村山談話・河野談話に未来はあるか?
第25回 元慰安婦・金学順の証言を検証する(その1)
全聾という「弱者」に見える作曲家の嘘が暴かれて、
人々が非難しているが、本当に弱者か否か確かめもせず、
信じてしまった者たちの愚かさも反省すべきだろう。
元慰安婦の老婆が泣いて訴えているとなると、この上ない
「弱者」に見えるから、当時は一瞬で信じた人が多かった。
わしが元慰安婦の証言を検証すると、なんという冷酷な男だと、
特に女性からの反発はすごかった。
それが今では愛国奥さまやネトウヨ妻が、元慰安婦に
「売春婦」と罵声を浴びせるほど右傾化したのだから、
「空気」というのはわからないものだ。
元慰安婦を傷つける言葉の暴力は許すべきではないし、
ましてや元慰安婦を憎むのは完全に筋違いだと断わっておく。
さて、裏付けのとれない証言は、100%ウソという場合すらあるから、
十分注意しなければならない。
吉田清治の「慰安婦強制連行」がまさにそうだった。
吉田証言は「加害者側」だったが、
事情は「被害者側」の証言でもまったく同じである。
女(弱者)、老人(弱者)、日本に併合された国民(弱者)と弱者の
要素が揃っていても、証言が事実か否かは検証しなければならない。
慰安婦訴訟の第1号原告となった元慰安婦・金学順は、
全アジアを通じて最初に名乗りを上げた慰安婦の証言者であり、
その証言は現在に至るまで多くの人々に影響を与え続けている。
金学順が名乗り出たのは1991年(平成3)8月で、
提訴はその年12月。
その後、金は日韓双方の支援団体や研究者に対して
何度も証言を行なっている。
こういう場合、前後の証言に食い違いがないかを調べることが
重要となる。
吉田清治は1966年(昭和41)に初めて証言を行ない、
1977年(昭和52)に最初の著作を出版しているが、
そこで一言も触れていなかった「慰安婦強制連行」を、
1983年(昭和58)の2作目の著書で突然言い始めている。
こういう不自然な点や、「証言のエスカレート」がないかを
検証するのである。
金学順が訴状で語っていた身の上が
「ごく一般的な娼婦の身売り」のパターンであることや、
提訴以前に行なわれた韓国の市民団体の聞き取りに対しては
「実母に40円で売られた」と語っていながら、
それが訴状に書かれていなかったことは
本連載の第15回でも触れた。
また、その韓国市民団体の聞き取りの際、金学順は
慰安婦にされた経緯について、さらに重大と思われる証言をしていた。
「北京の食堂で日本将校にスパイと疑われ養父と別々に、
そのままトラックで慰安所へ。処女を奪われた」
というのである。
これはまさに「強制連行」の証言ではないか。
ところが、どういうわけかこの経緯も、訴状には書かれて
いなかったのである。(続く)
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