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落合陽一自身が読み解く『魔法の世紀』
第2回 エジソンはメディアアーティストである
(毎月第4火曜配信『魔法使いの研究室』)
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.3.22 vol.546
先月から始まった、『魔法の世紀』を落合陽一さん自らが読み解く自著解説。今回は「第2章 心を動かす計算機」を扱います。『魔法の世紀』で触れられたメディアアートの歴史に加えて、“ツクバ系”のアーティストを紹介。さらに本の中で書かれた「原理のゲーム」について、さらに一段と深まった思索が語られます。
▼『魔法の世紀』第2章の紹介
「第2章 心を動かす計算機」では、マルセル・デュシャンを始祖とするコンテンポラリーアート、さらにナム・ジュン・パイクら20世紀後半に力を持ったメディアアーティストたちの作品の足跡を辿ります。なぜいま「文脈のアート」は衰退したのか。そして、21世紀のアートを駆動する新しいルール「原理のゲーム」は、どのような表現を可能にするのか。20世紀の前衛芸術の歴史を踏まえつつ、その先にある「魔法の世紀」が刷新するアートのポテンシャルを予見します。
【発売中!】落合陽一著『魔法の世紀』(PLANETS)
☆「映像の世紀」から「魔法の世紀」へ。研究者にしてメディアアーティストの落合さんが、この世界の変化の本質を、テクノロジーとアートの両面から語ります。
▼プロフィール
落合陽一(おちあい・よういち)
1987年東京生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程を飛び級で修了し、2015年より筑波大学に着任。コンピュータとアナログなテクノロジーを組み合わせ、新しい作品を次々と生み出し「現代の魔法使い」と称される。研究室ではデジタルとアナログ、リアルとバーチャルの区別を越えた新たな人間と計算機の関係性である「デジタルネイチャー」を目指し研究に従事している。
音響浮揚の計算機制御によるグラフィクス形成技術「ピクシーダスト」が経済産業省「Innovative Technologies賞」受賞,その他国内外で受賞多数。
▼放送時の動画はこちらから!
放送日:2016年2月17日
今回は、『魔法の世紀』第二章に当たる「心を動かす計算機」をテーマに放送します。
なんだかよくわからないタイトルかもしれないですが、基本的にはメディアアートの話です。今回は、コンピュータや「魔法の世紀」の価値観を基軸に、現代アートからメディアアートへとつながっていく展開を整理し直していこうと思います。
■20世紀に台頭した「芸術を問いかける芸術」
日本では西周という哲学者が、英語のリベラルアーツを「芸術」と訳したのですが、この芸術という言葉が何を指しているのかはなかなか難しいです。例えば、美術と芸術はやっぱり少しニュアンスが違います。美術は主にビジュアルアート、視覚芸術を指す言葉ですし、実際、社会の要請としては「美術」という言葉は最近「デザイン」としての意味合いの側面が強くなっていると思うんです。どうすれば人間が美しいと感じるかの最大公約数的な部分を探ったり、人間が美しいと思える漸近線のあたりを狙ったり、という試みをしているようなところがあります。
一方で、「芸術」の方はといえば、より文化的活動全般を指すような言葉になりだしています。例えば、マルセル・デュシャンの作品は今、「美術」という呼び方にはそぐわないけど「芸術」ではある。そんなような感じがします。また、近頃では視覚の枠組みの中に閉じた作品も少なくなっているので、芸術という方がジャンルを回収しやすいのではないかと思います。
とすれば、「芸術」という文化的な枠組みは一体何なのか――この禅問答のような問いかけに、どう答えていくかが重要になってきます……というところで、まずは二人のアーティストを紹介します。一人は、ジョン・ケージ(画像右)。「4分33秒」という無音の音楽を作曲した人です。
もう一人は、先ほど名前を挙げたデュシャン(画像左)です。
この二人は、ともに「メタ」的な発想で芸術をしていた20世紀の芸術家です。
まずデュシャンの作品といえば、男性用小便器を横にした、俗に言う『泉』が有名です。本当に和訳すると『噴水』なのですが、これが俗に言うレディ・メイドというものです。
レディ・メイドというのは、端的にいうと「既製品に文脈をつけることで、芸術作品として評価することが出来るんじゃないか」という試みです。逆に言えば、「このトイレが芸術作品ではないとすれば、それはなぜか?」と問いかけているということでもあります。
これ、なんとなく「アートでしょ?」と言われたら、アートな気がしますよね。「いや、お前が作ったわけじゃないだろ」とツッコミを入れる人もいるかもしれないですが、じゃあ「アートは誰かがつくるのが本当に重要なのか」と改めて言われたら、確かに作者が重要ではない気もしてきませんか? まるで一休さんの頓智話のようです。
ただ、こういう「何を芸術にするのかを問いかけるのが芸術である」という発想は、現代芸術における一つの潮流になったものです。ジョン・ケージの『4分33秒』も同じ考え方ですね。オーケストラでこれを演奏するときには、4分33秒間、みんな黙ったままです。一応楽譜はあるので、ページをめくる音などの音は聞こえてくるし、わざと咳をする人もいたりする。
▲ジョン・ケージ『4分33秒』
これも「誰だってできるじゃないか」というものですが、20世紀のケージが活躍した時代にはとても重要なことでした。結局、これも「音楽とは何かを問いかける音楽」というところが重要で、その頃はこういう、まさに「メタ」な表現が芸術の最先端だったのでした。
■「日本画」の文脈から見る国内現代アート作家
こういうふうな考え方から、日本の現代アート作家を見ていくことも出来ます。
例えば、僕の大好きな作家に村上隆さんというアーティストがいます。彼は、日本の古典的なアニメーションや春画に見られたような「日本画」的な二次元表現を、どう現代風に置き換えるのかを考えてきた人です。
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