「こち亀」を観た。
ラサール石井さんの熱演で舞台は暖かかった。
とっても面白かった。
笑ったし少し涙出てきたし、こういう演劇っていいなと思った。
佐橋俊彦音楽も、昭和の時代を素直に映しつつそれを洒落た空気で軽やかに包んで耳に心地よい。
今は大阪公演中、観て欲しい。
この舞台版「こち亀」は僕が1997年にプロデュースし銀座博品館劇場で演じた舞台のほぼ再演に近い。でも新しい役柄も入っていたし音楽も新曲も入っていてパワーアップを感じた。
石井さんの両津勘吉にはとても思い入れがある。
連載20周年、ジャンプ編集長交替のこの時しかないというタイミングで
TVアニメの許諾を集英社にお願いに行き、いざアニメを始めるとき僕の中では、
これで絶対に舞台を作る、と決めていた。
その時、舞台版両津勘吉とアニメ版の両津勘吉が違っていないほうがはるかに良い、
同じ人が演ずるほうが良いことは誰でもわかる、
でもアニメを作る時に舞台も作るので声の人は舞台に立てる人でなくてはならない、
なんて、当時は口が裂けても言える状況ではなかった。
その密かな決め事はあったけど、それとは別に、
そもそも両津勘吉の声を演ずる人は、
僕の中では、演技者としても力のある人であることはもちろん、
その俳優のよって立つ基盤に豊かな幅の広い人生経験がある人にしたいという感覚があった。
この感覚でオーディションを行い、
最終的には秋本治先生の賛成もいただいてラサール石井さんに決まり、
ぼくとしてはほっとした。
他のオーディション参加者もそれぞれの方に、
それぞれの豊かな人生経験や普通ではありえないような俳優経験があり、
石井さんとその部分で何か異なることがあったわけではない。
ただ、ぼくには石井さんの人生経験に両津勘吉の行動パターンに近いものを感じ、
幅広く人生経験を積んでどんな困難も乗り越えてきたのではないかという確信があった。
下北沢のスズナリでも本多劇場でもよく石井さんの舞台を観ていた。
その後に必ず飲み屋さんで一般ファンも混ざって飲み会が開かれ、
飲み屋のお客が絡んできても動ずることなくその人達とも一緒に騒いで乗せて味方にしてしまう。
聞いた話だけど、コント赤信号の仕事で、まだTV的に売れていない時期に、
渋谷にあった「道頓堀劇場」というストリップ劇場があり
その幕間のコントに出演していたそうで、
なんとすさまじい経験だろうと驚いたことがある。
だってストリップ小屋の観客は女性の裸体を観に来ているのであって
コントを観に来るわけではない。
舞台に出てきた瞬間に、帰れ帰れの怒号を浴びるだろう、
そこをものともせず、観客の注目を集め笑わせてダンサーの休息の時間を稼ぐ、
こんな経験はまさに両津勘吉そのものだろうと思った。
せっかく石井さんという願ってもない俳優を得たのだから、
アニメをきちんと作り視聴率を取り、
なんとしても舞台を作ろう、となり、
TVアニメの放送開始から2年近くなっての舞台版「こち亀」の公演となった。
今回の舞台は連載40周年で漫画が終わるタイミングだから公演があったのか、
これからは漫画はもう連載が無い、
「こち亀」の今を観るなら舞台しかないだろう、
という予感なのだろうか。観ていながらとても切ない感覚に襲われた。
「こち亀」はいつもそこにあった。
もちろんコミックスは相変わらずあり続けるだろう。
でも旬の話題を漫画にしていたあの「こち亀」はもう見ることができない。
だから舞台を作り続けてほしい。
両津勘吉みたいな破天荒な人間が生き続けてほしい。
ラサール石井さんに無尽蔵のエネルギーを感じたこの舞台、
漫画連載が終わっても、石井さんの両津勘吉はい続けてほしい。
石井さんにちょっと声をかけたくて楽屋に行った。
握手して、面白かった、続けてね、と声をかけパチリ。
いい感じのSOT隊員や裸踊りで肉体美見せてくれた味方良介くん、章平くんを誘って飲みに出た。
二人ともこんなにいろいろな役柄を次々に演ずる舞台はめったにないと言って、
少し疲れて見えたけど、
僕が「こち亀」のTVアニメもプロデュースしたと聞いて、話聞きたくなったのかもしれない、
いつもの味方くん行きつけのお店に出かけた。
ファンで全巻保有の味方くんに20年前のTVアニメの始まりの頃の話とか聞かれてうれしくなり、
昔話を肴に飲んでしまった。にこやかにパチリ。
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