2012年10月第2週号
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2012年10月第2週
めるまがアゴラちゃんねる、をお届けします。
またまた更新が遅れました。申し訳ございません。
コンテンツ
・「ゲーム産業の興亡」(22)アップルが引き起こしたゲームの価格下落と勝者独占
・『気分はまだ江戸時代』連載第012回 「市民的自由をめぐって(その二)」与那覇 潤 / 池田 信夫
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特別寄稿:
新 清士
ゲーム・ジャーナリスト
「ゲーム産業の興亡」(22)アップルが引き起こしたゲームの価格下落と勝者独占
それでは、結局のところ、任天堂の岩田聡社長のいう価値が正しいのか、それとも、「アングリーバード」のようなスマートフォンで新たに登場した価値の方が正しいのだろうか。これは、判断がかなり難しい。結局は、それぞれの企業の置かれている立場に依存することになるからだ。
現実問題として、アップルのApp Storeで収益を上げることは本当に難しい。08年7月にiPhone 3Gが発表になり、同時にソフトウェアのデジタル流通市場App Storeは、ゲーム市場のルールを劇的に変えた。開発環境は無料で、アップルの審査を受ければ、iPhoneが発売されている全世界に配信できる。
さらに、値段設定も自由にでき、30%の手数料さえ支払えば、ダウンロード数に応じた収益を確実に配分してもらえる。今では、Googleも追従し、あまりにも普通のように感じられる仕組みになったが、開始直後は驚きがあった。
スタート同時に、セガがゲームキューブ用に開発していたパズルゲーム「スーパーモンキーボール」を移植したバージョンがリリースされた。猿が入っているボールを、フィールドを傾けることで転がして、ゴールを目指していくというゲームだこれまではコントローラーのスティックを傾けて遊ぶものだったが、iPhoneに搭載されているジャイロセンサーを傾けることで転がすという組み合わせは向いていると考えられた。これは、アップルの発表時に紹介され、すぐにヒットタイトルになった。
■価格下落がハイペースで進んだApp Storeのゲーム価格
そのときの値付けは9.99ドルで、収入は1本当たり7ドルになる計算なので、すでに家庭用ゲーム機で回収ができているゲームの移植版としては、数万本も売れれば悪くない結果だと考えられていただろう。競争相手となる、マイクロソフトのXbox360向けのXbox Live Arcadeというダウンロードゲームの値段が10ドル前後の販売価格が中心であったことを考えても、妥当な金額で、ゲームの値付けは、10ドルといった価格帯になると考えられていた。ところが、実際にはそういう展開にはならなかった。
開発会社が、自由に販売価格を設定できるという仕組みは、果てしない価格下落を引き起こした。
現在の米App Storeで公開されているゲームの数は11万アプリを超える(※1)。そのうち、無料のアプリは約5万1000種で51%を占める。残りが有料アプリだが、4万種が0.99ドル。1.99ドルは1万種類。App Storeがスタートした直後にゲームにとって望ましいと考えられていた9.99ドルで販売されているゲームは202種類しかない。アプリの平均単価は、0.91ドルと1ドルを切っている。これでは有料アプリをそのまま販売する形では、これまでの家庭用ゲーム会社の規模では、利益の出しようがない。
しかも、ユーザーが行うアプリのダウンロードのうち90%近くが、無料アプリで占められている(※2) 無料アプリのなかには、広告表示による収益モデルを取っているゲームや、そもそも趣味でゲームを開発しており、収益を得ることを目的としないで公開されているゲームも少なくない。
事実、早期に市場が崩れていったのが、「アングリーバード」といったものを中心としたパズルゲームの分野だ。もはや、パズルゲームに5000円といった価格をつけても、購入する人は存在しない。「スーパーモンキーボール」も現在は2.99ドルまで引き下げて販売されている。1本当たりの利益は1ドルちょっとだ。定番ゲームの「テトリス」は0.99ドルで販売されている。
