青井陽治さんの旅立ちを昨日見送った。
上島雪夫さんも、城田優くんも、
大ぜいの舞台関係者が葬儀場を出る彼の魂を拍手で送りだした、カーテンコールで鳴りやまない拍手のように。
青井陽治さん、
僕にミュージカルを教えてくれた人、舞台のあらゆることを知り尽くしていた人。
1990年夏、僕は青井さんにお願いしてロンドンに10日間のミュージカル合宿の旅に出た。
今思えば贅沢な旅だった、だって青井さんとロンドンでミュージカル見ながら、
ミュージカルという演劇の表現形態をいわば個人教授として講義してもらう旅だったから。
青井さんはミュージカルとはどういうものかをお持ちの知識と感覚の全部で僕に教えてくれた。
歴史から始まり、有名タイトルのなぜヒットしたかのリーズンホワイ、脚本のありかた、ミュージカルの中の音楽の役割、ミュージカルの中でのメロディの在り方、ビッグナンバーの作り方、演出とはどんな仕事か、演出家がミュージカルつくる時に気に掛けなければならない1000のポイント、美術・照明・音響の果たす役割、それぞれの劇場の特長、あるべき劇場の姿、チケットの買い方、情報の仕入れ方、俳優、演出家、音楽家、脚本家、スタッフの固有名詞とその方々の作品履歴…、あらゆることが新鮮だった。日本でもそれまでに何度も教えていただいていたけど、ロンドンで毎日、実際の舞台観ながらのレクチャーは僕の心に深く刺さった。
それ以来、僕は只のミュージカルファンではなく、ミュージカルを作るプロデューサーを目指すようになり、僕のはじめてのプロデュースのミュージカル作品SMAPの「聖闘士星矢」から「姫ちゃんのリボン」を世に出すことになった。
好きで仕事にしていたアニメをミュージカルにしたい、と思ってはいたけど、どう作るかの方法論は持ってなかった僕に青井さんはそれを教えくれた。
青井さんに演出の仕事をお願いしたことがある。
彼はなかなか稽古場に来なかった。俳優もスタッフも困ってしまうことがたびたびだった。でもその時は僕は青井さんが稽古場に来なかった理由を分からなかった、だけど、今は分かる。青井さんはセンスだけでは作らない演出家だった。センスで組み立てたものを、彼の知識で論理を組み立てて、その論理に適合するか、論理的に成立するか、切り刻んで何度も何度も切り刻んで、絶対に崩れないと言う確信ができるまで、稽古をつけられなかった、だから何もしていないように見える時間が他人の目にはぶらぶらしているように見える。とても博学な自分の知識の総量を動員して自分の演出プランをテストするそうしてみるとできていないと言う判断が出てしまう、それをクリアするまでスタッフさんにも俳優たちにも、プロデューサーにも出来上がりの見通しを語れない、難解な演出の方法をもった人なんだろう、と、今は思う。
自分の理想のミュージカル像がミュージカルという舞台を知れば知るほど高いところに行ってしまう、ミュージカルを愛してやまない演出家だった、と思う。
僕がつくったものを観てきちんとした評価を出してくれる大切な先生がいなくなった。
ミュージカルの何たるかを教えてくれる先生がいなくなった。
青井さんが旅立って寂しい。
ただただ冥福を祈ります、安らかにおやすみを。
コメント
コメントを書く