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80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト
斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 
今回のテーマは、ここ数回続いた「80年代・90年代の週刊プロレス」シリーズの最終編現場監督・長州力」です!




Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー

■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」
http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1010682

■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻る
http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1022731

■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期
http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1039248

超獣ブルーザー・ブロディ
http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1059153


「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……
http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1077006

■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜
http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1101028


■ヤング・フミサイトーは伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』の構成作家だった http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1115776

SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集い
http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1131001





――1980年代のプロレスジャーナリズムから始まって、『ギブUPまで待てない!!』放送秘話やSWSと『週プロ』の関係などを語っていただきましたが、今回は取材拒否問題にまで発展した『週プロ』と長州力についてお願いします。

フミ そのテーマだと、まず「現場監督・長州力」の話からしなくちゃいけないですね。90年代の長州力は、プレイヤーというよりプロデューサーとしての印象が強いと思うんですけど。長州さんは「現場監督」という新しいプロレス用語で呼ばれるようになったんです。

――これ、誰がネーミングしたんですかね(笑)。

フミ 誰でしょうね。ボクは東スポじゃないかって思うんですけど。新日本が正式に発表したわけではないんですね。

――現場工事の監督が由来なのかなって思い込んでたんですけど。

フミ ああ、建設工事とかの?

――イメージにはピッタリですよね。長州さんも頭にタオルを巻いて。

フミ まあ、アメリカのプロレス用語で言えば「ブッカー」を指すんですね。つまりマッチメイクをする人なんですけど、日本語に該当するものはなくて、単なる「監督」だと映画やお芝居のイメージが強い。プロ野球やスポーツにも監督という役職はありますけど、これらは団体競技の監督なんですね。長州さんが現場監督と呼ばれるようになって「えっ、プロレスに監督ってあるの?」って疑問に思ったファンは多かったと思うんです。

――「じゃあ、いままでは現場監督はいなかった?」という話になりますね。

フミ プロレスにブッカーという役職があることは知れ渡っていましたから、プロデューサーな役割を想像したと思うんです。ということは、以前もプロデュースする人間はいたんだな、と。現場監督という言葉が浮き上がってきたのは、アントニオ猪木さんが新日本からいなくなったからなんですね。

――猪木さんは政界に進出して新日本プロレスの現場から遠ざることになりましたね。

フミ それまでの新日本プロレスは、アントニオ猪木さんが製作総指揮・監督・主演。その猪木さんがいなくなってからは、製作は坂口征二さん、主演は闘魂三銃士(橋本真也、武藤敬司、蝶野正洋)プラス馳浩&佐々木健介、そして監督が長州さんになったんです。

――分業制になっていくわけですね。

フミ たとえば坂口さんなり新日本関係者の誰かの「現場は長州が……」というコメントから現場監督という呼び方が広まったかもしれません。業務内容については一切触れていないんですが、かつて猪木さんが立っていたポジションに長州さんがいることはたしかなんです。新日本のレスラーのいちばん上に立っているのが長州力。

――そこで猪木さんが藤波さんではなく長州さんを指名したのは興味深いですね。

フミ 猪木さんはシングルマッチで長州さんにピンフォール負けを許してるんですが、藤波さんには一度も負けてないんです。タッグマッチで一度だけフォール負けしてますが、88年8月8日横浜文化体育館で藤波さんのIWGP王座に挑戦した試合では60分フルタイムのドロー。

――藤波さんはついに“猪木超え”を果たせなかったんですね。

フミ 最終的に猪木さんは長州さんに現場を任せますが、長州さんは体育会系だし、問答無用で命令するタイプ。アメとムチをうまく使いつつ選手を完全にコントロールしてマッチメイクしていきましたよね。

――猪木さんはその性格を見抜いて任せたのかもしれませんね。

フミ ここが重要なポイントなんですが、現場監督になった長州さんは自分のことは主演には据えなかったんです。そこが現場監督として優秀でした。

――長州さんは最初から一歩引いてましたね。

フミ 主演は三銃士と馳健の5人。長州力のレスラーとしての感覚からすれば、この5人で新日本は回していけると計算できたんでしょう。それにレスラーにとっての究極の仕事というのは、リングの上でメインイベンターとしてチャンピオンになるということも、もちろん重要なんですけど、最高のポジションはブッカー。現場監督なんですよ。アメリカでもドレッシングルームを仕切るのはブッカーですから。つまりはこれは天下を取ったということなんです。

――リング上の物語も仕切っていくわけですもんね。

フミ そこはプロレスを考えていく上でとっても大切なことなんです。真剣勝負だ八百長だという二元論であったり、ショーだお芝居だという定義付けでしかプロレスを捉えられない人にとっては、リング上の勝ち負けは単なる演出と思いがちなんですけど、百歩譲って勝ち負けを決めて試合をするとしても、むしろ、だからこそ勝敗は大切なんです。