アップルは、iPhoneの販売を押し上げる重要なキラーアプリとして、ゲームを意識するようになっていった。2010年のiPhone4の発表時の講演時に、iPhoneのアプリケーションの数を、プレイステーションポータブル(PSP)とニンテンドーDSと比較し、10倍以上のゲームとエンターテインメントアプリ(当時で5万種)がリリースされているとアピールした。
■起きなかったアタリショックと起きた勝者独占
一方で、アップルは価格設定をコントロールすることは、一切行ってこなかった。どれくらいの価格帯にするべきかというガイドラインも設定することなく、各開発会社の自由な設定に任せる形をとった。それでも、有料アプリであれば、アップルは自動的に3割の手数料を取ることができる上に、そもそもアップルの最大の収益源はiPhoneというハードウェアそのものの販売収益だ。そのため、各ゲーム開発会社の利益を考慮する必要がない。
これほどのアプリが投入されると、「アタリショック」(※3)が起きると考えられた。これは1983年にアメリカで起きた家庭用ゲーム機「Atari」向けのROMカセットゲームが粗製濫造され、完成度の低いゲームが市場に出回ったことで、ブームが急激に去り市場が縮小した現象のことを言う。完成度の低いゲームが、ユーザーの不満を生みゲームの「価値」を損ねた。
1985年に「ファミリーコンピュータ」がアメリカでも発売され、任天堂が販売するゲームを各企業にも年間厳選して発売させる体制を整え、再びブームを引き起こした歴史的な経緯を考えると、任天堂の岩田聡社長が、暗にアップルを批判したのは理解できる。既存のゲーム市場を破壊しているのは確かだったからだ。
しかし、「アタリショック」は起きなかった。起きたのは「アングリーバード」などの数少ないタイトルへの人気の極端な集中である。インターネットは、勝者総取り(ウィナー・テイクス・オール)の現象を引き起こしやすい。iPhone向けの10万種類もタイトルの中で、無料や0.99ドルのゲームがダウンロード数のうち5割以上を占めるという状態が起きるようになった。
そのなかでトップに近い位置にいる「アングリーバード」は大きな利益を出せる存在になっているが、確かに例外的な成功だ。多くの開発会社に門戸は広げられるが、ほとんどの開発会社は利益を出せないという状況が日常化している。アップルの戦略は、機会の平等は保証するが、結果の平等は保証しないといういかにもアメリカの企業らしい戦略でもある。
高い価格帯に維持することで収益を出す任天堂的な価値と、無料ゲームによる膨大なユーザーを集めることで得る価値。市場構造の変化は引き起こされているが、その二つは現在も併存している。それは「ゲームの価値」の幅がそれだけ広がったことを意味している。岩田聡社長のGDC2011の講演でのミスリードは、後者の価値を低く見過ぎたところにある。
(※1)http://148apps.biz/app-store-metrics/?mpage=appprice (2012年10月8日現在)
(※2)Source: Gartner (September 2012) http://www.gartner.com/it/page.jsp?id=2153215
(※3)「アタリショック」は日本での造語で、英語では「North American video game crash of 1983」と呼ぶ。
新 清士(しん きよし)
ジャーナリスト(ゲーム・IT)。1970年生まれ。慶應義塾大学商学部、及び、環境情報学部卒。他に、立命館大学映像学部非常勤講師。国際ゲーム開発者協会日本(IGDA日本)副代表。日本デジタルゲーム学会(DiGRAJapan)理事。米国ゲーム開発の専門誌「Game Developers Magazine」(2009年11月号)でゲーム産業の発展に貢献した人物として「The Game Developer 50」に選出される。連載に、日本経済新聞電子版「ゲーム読解」、ビジネスファミ通「デジタルと人が夢見る力」など。
Twitter ID: kiyoshi_shin
『気分はまだ江戸時代』
与那覇 潤
池田 信夫
第十二回
「市民的自由をめぐって(二)」
池田 ウィットフォーゲルの本に「最適距離」という言葉がありますが、皇帝から一定の距離以内の皇帝の権威を危うくするような都市はきびしく統制するんだけど、一定以上の距離よりも外については、反乱を起こさなければ放置して行政コストを最適化するということが書いてあって、そういう意味では東洋の国家というのは基本的に平和で防衛的だったのですね。
