昨日のライジング配信以後、賛成にしろ、反対にしろ、コメント欄に感情でなく、論理で書いてくる者が圧倒的に増えて、わしはすごく好感を持った。
なんだ、みんな頭いいな。 

反対意見の中で、なるほどと思ったのは、「記者だけでなく、顧客と関係を作る必要がある仕事すべてに女性がセクハラに合う危険性がある」という意見だ。
「他社との競争がある以上、企業は男の権力者と関係を作るために女性を活用することは仕方がないし、今後も変わらない。会社のやり方が変わらない以上、男の側が変わっていくしかない」と投稿者は言う。

男の意識を変えるための生け贄に、福田事務次官がなればいいという意見だが、わしは生け贄論は野蛮だと思う。
なにしろ被害者が現れないし、被害者がいるのかどうかも分からない。
週刊新潮とテレビ朝日って、そんなに信用度が高いのか?
Me too」と名乗り出た人はいないのだ! 

セクハラをなくすために、システムを変えるか、男の意識を変えるか?という選択ならば、システムを選ぶ。
企業が女性をくノ一で使うシステムを止めさせなければならないのだ。

わしも男の意識・脳内を変えて、セクハラをなくすという努力はしている。
だから「Me too」運動にも賛成だと表明し、作品にもずっと描いてきた。

だが、男の脳内はロボトミー手術でもしなければ、そう簡単には変わらない。
わし自身が男尊女卑の風土で育って、60過ぎてやっと女性蔑視の社会に腹が立つようになってきた。
ところが国会議員・官僚からネトウヨまで、女性蔑視を平然とやっているのは、わしより年下の男どもが膨大にいるのだ。

そしてジャーナリストにはやはり「覚悟」が要る。
誰かが書いてたが、週刊文春の記者のように、他人のプライバシーを暴きながら、自分のプライバシーだけは組織に隠れて守るという態度は、卑怯と言うしかない。

欧米では、名乗り出て「Me too」と言っているのに、日本では組織に隠れて名乗り出ない。
やっぱり日本の女性記者なんて美貌だけで会社に利用されてる「個」がないパーチクリンに過ぎないのだ。

「自分が志望した業界はジャーナリズムである。」
「社会正義を達成しなければならない使命がある。」
そう考える記者ならば、森友・加計学園の取材に行って、突如、取材目的をセクハラに変更し、隠し録音をして、他社に持って行って、発表させるなんて、デタラメな行動をするはずがない。

わしはそんな女性記者には全然、感情移入できないのである。

 

 

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