巫炎にとっては、あるいは、九十九や吐月は、敵側の人間と見られてもしかたのない関係にあった。
 久鬼玄造(くきげんぞう)が、巫炎を保冷車の中に閉じ込め、九十九も吐月も、その久鬼玄造と一緒にこの現場に駆けつけているのである。
 それにしても、どうして、巫炎はあの保冷車の中から抜け出すことができたのか。
 それが、九十九には不思議であった。
 おそらく、今、キマイラ化した久鬼の前に立っている僧衣の男が、巫炎を助けたのではないかと、九十九は思う。
 しかし、それを訊ねている時間は、むろん、ない。
 ツオギェルは、久鬼の前に立って、しきりと身振り手振りで、何やら話しかけているようであった。
 ツオギェルの口が開く。
 声は聴こえない。
 久鬼の口が開く。
 声は聴こえない。
 久鬼は、もどかしそうに、身をよじる。
 そして、久鬼は、時おり、九十九にも聴こえる高い声で叫ぶ。
 それに対して、ツオギェルは、たびたび、自分の両手を合わせ、それを自分の頭上へ持ってゆくという動作をしてみせた。
 どうやら、ツオギェルは、自分と同じその動作を、久鬼にやってみろと言っているらしかった。
 それを、久鬼が理解していないのか、そうではなく拒否しているのか――その動作をいやがっているようでもあった。
 話をしている間に、だんだん、久鬼の感情が、昂ぶってきているようにも、九十九には思えた。
「巫炎さん――」
 九十九は、巫炎に言った。
「今、久鬼玄造と宇名月典善(うなづきてんぜん)、それから銃を持った人間たちが、この森の中へ散って、久鬼を捜しています」
 一瞬、久鬼玄造の顔が、脳裏に浮かんだ。
 これは、久鬼玄造を裏切ることになるのだろうか。
 そういう思いが、よぎったのだ。
 その思いを、九十九は打ち消した。
 冷静に考えてみれば――いや、直感的なところで言えば、今の状態の久鬼は、この僧衣の男と、巫炎の手にゆだねる方がよいのではないか。
 それが、この場に居合わせた自分の務めであるような気がした。
「それは、おれも気になっていた……」
 巫炎は、九十九にそう言ってから、ツオギェルの背へ向かって、
「おれがやろう」
 声をかけた。
 ツオギェルが振り返る。
「だいじょうぶですか?」
「やるしかない。台湾では、コントロールが利かず、たいへんなことになったが、今は違う。もしも、おれがまた、暴走しはじめるようなことがあったら、なんとか、おれを殺してくれ――」
 言いながら、巫炎は、着ていた上着とTシャツを脱ぎ捨て、上半身裸になっていた。
「このおれでなければ、あれは止められない――」
 言い終えぬうちに、
 めりっ、
 と、額から、角が短く突き出ていた。
 二本。
 めりっ、
 めりっ、
 と、その角が、伸びてゆく。
 バットで、背をおもいきり叩かれたように、
 ごつん、
 という音と共に、巫炎はのけぞっていた。
 背骨が、ごつん、ごつりと、音をたてて変形してゆき、曲がってゆくのである。
 肩胛骨もまた、変形が始まっていた。
 肩胛骨が、膨らんでいるのである。
 肉と皮を突き破って、肩胛骨が外へ飛び出してきたのである。
 その、突き破ってきたものが、成長し、伸びてゆくのである。
 それは、翼であった。
 しかも、その翼は、黄金色をしていた。
 身体が、膨らむ。
 背骨が、曲がる。
 ぞろり、
 ぞろり、
 と、これもまた黄金色の体毛が上半身に伸びてくる。
 そこで、獣化は止まった。
 半神半獣――
 身体が膨らんだとはいえ、新しい食物を体内に取り込んでいないため、まだ、久鬼よりは、ふたまわりほど小さい。
 しばらく前、血と肉を大量に吐き出したとはいえ、まだ、久鬼の方が、その身体が大きかった。
 巫炎が、黄金の翼を振った。
 ふわり、
 と、その身体が、月光の中に浮きあがっていた。


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画/卜部ミチル



初出 「一冊の本 2013年10月号」朝日新聞出版発行

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