それに対して西洋の国家というのは、食うか食われるかの競争にいつもさらされているわけだから、相手が少しでも油断したら併呑して領土を拡大していくという戦いを繰り返してきたわけです。どっちが幸せかっていうのはちょっとわからないところあるけど、市民的自由という観点から言うと、競争があったほうがいいでしょう。
與那覇 難しい問題ですね。実際、先ほどは近代西洋風に多元的な価値観を認めるという合意を取らなくても、学校で強制されるわけでもなし、「正しい思想」を学びたくない人は単にスルーすればよかったんだから、それもありじゃないかという雰囲気で、伝統中国に対してポジティブなかたちで申し上げたのですが、これにももちろん裏があって。こういう中国の「自由なき思想放任」のネガティブな側面が出てくるのが、たとえば司法の場なんですね。
「科挙に挑戦する気のない凡人は勝手にせい」ということで、ふだんは庶民は別に儒教道徳なんて意識せずに暮らせるといえば暮らせるのですが、問題は、裁判沙汰を起こしてしまったときです。中国の場合、日本のお奉行さまと同様に司法官は行政官の兼任で、しかもその行政官というのは儒教的な道徳試験=科挙に受かった人なわけでしょう。
おまけに中国は「法の支配」が存在しない、法治ではなく「徳治」の国ですから、儒教道徳を守って暮らしてきたかどうかが、ここで判決に影響してしまう。つまり、国家が定める道徳の基準に適した行動をとっていた人の方が、お上のお眼鏡にかなって有利な判決が出るというかたちになっているんです。
つまり、反乱かなにかを起こさない限りは、国家公定のモラルを守らないという理由で、すぐに殺されたりとか、投獄されたりとかはしない。
しかし裁判沙汰に巻き込まれたとき、社会通念に従っていないと不利な判決が出るくらいのリスクは、これは抱え込まざるを得ない。ここが「法の下の平等」の概念がなく、「有徳者と不徳者は不平等」が前提の中国システムの怖いところなわけですが、一方で振り返ってみると、やっぱり日本の司法も、意外とそちらに近いところがあるわけですね。最近、裁判員制度だとか、犯罪・汚職がらみのメディア報道の過熱だとかで、その問題が顕在化しているのではないか言われるように。
ヨーロッパ型の契約社会であれば、もちろん情状酌量が皆無なわけではないけれども、原則は罪刑法定主義であって、「こういう悪いことをやったら、誰であろうとこれだけの量刑が科されるルールになっていますよ」という形で判決が決まる。それが法の支配であり、法の下の平等ですよね。ところが日本の場合は、被告人が「反省」しているかどうか、罪を犯したとはいえ、それなりの「道徳心」を持っている人間なのか、そうでないのか、という違いで、判決が大きく動いてしまうことがある。
近日だとライブドア事件が典型で、ホリエモンというのは悪いことをやったくせに、まったく反省してないじゃないか、と。「俺は悪くないんだ」とか言い張って、宣伝活動をやりまくっているじゃないかと。それで、「こういう奴は厳しく罰して反省を促さねば」という雰囲気になって、執行猶予をつけずに実刑にされてしまう。
日本人は本当に「法の支配」を理解しているのか、というのは、池田さんがよくブログで提示される疑問でもあるわけですが、私も同感です。果たして今の日本が、伝統中国の徳治主義を笑えるほど、立派な「法治国家」になったといえるのかどうか。私の本を『中国化する日本』というタイトルにしたのには、そういう背景もあります。
江戸時代的な日本社会に、中国に通ずるところが全くないのであれば、この『中国化する日本』というメインタイトルは本来いらなくて、副題に入っている『日中文明の衝突』の方を書名にしたっていいわけです。しかしながら、日本と中国は一見、好対照な社会であるようでいて、特に西洋との対比を意識しつつよく見てみると、
「あれ? 実は日本社会も、ここの部分に関しては中国っぽいよな」とか、「最近は、むしろ江戸時代よりも中国的なものに近づいてるんじゃないのかな」と思える要素が、いくつかある。それも、司法や政治といった、社会秩序の根幹に関わる分野で。そこを見失ってしまうと、日本の舵取りを誤るんじゃないかという危機意識は、執筆にあたって強くありました。
※ 次号「儒教的な官僚と江戸時代的な政治家」に続く。
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