プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回は「SWSに人生を狂わされた男たち」がテーマです!イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!
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――SWSについては天龍(源一郎)さんを中心に語っていただいてますが、天龍さん以外にもSWSに関わったことでプロレスラー人生が大きく動いた選手は多かったですよね。
小佐野 SWS解散後はみんな苦労したよね、やっぱり。
――新日本プロレスからSWSに移った選手はジョージ高野選手、佐野(巧真)選手の2人だけでした。新日本でいえば、もともとは武藤(敬司)さんをエース候補として引き抜こうとしてましたね。
小佐野 WCWから帰ってきたばかりの武藤が、引退シリーズを控えた坂口(征二)さんにお別れの挨拶をしにいったんだけど。移籍のお別れだったという(笑)。
――慌てた坂口さんが引き止めたことで武藤さんはSWSには移りませんでしたけど(笑)。ジョージさんと佐野さんは新日本に不満があったということなんですか。
小佐野 彼らがなぜ移籍したのかは、いまだによくわからない。あの2人だったことも謎でしょ。佐野くんではなく、スーパー・ストロング・マシン、ヒロ斎藤ならカルガリー繋がりでまだわかるんですよ。SWSは若松(市政)さんが動いていたわけだし。
――若松さんは悪役マネージャーとしてカルガリーでも活躍してましたね。
小佐野 佐野くんの海外修行先はメキシコだし、接点が見えない。あの春に、佐野くんとメキシコに一緒に行っていた畑浩和が引退してるんですよ。そのときの畑の扱い方に許せないことがあって、佐野くんは新日本をやめたんじゃないか……なんて噂はあったけれども。移籍の真相はわからない。
――あの時期のプロレス界で、新日本・全日本をやめるというのは異例の判断ではあったんですか?
小佐野 あのときの新日本と全日本のあいだには引き抜き防止協定が結ばれているから、新日本をやめたら全日本には行けないし、逆もまた然り。新生UWFはあったけど、FMWは始まったばかりで電流爆破はやっていない。新日本や全日本を抜けたらプロレスラーとして生きていくのは難しかったわけですよね。
――FMWが大成功を収めるのは先の話ですから、団体を興すのも現実的ではなかったと。
小佐野 失礼ながらトップレスラーがやめるのはまだわかるじゃないですか。ジョージや佐野くんが新団体を作れるのか?……っていう話になってくる。
――よく言われるのは、SWSの破格のギャラにつられて移籍した……という話ですね。
小佐野 メガネスーパーという母体もしっかりした会社だし、そこには夢もあったんだと思うんだよね。SWSは道場制という新しいことをやろうとしてた。しかもジョージ高野で言えば、ひとつの部屋を任せされて道場主になれるということだったから。
――SWSには天龍さんのレボリューション、ジョージさんのパライストラ、若松さんの道場・激の3つの部屋が設立されましたね。
小佐野 ひとついえるのは、あの当時は団体を離れたらレスラーとしてやっていけないシステムになっていたわけだから、閉塞感はあったのかもしれない。「この世界でしか生きていないといけない……」と思っていたのが、SWSの登場でじつはそうじゃなくなった。しかもそこは待遇もいいときた。SWSはあの頃のレスラーにとっては理想郷に見えたわけですよね。
――全日本プロレスから続々と移籍した選手の中で「このレスラーが!?」と驚いたケースはありましたか?
小佐野 いや、とくには。誰が動いてもおかしくはなかったから。冬木(弘道)さん、北原(光駒)、カブキさんは全日本の中で天龍さん派だったでしょ。谷津(嘉章)さんとは高野俊二、仲野信市、高木功(嵐)の3人が仲が良かったから。
――その3人は決起軍ですね。馬場さんが「全然決起しないから……」という一言で解散させされた。
小佐野 いつも彼らはつるんでいた。谷津さんはどういうルートでSWSに移ったのかなあ。天龍さんに口を利いてもらうことはしていないんだけど。
――天龍さんは、SWSにあんなにレスラーが集まるとは思わなかったと振り返ってますね。
小佐野 というか、天龍さんに限らず、みんな「……なんでこんなに来るの?」と思ってたはず(笑)。
――あ、全員が(笑)。
小佐野 みんなSWSという新団体がどうなるかわからないまま集まってしまった。結局、天龍さんがエースになるわけだけど、「俺は天龍を担ぐために来たんじゃない!」と不満をもらす選手も出てくる。
――どう考えても天龍さんをエースに担ぐしかないんですけど、団体の成り立ちがそうじゃなかった、と。
小佐野 道場がいくつかあって、対抗戦をやるというコンセプトだったわけだから。それなのに誰かを担ぐとなったら「えっ?そんな話は聞いてない」となってしまう。ビジネスとして考えて誰を売っていくかといえば、天龍源一郎しかいないんだけど……。
――天龍派と反天龍派の争いがSWSという団体の崩壊を招くわけですね。
小佐野 反天龍派はレボリューション以外のレスラーたち。あまりにもまとまらないから、一時期は「だったら別々で興行をやろう」というところまで話は発展したんだよ。天龍さんは「レボリューションだけで興行をやるから」と。でも、反天龍派はそれは拒否した。自分たちだけでやってもお客さんは入らないから。
――じゃあ、どうしろっていうんですか!(笑)。
小佐野 92年の春に派閥争いが表面化して以降は、レボリューションとWWE勢が試合をして、あとは反天龍同士で試合をやることになったりね。反天龍派がレボリューションやWWEの選手たちとの試合を拒否したから仕方がない。でも、あのシリーズは面白かったんですよ。お互いがいい試合をしようと張り合っていたから。
――反天龍派のリーダーは、SWS解散のきっかけを作ったとされる谷津さんなんですか?
