人種差別の「ヘイトスピーチ」は国連人権委の勧告など
関係なく、日本人の常識として「規制」するべきである。

国外からの圧力があったからではなく、
日本人の主体性で「規制」すべきなのだ。

「表現の自由」が無制限のはずがない。

公共性に反して、あまりに国の尊厳を傷つけるような
恥ずべき表現は「規制」して当然である。

保守すべきは日本人の美意識であって、
反韓感情や差別根性ではない。

 

この「ヘイト」規制に、やっと政権側が乗り出したが、
同時に国会周辺の「騒音デモ」まで規制するのは
問題がある。

わしも感情的には「騒音」は嫌いなのだが、
国会周辺のデモは民主主義と繋がっている。

「騒音デモ」の標的は、暴力装置を有する権力である。

「ヘイトスピーチ」の標的は、少数派の民族であり、
「醜い朝鮮人は出て行け」などという言葉は
暴力である。

「ヘイトスピーチ」の勢力はむしろ、安倍政権を
支持する権力の走狗である。

権力に立ち向かうためには、デモの許容度を高くして
おかねばならない。

野党が政権をとって、外国人参政権や、
移民法の制定を進めたら、右派は
「沈黙デモ」しかしないか?

必死で「騒音デモ」だってしたくなるだろう。

暴力装置に対抗するのに、騒音すら奪われたら、
権力は恐いものはなくなる。

「ヘイトスピーチ」と「騒音デモ」は、
その性質が全く違うのである。

 

 

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