「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー
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■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻る
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■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期
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■超獣ブルーザー・ブロディ
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斎藤文彦(以下フミ) ゴッチ先生のことは30年以上前から取材してるんですよ。ゴッチ先生が住むフロリダのタンパにも行きましたし、取材したカセットテープも残ってるので、いつか完全版として翻訳したいなって。
フミ ボクとゴッチ先生の出会い……と言ったら大げさですけど、それは1971年の春、ボクが小学生4年生のときで国際プロレスの第3回IWAワールドシリーズが開かれたんですが、当時の国際プロレスの主力メンバーではストロング小林、グレート草津、サンダー杉山、ラッシャー木村ら。決勝リーグに残ったのは、ゴッチ先生、ビル・ロビンソン、モンスター・ロシモフ、のちのアンドレ・ザ・ジャイアントの外国人3選手なんです。
――凄い決勝メンバーですね(笑)。
フミ この決勝リーグは非常に国際プロレスらしいというか。国際プロレスのテレビ中継はいまのTBSの水曜夜7時という時間帯に放映されていて。金曜夜8時に放映されていた日本プロレスとは違った意味でプロレスファンが心を躍らせるものだったんですよ。わかりやすく言うと、日本プロレスとの差異化を図るためなのか、外国人選手が活躍してたんです。
――決勝リーグの外国人3選手進出は、国際プロレスらしいんですね。
――国際プロレスに参戦していたのは、「プロレスの神様」として神格化される前のことなんですね。
フミ 国際プロレスに参戦したときはしばらくぶりに現役復帰したときで、予選リーグのビル・ロビンソン戦は30分時間切れ引き分け。その試合はテレビではすべて流れず、番組中継は終わってしまったんですけどね。
――昔のプロレス生中継ではよくあったことですね(笑)。
フミ 決勝リーグのロシモフ戦では、ゴッチ先生が完璧なジャーマン・スープレックス・ホールドであの巨体を投げちゃうんですよ。その当時のロシモフはやや体重を軽いんでしょうけども、本当に圧巻のシーンで。
――40代のゴッチさんがアンドレを投げきるってさすがですねぇ。
フミ ビデオのない時代なのに、そのシーンはボクの脳裏にはしっかりと焼き付いていて、試合の攻防もハッキリとおぼえてるんです。そのジャーマンの直前にレフェリーが選手の動きに巻き込まれて、場外に落ちてしまうんです。ゴッチ先生のジャーマンで3秒が経過するんだけど、レフェリー不在ですからフォールは認められない。仕方なくゴッチ先生は自ら技を解いて、リング上から場外でうずくまっているレフェリーに声をかける。そのとき背後からロシモフに襲われて、シュミット式バックブリーカーをかけられてしまい、そのタイミングでレフェリーがリングに戻ってきて、ゴッチ先生は不覚にもフォール負け!という決着で。
――「勝負ではゴッチが勝ったのに!」というエクスキューズがつく決着だった。
フミ そこはいまのアメリカンプロレスっぽい流れですよね。ゴッチ先生は試合には負けたけど、あのジャーマンは昭和プロレスファンにはいまでも語り草なんですよ。その後、決勝リーグで再戦したゴッチ先生とロビンソンはまたもや時間切れ引き分けに終わってしまったので、1点差でロシモフの優勝で終わったんです。それがボクのゴッチ原体験。
――そんなものを見せられたら虜になりますよね。
フミ いやあ、本当にカッコよかったですよ。あのときのロビンソンは30代前半、ゴッチ先生は47歳で、あきらかにゴッチ先生のほうが歳を食ってるんですけど。背筋はピンと張っていて歳を感じさせなかったし、変幻自在のテクニックを見せて、当時の外国人レスラーにありがちな反則プレーを一度もしない。外国人なのに正統派スタイルを貫くんですよ
――ああ、当時って外国人レスラーはたいてい悪役だったんですね。
フミ 日本プロレスはインター王者の馬場さんが主人公。その馬場さんに挑戦する外国人選手には、ブルーノ・サンマルチノやジン・キニスキーという大物も多かったんだけど、基本的にディック・ザ・ブルーザーやクラッシャー・リソワスキーのように悪役ですよ。一方の国際プロレスはロビンソンをはじめ正統派外国人レスラーをディスプレイしてくれたんです。
――ゴッチさんはそれ以前に日本プロレスにも来日してましたが、日プロからはどういう評価を受けてたんですか?
