村山談話・河野談話に未来はあるか?
第20回 朝日新聞が作った慰安婦問題
慰安婦問題は元々日本国内の「保守VS左翼」の議論から
始まったのであって、韓国発ではない。
もっと絞れば吉田清治という詐話師(作り話で人をだます詐欺師)の
『私の戦争犯罪』というフィクションが出発点だ。
さて、第17回で書いた陸軍省の
「軍慰安所従業員募集に関する件」という通達だが、
これは「業者が軍の名義を利用したり、誘拐などの不正行為を
しないように、軍が見張れ、適切な業者を選定せよ」という
通達だった。
これを軍が「強制連行に関与」した証拠資料のように見せかける
という驚きのトリック記事を載せた朝日新聞が発行されたのは、
1992(平成4)1月11日だった。
朝日はこの記事のネタを数か月前に入手していたが、それを
すぐには記事にせず、満を持してこのタイミングで世に出した。
この日は、宮沢喜一首相(当時)が韓国を訪問する5日前
だったのである。
宮沢の訪韓までに朝日の記事は韓国内でも報じられ、
猛反発の嵐が巻き起こるのは必至。
しかし5日前ではもう日程の変更もきかない。
宮沢は韓国で猛烈なデモ隊の「歓迎」を受けることになるはず。
それを狙って仕掛けた記事には、このように書かれていた。
「政府として新たな対応を迫られるとともに、
宮沢首相の訪韓でも深刻な課題を背負わされたことになる」
その後の展開はまさに朝日の狙い通りとなり、
韓国メディアはこの話題を大々的に取り上げた。
宮沢喜一は1919年(大正8)生まれのまさに戦中派で、
普通であれば慰安婦や慰安所がどういうものかを
知っているはずの世代だった。
ところが宮沢は日米開戦の年に東京帝大を卒業して大蔵省に入省、
この世代はエリート官僚といえどもほとんどが
軍務についたにもかかわらず、終戦まで大蔵官僚で終始した
という極めて珍しい経歴で、従軍経験が一切なく、
慰安婦・慰安所に関する知識が全然なかったのだ。
宮沢は訪韓2日前の記者会見で、早々と
「軍の関与を認め、お詫びしたい」と述べた。
そして宮沢は反日デモの嵐が荒れ狂う韓国へ向かい、
日韓首脳会談では1時間25分の間に8回も「謝罪」と「反省」を
繰り返し、「真相究明」を約束して帰国したのだった。
自称保守派やネトウヨのように、いつもいつも朝日新聞の悪口を
言っていても現在の状況は何一つ改善しないのだが、事実として
慰安婦問題は朝日新聞が作ったとしか言いようがなく、
この当時の朝日新聞は「反日陰謀組織」とでもいうべきものだった。
わしから忠告するが、朝日新聞はこの問題の検証チームを作り、
謝罪したらどうだろう?
謝罪して購読者が減るということもない。
わしだって朝日新聞を購読してるんだから。
コメント
コメントを書く