――たしかにそうですよね。

フミ ブッカーにとってはガチでやってくれたほうがよっぽど簡単なんですよ。針の穴を通すような発想でマッチメイクに取り組まないといけないのがプロレス。レスラーたちを納得させてリングに上げないといけないんですから。プロレスラーって勝ちたい人たちばっかりなんです。「はい、今日はボクが負けておきます!」なんて人はいない。

――「俺が俺が!」という上昇志向じゃないとやっていけない職業なんですね。

フミ プロレスラーは勝てば嬉しいし、負ければヘコむんです。G1クライマックス第1回大会の両国国技館で長州力にフォール勝ちしたときのバンバン・ビガロのあの喜び方。もの凄くわかりやすいですよね。

――ビガロって大一番では便利役っぽい扱いでしたから、喜びもひとしおなんでしょうね。

フミ ビガロはサルマン・ハシミコフや北尾光司のデビュー戦の相手を務めましたよね。北尾戦のときは「東京ドームで相撲のグランドチャンピオンのデビュー戦の相手をやる」って喜んでいましたけど、あくまで仕事としてやったわけです。WWEのレッスルマニアで元フットボーラーのローレンス・テーラーが1試合だけやったときも、ビンス・マクマホンが考えたことは日本と同じ。ビガロにやってもらおう、と。

――そこまでの信頼感がビガロにあったんですね。

フミ 要するにどんな相手でもビガロなら試合にしちゃうってことですね。プロレスの中でのキャッチフレーズにある「ホウキが相手でも試合ができる」のがビガロ。

――プロレスの達人だったという。

フミ だけども、忘れちゃいけないのはプロレスラーって勝ちたい人たちの集まりなんです。ビガロと同じ時期に活躍したベイダーも、負けると凄く落ち込みますよね。あの図体の大きさとは裏腹に繊細な人だったんだけど。

――扱いが難しいレスラーたちを長州さんがまとめていたんですね。

フミ 長州さんにとって都合がよかったのは、三銃士たちとは10歳以上、歳が離れていたことですよね。一世代下のレスラーだったから、長州さんはうまく采配ができたところもあったと思います。

――プロ野球でも監督と選手の年齢が近いと、采配しづらいっていいますね。

フミ 三銃士人気が爆発的に上がっていくきっかけは、第1回G-1クライマックスなんですが、前年の夏に後楽園ホールで7日間連続興行をやりましたね。日本人選手だけの興行で7日間すべて三銃士が主役でした。

――この企画がステップアップしてG-1クライマックスになったんですね、。

フミ G1のリーグ戦という形式は長州さんからすればマッチメイクしやすかったと思うんですよ。そこで大きなポイントは、このG1には長州さんも参加しましたけど、公式戦全敗なんですね。

――よく考えると凄いですよねぇ。

フミ 誤解を生む言い方かもしれないけれど、長州さんは記念すべき第1回G1クライマックスで全敗したことで、現場監督としての指導力は高まったはずなんです。

――自分本意な現場監督ではないと。

フミ 新日本プロレスをチームとして考えた場合、G1クライマックスで三銃士をスターに育てた手腕により、現場監督としての力を不動のものとしたと思いますね。

――“大穴”の蝶野が第1回G1を優勝することで一気にスターダムに駆け上がって。

フミ 蝶野さんが「G1男」になることで、武藤さんや橋本さんに追いつきましたね。まさかの大番狂わせにお客さんが投げまくった座布団が宙を舞うシーンはいまだに語り草ですね。

――あの試合以降、プロレス興行の座布団貸し出しは禁止になって(笑)。

フミ いまになってみれば、長州さんの考えはよくわかるんですよ。蝶野さんはあの時点では三銃士の中では一番アピール度が弱かったです。武藤さんは天才的なレスラーだったし、橋本さんは日本人好みのケンカファイター。その2人と比べてややセールスポイントに欠ける蝶野さんは結果を出さないといけなかった。身体能力や技の美しさがあった武藤敬司、打撃や感情で見せていた橋本真也に対して、蝶野さんは緻密なレスリングを見せてG1を優勝したことで、観客の見る目は変わっていきましたね。

――“死んだふり”と呼ばれたノラリクラリの試合戦術も脚光を浴びて。

フミ 武藤さんはともかく橋本さんに“死んだふり”はできないです。蝶野さんは頭脳的なレスリングができるから“死んだふり”がよく似合うし、ひとつの物語のような試合がうまかった。たとえば試合の中盤戦から、いろんな小技で相手の足を攻める。それは最後にSTFを決めるための布石。そういったストーリーテリングな試合ができるから、アメリカ人レスラーはみんな蝶野さんのことを褒めるんですね。一方で橋本さんのことは「ただ暴れてるだけ」と認めない選手が多くて。武藤さんは身体能力が凄くて別格なんですけど、なぜ橋本さんが日本で人気があるのかわからない、と。

――ああ、たしかに理解できないかもしれないですね。

フミ お世辞にもカッコイイ体つきではないですし、橋本さんの人気の理由がなかなか理解できない。アメリカ人レスラーのあいだでは「ファット・エルビス」って呼ばれてた。

――太ったエルビス!(笑)。


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