今にして思えば、AKB紅白対抗歌合戦のときに、
大島優子は卒業を決めていたようだ。

サインしておいた『AKB48論』を手渡したとき、
優子は「この本の中にも卒業するべきって書いてありましたよね
と言い出したので、わしは慌てて
「いや、これを描いたときはそう思ってたけど・・」と打ち消してしまった。

すると優子いや、その通り(卒業すべき)だと思いますと言うので、
わしは個人的思いとして「いやだ!」という我が儘が噴き出してしまい、
引き留めようとした。

そのとき優子
本で言ったことと、もう違っちゃってるじゃないですか」と言った。

嫌な予感がして、わしは優子が出演した
「SPEC」と「安堂ロイド」の役について語りだした。

すると目を輝かせて、真剣に聞いてきた。

真剣に生きる立派な子だなあと感心しながら、わしは話をしていた。

大島優子はAKBの中で唯一、女を意識できる存在だから、
どうしても私的な思いとしては卒業してほしくない。

だってAKBは「会いに行けるアイドル」だから会えるのであって、
女優になったらもう会えないだろう。

そもそも優子がいなけりゃ、AKBにこんなに嵌ることはなかった。

優子が卒業したら、
わしはあとはひたすら自分の娘や孫たちの成長を見守る
「公的」な感覚になってしまう。

まゆゆやみおりんにだって、
「聖」なる「純粋アイドル」に対する眼差ししかなく、
「私的」な妄想は湧かない。

これはさすがに若者には理解できない感覚だろう。

だが、大島優子本人のことを考えれば、「私的」な執着は断ち切って、
目いっぱいあたたかく送り出してあげなければならない。

秋元康氏は、前田敦子のときに負けない、最高の舞台を用意してあげてほしい。

泣くかもしれないから、見に行きたくないような気もするが・・・

 

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