無知を擁護する奴らがやっぱり出てきた。
30代後半で憲法9条も知らないとなると、小学生以下である。
それなら議論の進行を妨げてはならない。
謙虚に聞きながら、議論の流れで把握すればいいし、最後まで分からなければ帰宅して、すぐ勉強すればいい。
わしは「朝ナマ」に出るときはそうしてきた。
無知は恥である。
無知を誇ってはいけないし、無知のまま尊大に話す態度を勇気などと褒めてはいけない。

「ゴー宣道場」には小学生から、中高校生も来る。
彼らは学校で教えてもらえないことを知りたくて来るのだ。
たまたま『ゴーマニズム宣言』を読んで、知識に目覚めた少年少女が「ゴー宣道場」にやってくる。
これこそ勇気である。
中には質疑応答の時間で、挙手して質問してくる子がいる。
恐るべき勇気だ。 

わしはこのような知識欲に溢れた少年少女には、全力で説明する。
天皇制についてだろうと、安全保障についてだろうと、わしは徹底的に分かりやすく説明する。
ただし、そのやり取りは質疑応答の時間にやるもので、大人の議論の途中にやるものではない。

「ゴー宣道場」にやってくる少年少女は、難しい議論の最中でも居眠りせずに「聞いているふり」をしている。
そこがえらい!
じっと聞いているふりをしていれば、何かのはずみに分かってしまう瞬間が来ることがあるし、どうしても疑問なところは質疑応答の時間に訊ねればいいのだ。

昔、『戦争論』をテーマに「朝ナマ」で議論が行われたときには、大島渚から「商売のために描いてる」と、ものすごく激怒された。
野坂昭如には、「どこかで小林よしのりに会ったら、ぶん殴ってやる」とテレビで公言されたものだ。
当時の大人たちは恐かった。
それこそ人生賭けて言論している大人ばかりだったので、無知なままではいられなかった。
そういう先輩たちがわしを鍛え上げてくれたのだ。 

今は本当にダメだ。わしが厳しくしようとしても、すぐ擁護するアマアマの大人がいる。
わしの『民主主義という病い』を読めばいい。
民主主義が堕落してくると、大人をなめた無知な若者が出現し、若者に媚びる大人が続出して、国を危うくするということが分かるだろう。
古代ギリシャの直接民主政の時代から繰り返された現象なのだ。
無知は恥である。罪でもある。
だからわしは今でも本を読み、勉強をし続ける。

 

 

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