小佐野 リーダーというか谷津さんはSWSの選手会長だったからね。そこもまた捉え方が難しくて、新日本のクーデターのときもそうだったんだけど、反天龍派が一致団結して固まってるかといえばそうでもないんだよね。それぞれ思惑や不満があった。
――共通の敵が天龍さんだったというだけで。
小佐野 大きい理由としては、レボリューションがマッチメイクで優遇されている、と。マッチメイカーはレボリューションのカブキさんだったから「ふざけるな」となるんだけど、カブキさんはかなり気を遣ってたんだよね。みんな第1試合にすると嫌がるから、だったら自分が出ると。
――反天龍派は第1試合を嫌がったんですね。
小佐野 第1試合を任されるということは、興行として大事なことなんだけど、反天龍派からすれば「なぜ第1試合なんだ?」って不満になっちゃうんですよ。結局、カブキさん本人は「もう自分にはできない」ということで一介のレスラーに戻ってしまって、末期は反天龍派の鶴見(五郎)さんと、天龍派の石川(敬士)さんがカードを持ち寄って決めていた。
――反天龍派の不満はマッチメイクだけなんですか?
小佐野 あとWWEとの提携は必要ないと。
――必要ない!?
小佐野 WWEに大金を払う必要があるのか。WWEじゃなくたって外国レスラーは呼べるでしょ、と。SWSの旗揚げのときは桜田(一男)さんのルートで外国人選手を呼んでたんですよね。ジェフ・ジャレットとか。
――桜田さんは「道場・激」所属で反天龍派ですね。
小佐野 反天龍派の一番不満は、WWEとの提携だったと思う。天龍さんがアメリカに渡って、当時WWEのエージェントだった佐藤昭雄さんと会ってまとめた提携なんだけど。全日本にいた天龍さんとしては「いい外国人がいないと客が入らないでしょ?」という考えがある。メガネスーパーの田中社長は「そんなに高いお金じゃない」と判断してWWEとの提携を認めた。
――さすが田中社長!(笑)。
小佐野 でも、反天龍派はWWEとの提携によって、天龍、カブキ、佐藤昭雄の3人が「美味しい思いをしてるんじゃないの?」となる。
――なるほど。でも、どう考えてもWWEは必要ですよね……。
小佐野 SWSは90年10月に旗揚げして、翌年の4月には東京ドームで興行をやったけど、それはWWEとの提携がなかったら無理だよね。ホーガンやロード・ウォリアーズが呼べたからビッグマッチができたんですよ。
――反天龍派はWWEが必要なのは理解してるけど、政争の材料にしてたということですか?
小佐野 いや、本気でそう思ってたと思う。「WWEのレスラーはしょっぱいだろ」って。
――うーん(笑)。待遇面の不満もあったんですかね?
小佐野 天龍さんが社長として契約更改をやってましたけど、不満はなかった。最後の春だって誰一人ギャラを落としてない。それは田中八郎氏が「天龍さんが社長なんだから天龍さんがやってください。言うことを聞かない人間は切ってください」と言い渡して。全員との契約が無事に終わったので、田中氏が「じゃあ、落ち着いたらみんなでハワイ旅行でも行きましょう」といったところでドッカン。
――反天龍派の田中邸直訴事件が起きたんですね。そこで何が起きたのかは諸説ありますが……。その後、谷津さんが記者会見で天龍体制を批判。修復不可能となり、話し合いの結果SWSは解散。天龍派と反天龍派に分かれて団体を興すことになりますね。
小佐野 あのとき何があったとかといえば、いろんな説があるんだよね。田中氏が谷津さんにネジを巻いて、解散の方向性に仕向け、それを口実にメガネスーパーはプロレスから撤退したとか。
――そこは当時現場の最前線にいた小佐野さんでもわからないんですね。
小佐野 そこはプロレス界だけの話じゃなくて、やっぱり大企業の事情も関わってくるから。反天龍派がリング上で「バンザ~イ!」をやって結束をアピールしたり、どう見てもレボリューション側の形勢が不利になのかと思っていたら、シリーズ最終戦で谷津さんが仲野信市と共にSWSを退団、引退することになったり。もうわけがわからないんですよ。
――全体を把握してる人間は……。
小佐野 いないと思う。田中八郎氏くらいかな。天龍派も反天龍派も何かあれば、田中氏に話は通してるから。
――どちらにとってもメガネスーパーが命綱ですもんね。
小佐野 田中氏からSWSに関して何かしらの指示を受けているメガネスーパーの社員はいたんだろうけど、田中氏がすべてを話す必要はないでしょ。「◯◯さん、こうしてくてださい」って簡単な指示を出すだけ。SWSのレスラーたちも俯瞰して物を見ていないから、全体像は見えにくくなるよね。
――よく言われがちなのは、お金で揉めたということですよね。
小佐野 いや、金が原因だったら大人しくしていますよ。いい金をもらってるんだからね。そこでギャーギャー騒いだのは金じゃない何かがあったということですよね。やっぱりね、プロレスラーって譲れない何かがあるんだよね。
――天龍派と反天龍派の意見が一致した唯一の事例は、剛竜馬のSWS入りを反対したときだったそうですしね……。
小佐野 それで田中氏は剛さんにお金だけ出すことになったんですけどね。
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ある意味DDTと大日本の成功により、SWSはその存在意義を見出せたのかな、と感じました。