終わったあとに「ちゃんこ余ってる?」って聞いてくる先輩もいて。そうしたら温め直して出すんです。先輩の命令は絶対ですから。
――口答えは許さないという。
折原 全日本のちゃんこ銭は月50万円出ていたんですよ。でも、それは基本的に寮に住んでる若手5人分。会社はちゃんこだけを食べに来てることを知らないんですよ。だからいつも80万円くらいかかるんですけど、足りなくなると六本木の事務所に取りに行くんです。経理の方に「なんで足りなくなるの?」って言われて、正直に「いろんな人が食べに来るんです」って(笑)。領収書をノートに貼り付けて提出するんですけどね。
――凄く大変ですけど、デビュー前の新人には給料は出るんですか?
折原 出ないですね。
――無給!
折原 食べるものはありますし、着るものは先輩からもらったり。だいたい外に遊びに行く時間なんてないですから。給料はデビューしたシリーズが終わったときに初めてもらいました。けっこう試合数があったんで、それなりにもらえるんじゃないかなって。
――1試合いくらって聞かされてなかったんですか?
折原 何にも聞いてなかったですよ。試合をさせてもらえるだけでありがたいっていうか、聞ける状況じゃないですし。給料日に六本木の会社に取りに行ったら、選手が並んでるんですよ。経理からお金をもらったら馬場さんのところに行って何か言われる。ボクが一番最後でしたね。
――いくらだったんですか?
折原 「いくらかな」って想像したんですけど、天龍さんの着てる服は高いですし、金無垢のロレックスを腕にはめて、ベンツに乗っていて。ぶつけたら、すぐに新しいベンツに替えますから。
――かなり稼いでいるわけですね。
折原 天龍さんほどじゃないけど、「そこそこもらえるんじゃないかな……」と思ってたんですよ。いくらだと思います?
――何試合やったんですか?
折原 ほぼ1ヵ月やってますから20試合以上はやってますよ。
――うーん、10万円くらいですかね?
折原 ボクも15〜20万円はいくかなって思ってたんですけど……5万円でした。
――5万円! 20試合以上やって!!
折原 5000円引かれて手取り45000円です(笑)。
――ひえ〜(笑)。
折原 待ちきれないのでエレベーターの中で封筒の中身を確認するじゃないですか。あまりにも額が少ないので、またエレベーターで事務所に戻りましたから。経理に「これ、中身を間違えたんじゃないですか」って(笑)。
――ハハハハハハハ!
折原 「すいません! これ、ボクの給料とは違いますよね?」って聞きましたもん。「折原くんのよ。多かったの?」「いや、少ないんです」「えっ、ちゃんと45000円入ってるでしょ」って。ああ、そういうもんなんだって。
――渋々納得したんですね。
折原 その夜に天龍さんから電話があって。「おまえ初めての給料だろ。いくらもらった?」「45000円です」「なんだと?いまからおまえのおごりでメシに行くぞ!」って(笑)。
――天龍さんからしても、その額はもらいすぎなんですかね(笑)。
折原 そうなんでしょうね。天龍さんはお相撲さんからプロレスに来てますけど、新人の頃は給料ゼロ円の生活をしてたみたいなんで。天龍さんは「そんなにか!」で、ボクは「これだけか!」っていう(笑)。
――その晩は折原さんのおごりなんですか?
折原 飲んで潰れたので途中までしか記憶がないです(笑)。天龍さんと飲みに行くと、必ず潰れちゃいますから。いまボクはご飯を食べるときはお酒は飲まないのは、そのときのトラウマなんですよ。
――強制的に飲み食いさせられたから。
折原 そうです。けっこうお酒をは飲めるんですけど、飲みたくて飲んだことがなかったので。仕事として飲んでいましたから。
――やっぱり天龍さんの飲みはハンパないんですか?
折原 あるときタニマチの打ち上げに出たんですけど、20人くらいいたんですね。天龍さんに「おい、ビール100本頼め!」って言われたから、中居さんに頼んだんです。そうしたら天龍さんが「おい、ひとり100本だぞ!」って(笑)。
――ファッ!? ひとりビール100本!!
