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80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは職業は世界チャンピオン! リック・フレアー!!」です!

イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付き!






Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー

■怪死、自殺、大事故……呪われた鉄の爪エリック一家の悲劇
http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1315138

■ミスターTからメイウェザーまで! WWEをメジャー化させたセレブリティマッチ
http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1305252

■馬場、猪木から中邑真輔まで!「WWEと日本人プロレスラー」
http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1289887

■WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去る
http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1272423

■『1984年のUWF』はサイテーの本!
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■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」
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■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻る
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■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期
http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1039248

超獣ブルーザー・ブロディ
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「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……
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■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜
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■ヤング・フミサイトーは伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』の構成作家だった http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1115776

SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集い
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■「現場監督」長州力と取材拒否
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■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男
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■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑
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■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのか
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――今月のお題はリック・フレアーです。子供の頃ってNWA世界ヘビー級王者の凄さがあまりわからなかったんですが、チャンピオンとして各テリトリーを周り続けることができるタフさ、精神力は尋常じゃないですね。

フミ リック・フレアーは世界チャンピオンであることを生業としていたレスラーとも言えますね。ボクらの少年時代のプロレス雑誌には「NWA世界王者は人事である」なんて書いてあったんですね。NWA自体はもともとは各地のプロモーターの寄り合いで結成した非営利団体。世界王者はNWAに加盟しているテリトリーを回ることになります。その職務を全うできる人じゃないとNWAの世界王者にはなれないんです。

――レスリングの実力以外にも、いろいろと問われるんですね。

フミ まず観客動員力が求められます。アメリカでは1950年代から70年代はNWAに加盟していた団体が全米に30以上もありましたが、NWA王者が来ることで、千人単位だった観客動員が1万人規模になるんですよ。

――それは責任重大ですねぇ。

フミ そしてフレアーの時代は極端なことをいえば、1年365日サーキットに出っぱなしなんです。いまのWWEのスケジュールもキツイですけど、土・日がハウスショー、月・火がテレビ収録、水・木は家に帰れますから。

――フレアーの時代はめったに自宅へ帰れなかったんですね。

フミ ニック・ボックウィンクルさんが「プロレスラーはスーツケースひとつでどこにでも行ける仕事だ」って言いましたけど、1年中ツアーをしながらホテルと会場のあいだを移動して、食事はすべて外食。ホテル暮らしのライフスタイルをよしとできないと無理ですね。

――生活面からこなすのが難しいと。

フミ あたりまえですがリング上も重要。ハーリー・レイスやリック・フレアーの時代は、いつ何時でも60分フルタイムの試合ができるかどうか。

――大変だ(笑)。

フミ 60分フルタイムの試合が多いから、あの当時のリック・フレアーのプロレスはスローに見えたのかもしれませんが、それは芸風だったんですね。

――NWA世界王者の候補はどうやって選出されるんですか?

フミ ノースカロライナやジョージア、フロリダといった南部のNWA主要地区から選ばれやすかったですね。このベルトを取れば次期候補というものがあって、ミズーリ地区にあったミズーリヘビー級選手権、フロリダのフロリダヘビー級選手権、ジョージアのジョージアヘビー級選手権、ノースカロライナのUSヘビー級選手権とか。大関的位置のベルトが各地区にあったんですね。

――その争いをフレアーは勝ち上がっていったんですね。

フミ 生い立ちからさかのぼると、リック・フレアーのプロフィールはしっかりとドキュメントされてるんです。1949年2月25日テネシー州メンフェス生まれ。幼い頃にミネソタ州ミネアポリスのフレイアー家というお医者さんの家にアダプトに出されていたんです。中学・高校はウィスコンシンのプライベートスクール、私立の寄宿舎で勉学に励んでいて。1966年と1968年には私立の学校だけのレスリング大会で州チャンピオンになってるんですね。ミネソタ大学にはフットボールの奨学金で進んでいます。

――スポーツ万能だったんですね。

フミ 大学は卒業していないんですけど、21〜22歳のときに身体が大きいからバーのバウンサー、用心棒をやってたんですよ。そのときにケン・パテラと出会うんです。

――ミュンヘンオリンピックの重量挙げアメリカ代表ですね。のちにマサ斎藤さんの警官乱闘騒ぎのきっかけを作った。

フミ そのケン・パテラから「プロレスラーになるためにAWAのキャンプに行くけど、おまえもどうだ?」って誘われたんです。そしてフレアーもAWAキャンプに参加します。そのときのコーチがビル・ロビンソン。キャンプに参加したのはアイアン・シーク、ジム・ブランゼル、グレッグ・ガニア。その翌年のAWAキャンプにはリッキー・スティムボート、サージェント・スローターなどが参加していますね

――有名どころのレスラーを輩出してるんですね。

フミ デビューしたのは72年12月10日。AWAでジョージ・ガタスキーというミネアポリスのローカルレスラーが相手。フレアーは翌73年には初来日していて、キャリア6ヵ月で国際プロレスのリングに上がってます。

――AWAと国際プロレスが提携していた関係からですね。

フミ そのときフレアーはラッシャー木村さんを相手に、生まれて初めて金網デスマッチをやってるんです。1973年6月25日大館、ラッシャー木村vsリック・フレアーの金網デスマッチ。

――国際はシリーズ中、毎日のように金網をやってたから、フレアーにもお声がかかったんでしょうかね(笑)。

フミ 国際に来たからには一度は金網を……ということなんでしょう。そのときのフレアーはまだおデブちゃんなんです。太った巨漢で髪の色も金髪ではない。リック・フレアーは何回か変身することで、ビッグになっていったレスラーなんですね。

――最初から「ネイチャー・ボーイ」だったわけではないんですね。

フミ フレアーはデビューしたAWAには1年しかいなかったんです。そこで一緒だったインディアンレスラーの大御所ワフー・マクダニエルに誘われて、ノースカロライナのNWAクロケットプロに移ります。ノースカロライナのシャーロットに住みついて、そこがフレアーのホームタウンになってるんですね。ちなみにAWAにはついぞ戻ることはなかったですね。

――主要マーケットのNWAクロケットプロに移ることでNWA世界王者の道を歩むことになるんですね。

フミ リック・フレアーというレスラーの大きな転機は、デビューから3年後の1975年10月4日に訪れます。フレアーと3人のレスラーが乗ったセスナ機がノースカロライナのウィルミントン郊外に墜落してしまうんですね。

――セスナ機でテリトリーを回っていた最中の出来事ですね。

フミ 自家用のセスナ機はフレアーのものではなかったんですけど。同乗していたジョニー・バレンタインはその事故のケガにより引退。ボビー・ブラッカーズという選手も引退。ミスター・レスリングことティム・ウッズも乗っていてケガをしたんですが、ベビーフェイスとヒールが一緒に行動しているところを他人に見られちゃいけなかった時代なんです。「ヒールのレスラーと一緒に乗っていてケガをしたとは発表できない」ということで、ミスター・レスリングはわずか3週間後に復帰してしまうんです。

――プロレスの裏側の事情が絡み合ってたんですね。

フミ その事故で当時26歳だったフレアーも背骨を3ヵ所骨折する重傷。一時は再起不能説が流れたんですが、4ヵ月後に無事に復帰します。結果的にこのときのリハビリが減量に繋がるんですね。中アンコだったフレアーの身体は見事な逆三角形となった。死と直面した悪夢の飛行事故が人生の転機になり、シェイプアップしたフレアーはそれまでブラウンだった髪の色を金髪に染めるんです。


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