理作氏が「ゴー宣道場」のブログを見てくれていて
良かった。
(理作氏ブログ「恥をしのんで」)
たまには書いてくれた方が、忙しいんだということが
分かるから安心する。
そして映画製作によっぽど情熱が芽生えたということも、
理解できる。
長文を書くと時間がかかるだろう。
短い文章でもいいから、現状、何してるかだけでも、
たまに書いてくれ。
昨日は、理作氏は欠席だったが、「ゴー宣道場」の
師範方で集まったのが久しぶりのような気がして、
ワイン飲み過ぎて陽気になってしまった。
給仕が全員イタリア人の女性だったから、陽気も許される
と思ったのだが、意外に物静かなイタリア人だったな。
料理は美味かった。
しかし、言論の自由、潔癖社会をテーマにしたら、
近年ないほど応募者が少なかった。
前回の堀辺師範の追悼より少なかった。
どうやら人々は「言論の自由」に対して切実な興味を
持っていないようだ。
中国や北朝鮮に比べたら「言論の自由」はあるから
大丈夫、というくらいにしか感じないのかもしれない。
ネット社会ゆえの「言論の自由」の乱用で、不謹慎狩りや、
芸能人バッシングなど、他人に潔癖を強いる圧力が
強くなっている時代背景にも、興味がないらしい。
社会のすべての問題点が、いちどきにわっと熱く
生起して、一瞬で冷えて過去のものになっていく。
恐ろしいほどのニヒリズムだが、それを恐ろしいと感じる
感性まで消滅しているのだろうか?
わしはある意味、今、理作氏が自分の映画製作に情熱を
掻き立てられる気持ちが分かる。
「公論」よりも「私の趣味」の方が楽しくなっているのかも
しれない。
これは理作氏を批判しているのではなくて、日本人の
感覚が「私ごと」に収縮し始めているのかもしれない。
実際、わしも完全なフィクションである『おぼっちゃまくん』
を描いてると、楽しい。ストレスが溜まらない。
人々は、政治状況に、閉塞感を覚え、ニヒリズムに浸り、
フィクションに逃避したくなっているのではないだろうか?
わしがテレビドラマを以前よりずいぶん多く見るように
なったのも、そういう心情がわし自身の中にも生まれて
いるからかもしれない。
政治の時代は終わったのだろうか?
朝日新聞や、左翼方面が、今度勝たせたら憲法改正に
なるぞと、いくら焦っても、安倍政権はもうどうしたって
安泰なのだろう。
だからもう天下国家も社会問題も考えたってしょうが
ないのだろうか?
それでも考えたいと思う人々が、「ゴー宣道場」に参加の
申し込みをしてくれている。
まずはその人たちと一緒にやっていこう。
我々の考えをとことん聞いてもらって、参加者がどう
考えるかも、聞いてみよう。
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