さっき「菊地さん、菊地さんの<服はなぜ>の書評をイグザイルの人が書いてますよ!」という話を聞いて「あらゆるガセが出回る社会とはいえ、流石にそれは嘘だよ笑」と思い、本当に全く信じていなかったのだが、本当なのでびっくりした(「書評」は大袈裟だったけれども)。
とっさに感じたのは、嬉しいとか、恥ずかしいとか、なんかちょっと嫌、とかではなく、「ああ、歴史というのは、結局質的にあんまり変わらないのだなあ」という実感である。
インターネットによって時間はポージングし(「今」しかなくなり)、情報は制限され(ネット上の発言だけが取り上げられるようになり)、歴史という一種の流動体は、質を変えてしまったなあ。と、ずっと思っていたのだけれども、そしてそれは、今でも半分以上は実感のままなのだけれども、今僕は(前回のコメ欄にも書いたが)、ベルクソンとフーコーを(一応、念のため、翻訳で)読み返しており
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>>46
あの曲は、左曲はスタンダードですが、作詞がまあ、少将は普遍性があるので、意外とメッセージ性の強いキュアジャズの中でもクラシックス化する可能性はなくもないですね。ならないと思いますが笑(誰もカヴァーしないんで笑)
(著者)
>>45
痛風さん、配信お買い上げありがとうございました!とにかくブルノの配信は良いですよ。高級ジャズクラブなんて、行ってもいいけど、配信で聴くものでしょ普通に、という感じになると良いなと思っています笑。ベンジーさんは確か専門の後輩なんで笑、メーザーハウスの1期生と6期と一緒にユニットしてることになりますね笑。
(著者)
>>47
UAは神なき国の、生ける神像みたいなところがあるので(ので、逆に「音楽だけの人」に見えません)、ガッチンガッチンに決めてきますね。4ステージ全部違ったのには驚きました。ヘアとメイクと服で、スタッフが7人つくんですよ。彼女の仕事は神像となって、まず現れ(流行りの降臨)、踊り、歌い、功徳を振りまいて、とにかくあらゆる人に「観られるため」にいきてますね。女優さんやモデルさんやダンサーさんとは違います。宗教的なもんがみんな入ってる。僕らは、とにかくまずは「聴かれるため」に生きているので、そこが違うところです。