村山談話・河野談話に未来はあるか?
第58回 米軍調査報告に見る慰安婦の実態(その9)
最後にもうひとつ、米軍による調査報告書を紹介しよう。
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「慰安婦」はすべて、次のような契約条件で雇われていた。
慰安婦は彼女自身が稼いだ額の50パーセントを受け取り、
交通費、食費、医療費は無料だった。
交通費と医療費は軍当局によって負担され、食料は、
軍の貨物廠の援助のもとに慰安所経営者によって購入された。
経営者は、衣服、必需品、奢侈品を法外な値段で慰安婦に
売ることによって余禄を得た。
慰安婦は、彼女の家族に前貸しされたお金と、それに加えて
利息を返済できた場合には、朝鮮へ帰るための
無料の交通の便宜を提供され、あとは自由の身であると
みなされることになっていた。
しかし、1943年6月、第15軍司令部が、債務から解放された
慰安婦たちを帰国させる手配をしたにもかかわらず、
戦況のゆえに、これまでのところ、M739
(注・慰安所経営者の捕虜番号)のグループでは
だれ一人として、帰国を認められた者はいなかった。
そして、前述の条件を満たして帰国を希望したある慰安婦は、
他愛もなく説得されて残留することになってしまった。
M739の施設では、慰安婦一人の稼ぎの最高額は
月に約1500円、最低額は月に約300円であったが、
この慰安所の規定により、慰安婦は、最低でも月あたり
150円を経営者に支払わなければならなかった。
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これまで紹介してきた資料と内容が重なる部分もあるが、
これは別の機関が作成した報告書である。
前回までの報告書の内容が決して特異なものではなく、
状況は誰が調べても変わらなかったという証明にもなろう。
慰安婦は借金さえ返せば自由の身で、無料で朝鮮に
帰れたのだ。
この報告書の調査対象は一人も帰れなかったというが、
それはあくまでも戦況悪化で帰路の安全が
保証できなかったためである。
帰国を希望した者が「他愛もなく説得」されたのも、
危険を冒してまで帰りたいほど過酷な生活では
なかったからだろう。
なおこの報告書で、もっとも稼ぎの悪い慰安婦の月収が
手取りで150円程度だとわかるが、
これは陸軍少尉の戦地手当て込みの月給よりも高い。
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