折原 慌てて頼みに行ったら「そんなにビールは置いてないです」って言われて。
――あたりまえですよ(笑)。
折原 とりあえず置いてあるだけのび~るを持ってこさせたんですけど、タニマチは100本じゃなくても、そんなに飲めるわけないんですよね。結局ボクらが飲むんです。川田さん、冬木さん、小川さんもいますから。
――天龍さんからすれば、プロレスラーの凄さを見せつける余興なんでしょうね。
折原 汚い話ですけど、トイレで吐いて、また飲んで、また吐いて……潰れた姿を天龍さんが「すいません、こんなバカな奴で。次の店に行きましょう。ガハハハハハ!」と笑って(笑)。ボクはいったんホテルに戻って、ゲロまみれの身体をシャワーを洗って、次の店に駆けつけるんですよ。
――まだまだ続く!!(笑)。
折原 すでに天龍さんはできあがっていて、アイスペール飲みが始まるんですよね。アイスペールにウイスキー、日本酒とかガンガン入れて「全部飲むなよ。ほかの奴にも回せ」って言うんですけど、川田さんたちは「……オマエが全部飲めよ!」っていう顔をしてて(笑)。
――そういったタニマチ対応は天龍さんが担当なんですよね。
折原 チケットが売ってくれたタニマチに付き合うのはレボリューションですね。全日本からは誰も来ないですね。だから巡業に行くと、試合よりも試合後の飲みをみんな気にしてましたね。川田さんが「おい、今日はどこに行くと言ってた?」って憂鬱な顔をしてて。
――鶴田さんがタニマチ対応したなんて話は聞かないですもんね。
折原 鶴田さんはそういう打ち上げには一切参加しないです。それに鶴田さんは巡業のあいだはずっとラーメンを食べるような人で。菊池さんが付き人でしたけど、食べるものといえばラーメン。その点、馬場さんはいいものを食べてるから、付き人の小橋さんはいつもいいものを食べていて。
――馬場さんの付き人はいいものが食べられて、天龍さんの付き人は酒をガンガン飲まされ、鶴田さんの付き人はラーメン三昧(笑)。
折原 馬場さんが一番いいんですよ。やることもさほどなかったですから。一番大変だったのは天龍さんだと思います(笑)。
――巡業中は毎晩飲み歩いてるわけですもんね。
折原 だからホテルで寝た覚えがないんですよ。気がつくとエレベーターの中で上がったり下がったりしてて。
――部屋までたどり着けない(笑)。
折原 「おい、折原。みんなバスで待ってるぞ」と起こされて。レボリューションは正規軍とは別のバスなんですけど、ボクと天龍さん以外は全員揃ってて。天龍さんはボクが起こすまで部屋で寝てますから。
――正規軍とは別のバスですけど、正規軍の仕事もこなしてたんですよね。
折原 そうなんですよ。ホテルも別々だから、洗濯のために行ったり来たりして。飲みのあいだにホテルに戻って乾燥させたりしてましたからね。
――洗濯が終わったら、天龍さんのところに戻って酔い潰れると(笑)。
折原 記憶がないから失敗も多いんですね。天龍さん、トイレに入るときに金無垢のロレックスを外してボクに渡すんです。でも、ボクもかなり酔ってるので、天龍さんに返すのを忘れて、そのまま飲み屋で何回かなくしてますね。
――何回か!(笑)。
折原 翌朝、天龍さんが「おい、折原! いま何時だ?」って何も付けてない腕を見るんです。「あれ、天龍さん、時計は……」「バカヤロウ!時計を返してもらってねえぞ!」って(笑)。
――豪快な忘れ物ですね(笑)。
折原 天龍さんの付き人でよかったのは、お小遣いをもらえることですかね。天龍さんって毎朝ダイエットコークを飲むんですけど、小銭を持ってても必ず1万円札を渡すんですよ。天龍さんはお釣りをもらわない主義なんで、お使いのたびにお金がどんどん貯まっていく(笑)。
――コーラを買うたびに1万円近くもらえる(笑)。
折原 “天龍コーラ貯金”ですよね(笑)。給料45000円なんて目じゃないんですよ。菊池さんは鶴田さんからお小遣いをもらったことがないのでビックリしてましたね。ボクが持ってても仕方ないので、そのお金は先輩たちと使っちゃいましたけど。
――そこで必ず1万円を渡すのは、さすが男の見栄ですねぇ。
折原 あと天龍さんって、おごってもらうことが大嫌いなんですよ。タニマチにも貸しを作りたくないから自分で払うんです。ボクが天龍さんのバックを持ってるんですけど、トイレに行くたびに「あとこれだけです」って財布の中身を見せるんです。天龍さんが飲むと、あっという間にお金はなくなっていきますから。そうしたら「おい、まき代(天龍夫人)に電話しろ。今日の飲み代はツケにする」って。朝イチでまき代さんが銀行からお金をおろして、飲み代を払いに行くんです。
――はあ〜。それくらい飲むってことはかなり持ち歩いてるわけですけど、それでもお金が足りない。
折原 いつも200万円くらいは財布に入ってますけど、帰りには1銭も残らないんですよ。
――ファッ!?
・まだまだこぼれ出す天龍源一郎、漢エピソード!!
・この世の話とは思えないSWS金満話が明かされる!
・SWS道場に肉泥棒? ズンドコもたっぷり!
コメント
コメントを書く(ID:71228035)
これ重複の編集ミスですよね。WAR他の話し期待します。折原選手いつまでも応援してます!
(ID:11963197)
早く次の記事が見たいです。
ジャンさん頑張って下さい、いつも楽しみにしてます。