フミ ゴッチ先生の初来日は力道山の日本プロレス。昭和36年の第3回ワールドリーグ戦です。カール・クラウザーという名前で来日した第一戦の相手は吉村道明。当時日本で一番のテクニシャンとの45分3本勝負で、その試合でジャーマンスープレックスを初公開してるんですね。ワールドリーグは3カ月くらい続きますから、そのシリーズのあいだに吉村道明とのシングルマッチを12回もやったんですけど。
――12回も!(笑)。
フミ 3勝3敗6引き分けという戦績だったのかな。もちろん、ボクはリアルタイムでは観ていません。力道山とも1回だけシングルマッチをやってるんですけど、痛み分け。力道山は「強けりゃいいってもんじゃねえ」っていう評価だったんです。
――あらら(笑)。
フミ お客さんが見ていて面白くないと思ったんじゃないですか。それはゴッチ先生の動きがつまらないというよりは、力道山のプロデューサーの感性からすれば、「正義の味方・力道山」とは相性がよくない外国人レスラーってことだったんでしょうね。
――悪役には見えないということですね。
フミ そのあとも来日してるんですが、3度目の来日は昭和42年11月。その年から44年の5月まで日本プロレスの専任コーチとして東京に住むんですよ。それがいまでも伝説になってるゴッチ教室なんです。
――日本プロレスはゴッチさんをコーチとして評価したんですね。
――コーチング能力がそこまで際立ったんですね。
フミ これは有名な話ですけど、ゴッチ先生はウエイトトレーニングが大嫌いで。のちに日本でゴッチ先生と出会ったボブ・バックランドもそれから器具を使った練習をしなくなったんです。ゴッチ先生は「自分の体重を使いなさい。ベンチプレスをするよりは100回腕立て伏せしなさい」という教えですから。
――コーチに就任したゴッチさんは、現役にそこまでこだわりはなかったんですか?
フミ そこが面白いところで。ゴッチ先生はプロレスをやるということより、レスリングそのものが大好きなんですよ。1950年代にゴッチ先生は「蛇の穴」と言われたビリー・ライレー・ジムでテクニックを身につけ、そこからヨーロッパをツアーして、カナダに渡り、アメリカに移ってくるんですけど。ゴッチさんはプロレスでスターになろうという意識がそんなに強くなかった。レスリング好きでずっと流浪してたんです。たとえると、お相撲を取ることは好きだけど、大相撲協会に馴染めなかったというか、そういうニュアンスだと思うんですよ。
――だからコーチになることにも問題はなかったんですね。
フミ そのときのゴッチ教室に参加していたのは、のちのタイガー戸口さん、ミスター・ヒトさん、サムソン・クツワダさんら。猪木さんとゴッチさんの出会いもゴッチ教室です。運命的に出会いを果たした猪木さんは、そこでゴッチさんから卍固めを教えてもらったんですけど。猪木さんが卍固めを使う前はコブラツイストが必殺技だった。日本テレビの番組内で徳光和夫アナが「この技の名前を付けてください」と公募した結果、一番多かった名前が卍固めだった。
――猪木さんのプロレスラー人生において、ゴッチさんとの出会いはターニングポイントになりますね。
フミ ボクが小学5年生のときに新日本プロレスが旗揚げするんですけど。大田区体育館大会のメインは猪木さんとゴッチ先生。この試合は新日本ワールドでも見られると思いますが、旗揚げ戦の模様は80年代に「新日本プロレスの夜明け」というタイトルでビデオ化されているんです。猪木さんvsゴッチ先生、山本小鉄&豊登vsドランゴ兄弟の2試合が収録されているほかに、控室にいる倍賞美津子さんと倍賞千恵子さんの姉妹、少年のあどけなさが残る藤波辰爾さんが猪木さんの世話してる姿なんかも映っていたり。
――貴重な映像ですね。
フミ 小学5年生の頃と違っていまはプロレスを見る目が肥えてますから、あらためて見ると凄く面白いんです。なぜなら1回もロープワークなしなんですよ。ゴッチ先生はもともとロープに振らないレスラー。ただ、猪木さんは自らがロープに走って、その反動を利用したショルダーブロックでゴッチ先生を倒す動きは見せていた。
フミ それは1930年代に生まれたプロレスのロープワークの原型なんです。昔のロープワークというのは相手を飛ばすんじゃなくて、自らが飛び、その反動で相手を体当たりで倒す。猪木さんとゴッチ先生の試合ではそのシーンが2回だけあったんですが、あとはグラウンドレスリングの攻防に終始して。
――まさにストロングスタイルの始まりとなる試合だったんですね。
フミ ゴッチ先生が放った必殺ジャーマンは、ロープサイドだったので猪木さんの足がセカンドロープにかかってフォールにはならず。その後、フロントヘッドロックを取り合いから、ゴッチ先生がリバース・スープレックスのかたちで猪木さんを投げてフォール勝ち。
――団体のエースが旗揚げ戦で負けることは当時どう受け止められたんですか?
