キマイラ鬼骨変

キマイラ鬼骨変 一章 獣王の贄(にえ) 2  (1)

2013/07/03 00:00 投稿

コメント:64

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一章 獣王の贄(にえ)

 巫炎(ふえん)は、闇の中で腕を組み、胡坐(あぐら)をかいている。
 保冷車の中だ。
 いや、正確に言うのなら、保冷車の中に入れられた檻の中だ。
 ジーンズをはき、Tシャツを着て、その上に綿のシャツをひっかけている。
 闇の中だが、眼を開いている。
 開いたその眸が、青く光っている。
 しかし――
 保冷車とはよく考えたものだ。
 普通の車であれば、それがどのようなタイプのものであれ、逃げることはたやすい。窓のガラスを割って、そこから外へ出ればいいだけのことだ。
 たとえ、それが強化ガラスであろうが、フィルムを貼ったものであろうが、いったんキマイラ化してしまえば、割ることはできる。
 ドアだって、蹴破ることくらいはできるであろう。
 それは、久鬼玄造(くきげんぞう)も承知している。
 だからと言って、檻の中に巫炎を入れて、その檻をトラックの荷台に載せてゆくのでは目立ちすぎる。ビニールシートで、檻を囲ったとしても、人目を引く。
 保冷車が選択されたのは、頑丈で、なお、外から内側を見ることができないからだ。窓もない。
 その闇の中で、巫炎は、静かに呼吸しながら、視線を尖らせているのである。
 と――
 巫炎は闇の中で顔をあげた。
 何か、聴こえたような気がしたからだ。
 それは、上から聴こえた。
(あひいる……)
 空の、ずっと高い所。
 そして、また――
(あひいる……)
 確かに聴こえた。
 人の可聴範囲を遥かに越えた、高い声。
 久鬼麗一(れいいち)だ。
「麗!」
 巫炎は、顔をあげて、立ちあがっていた。
 上から聴こえた――
 それが何を意味するのか、巫炎にはわかっている。
 人の声が、上から聴こえるというのは、普通、あり得ない。
 近くに家があって、屋根の上からその声が届いてくるのか。
 否。
 屋根であれば、周囲の者たちが騒ぎはじめているはずだ。その騒ぎが伝わってこない。たとえ、それが、樹の上であってもだ。
 崖の上から、聴こえてくるのか。
 否。
 ここが、信州の、牧場であることは、巫炎は知らされている。近くに崖のあることは、聴いていない。
 しかも、その声は、ほぼ真上から近づいてきているのだ。
 崖の上からならば、こういう聴こえ方はしない。
 パラシュートか、パラセールか、そういうもので、上空から声の主が降りてきつつあるというなら、こういう聴こえ方はあるかもしれない。
 しかし、それがただの人間なら、このような高い声は発せられない。
 唯一、考えられるのは、上空から、久鬼麗一が、その声を発しながら近づいてきているということだ。
 その声が、久鬼麗一がキマイラ化していることの証(あかし)であった。
 それが、上空から近づいてくるというのも、キマイラ化の証である。おそらく、久鬼麗一は、変形(へんぎょう)し、獣の姿と化し、背から翼まで生やしているのであろう。だから、空からその声が近づいてきているのである。
 そして、その声の意味を、巫炎は理解していた。
 あのような声を、キマイラ化した者が、どのような時に発するのかを、巫炎は知っている。
 獲物を見つけた時だ。
 腹をすかせ、飢え、その食を欲している時、その対象となる獲物を見つけた時の声だ。
 そして、その声は、悦(よろこ)びに満ちていた。
 すぐに、思う存分、その獲物の肉に顔を突っ込み、血ごとその肉を噛み切り、舌で転がし、潰し、呑み込むことができるのだという思いと確信に溢れている声。
 来るな――
 そう叫ぶべきか。
 いや、そう叫んで、久鬼麗一がここから去れば、どこか別の場所で、久鬼麗一は、また血肉を求めることになるであろう。
 キマイラ化して、我を忘れている状態の時、人の血肉と動物の血肉を、区別できない。
 それを、巫炎はよく知っている。
 台湾で、それは、自分がやったことだからだ。
 自分は、人の肉を生で食べている。
 それも、生きながら。
 そして、その時、自分は歓喜の声をあげていたことも覚えている。
 それを、久鬼麗一にさせてはならない。
 自分の内なる獣、キマイラをコントロールするためには、強い精神力と、訓練が必要である。
 それを、自分は、できたはずであった。
 台湾では、それができなかった。
 それほど絶望していたのだ。




初出 「一冊の本 2013年7月号」朝日新聞出版発行

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コメント

読ませていただいて幸せ。

No.65 137ヶ月前

子供相手にマジレスすんなよ。

No.66 134ヶ月前

>>48
正に仰るとおり。素晴らしい喩えですね。
歴史背景を知ってから、とまでは言いませんが
稚児たちに、これは勿体無いですね。

No.67 131ヶ月前
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