フミ やっぱりアントニオ猪木とてカール・ゴッチに勝てないですか。
――つまりゴッチ幻想は浸透してたんですね。
フミ 幻想はあったんでしょうね。力道山がある意味で勝負を避けたレスラーであり、猪木さんに卍固めを教えてる偉大なコーチ。アメリカではルー・テーズvsゴッチを何度かやっていて、ルー・テーズもその実力を評価している。あと有名な話として、“ネイチャー・ボーイ”バディ・ロジャースをドレッシングルームでビル・ミラーと一緒に袋叩きにした。「影の実力者」「実力世界一」のイメージは強かったんでしょうね。
――だからこそ「無冠の帝王」とも呼ばれていて。
フミ 「ストロングスタイル」を新日本のコンセプトにしたのは猪木さんですけど、その象徴としてゴッチ先生を迎え入れた。「生き神」だったわけですよね。
――「生き神」には、さすがのアントニオ猪木も負ける、と。
フミ 旗揚げのシングルマッチから半年後の10月、蔵前国技館でゴッチさんが幻の世界ヘビー級王座を懸けて猪木さんと対戦するんです。そのベルトは古舘伊知郎アナがプロレス実況から引退するときに、猪木さんがプレゼントしたあの青と赤の帯のベルトなんですけど。
――そのベルトにはどんな由来があるんですか?
フミ フランク・ゴッチの世界ヘビー級王座をルーツということになっていた。実際にゴッチ先生は1962年にオハイオ州でそのベルトを取ってるんです。つまり世界最高峰と呼ばれたNWAの流れをくまない権威としての系譜はある。それは消滅した団体のベルトなので、『東京スポーツ』のフィクションも混ざって「どこの団体が認定する王座なのか」という議論もなかったわけではないですけど。とにかくゴッチ先生はその幻の世界王座のベルトを巻いて、猪木さんの挑戦を受けるんですよ。そのときは猪木さんのカウントアウト勝ち。
――猪木さんがゴッチさんに初めて勝った試合ですね。
フミ 場外から一瞬早くリングに戻った猪木さんが幻の世界王座のベルトを巻いた。その試合から1週間後に猪木さんはレッド・ピンパネール相手に防衛を果たし、また1週間後に大阪に舞台を移してゴッチ先生と再戦。その試合はI編集長(井上義啓)の心の名勝負として残ってるんですけど。再戦ではローリング・キーロックをかけまくった猪木さんをゴッチさんが上から押さえつけてフォール勝ちしたと。
――猪木vsゴッチのキーロックの攻防は有名なシーンですね。
フミ 目に浮かぶでしょ?(笑)。さらに翌年1973年10月、アントニオ猪木&坂口征二vsゴッチ先生&ルー・テーズの「世界最強タッグ戦」があったんです。世界最強タッグというと、全日本プロレスの暮れの最強タッグを思い浮かべるけど、そのフレーズを最初に使ったのはじつは新日本なんです。
――新日本のほうが先なんですね。
フミ 小学6年生のボクはこの試合を蔵前国技館まで見に行きましたよ(笑)。
――見てますね〜(笑)。
フミ ちなみに坂口征二が柔道日本一の肩書で日本プロレスに入団して、その足でアメリカ修行に行くんですけども。ロサンゼルスで坂口さんの面倒を見たのはゴッチ先生なんです。そうは見えないですけど、意外にも坂口さんはゴッチ先生の弟子になるんですよね。
――坂口さんにもとっても感慨深い試合なんですね。
フミ 試合は三本勝負。一本目はルー・テーズのバックドロップで坂口さんのフォール負け。二本目は坂口さんがアトミックドロップでルー・テーズにフォール勝ち。決勝の三本目は猪木さんとゴッチ先生が変幻自在のレスリングの攻防をしているうちに、猪木さんがジャパニーズレッグロッククラッチホールドのようなかたちでゴッチさんから3つ取る。
――猪木さんが初めて神様にフォール勝ちするんですね。
フミ この試合ではゴッチさんのジャーマンが出なかったんです。そしてカットプレーが一度もなかったんです、タッグマッチなのに。
――それはかなり珍しいですね。
フミ 普通のタッグマッチは誰かがフォールしようとすると、味方がカットプレーに入ろうとしますよね。それが一度もなかったことが印象に残ってますね。
――新日本黎明期に尽力したゴッチさんですが、その数年前まで引退されてハワイで普通の仕事をされてたんですよね。それほどの実力者がなぜ。
フミ プロレスをやめてハワイの清掃局に勤めていましたね。そのときのゴッチ先生は40代半ばですからね。年齢的なこともあったでしょうし、アメリカのプロレスでお金を稼ぐとか、スターになりたい考えもなかった。
――だからポイと引退しちゃったんですね。
フミ 初めはハワイでも試合をしていたんですよ。でも、ゴッチ先生にとって何か気に入らないことがあったんでしょうね。プロレスをやめて清掃局で働くようになった。ゴッチ先生はゴミ清掃車の運転していたそうですけど、そこでも清掃員を鍛えていたんだって。ランニングしながら各家のゴミを集めさせたり(笑)。
――清掃もストロングスタイルですか(笑)。
この続きと、ハンカチ王子とベーマガ、アジャ・コング、AbemaTV、カール・ゴッチ特集、ドン・フライ殿堂スピーチ、ケニー・オメガ「DDT発言」などの記事がまとめて読める「13万字・詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1095857
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