“えのすい”って本来は17時で閉館するんだけど、その閉館後の夜の水族館を使わせてもらったんだよね。昼間は通常の水族館の営業をしていて、夜は水族館をそのまま使ってアート空間にしている。メインの「花と魚」は、基本的に魚がすいすいと自由に泳いでいるんだけど、これもセンシングで魚が水槽の縁に近づくと花が散るようになっている。
▲Resonating Trees / 呼応する木々
この道を人が歩いていくと、木に近づいたときに色や音楽がインタラクティブに変わっていくんだよ。で、その木の光は、両隣の木とか対岸の木に伝播していく。だから、500メートル先とかから光の変化がやってきたりして、「あ、人がいるな」と分かるようになっているわけ。ロマンチックだよね(笑)。
……でも、いまはそんなでもないかな。というのも、もともとはあまり人気のない場所だったんだけど、アート空間に変えちゃったせいで人がすごい集まっちゃって、すごい派手になって有料の船とかが通るようになり始めちゃったらしい(笑)。
まあ、こんなふうにデジタイズドすることで、自然をそのままアートにしちゃおう、みたいなことをやっているわけ。もちろん、ここで言う「自然」は環境に近い意味だから、同じことを街でもやってみたいんだけどね。というか、そもそもこのモチーフが固まっていったのは、「PLANETS vol.9」で「オリンピックの開会式を街全体でやろう」と考えていたときだしね。
宇野 そうなんだ。
猪子 この企画を考えていたときに、「競技場のあるなしはあまり重要じゃなくて、デジタイズドすれば東京そのものがオープニング会場になるんじゃないか」と思ったんだよね。デジタル化することで全く新しい体感の都市にできるじゃないか、街をまるごと街のままアートにできるんじゃないかと思ったのね。
いまは自然のほうが面白いと思っているから、当面は自然でいろいろやっていきたいなあと思っている。
「自然」のもつ情報量の可能性
宇野 なるほどね。まず、この「デジタイズド・ネイチャー・アート・プロジェクト」って、前回までに見てきた作品群とは逆のアプローチをしているよね。つまり、ここまでの作品群は「人工物を自然物のように描く」という作品で、今回の作品は「自然物を人工物のように描く」っていうことをやっているというのは、一つ言えると思う。
その上でね、絶対に他のところからくるつまらない突っ込みだと思うから先に僕がわざと聞くとさ、なんで「自然そのもの」じゃだめなの?
だって「自然のほうが面白い」のなら単に美しい自然を眺めればいい、って言い出す人って絶対いると思うのね。チームラボの作品を見ないで、その理屈だけ聞いちゃうと。
猪子 確かに、昨日もある人にそのツッコミはされた(笑)。
でもさ、そういう言い方はすべての人工物を否定することにならない?
昔から人間は自然の力を借りながら、いろんな人工物を創ってきたわけだよ。彫刻のようなアートだけじゃなくて、小屋だって道路だって、全部そうだよね。あらゆる人工物は自然からつくられているわけでさ。そういう人工物の歴史から言えば、むしろ僕らはかなり自然そのものを活かした人工物をつくっていると思うよ。その、木や石を削って彫刻をつくるかわりに、自然そのものの力を借りて、自然をそのままにアートにしているんだよ。
宇野 なるほどね。すべての人工物=アートは自然の加工物で、普通のアートはたとえば木を切ったり貼ったりして、加工しまくっているわけだけど、チームラボの場合は波を当てているだけでなんで、木そのものの力を最大限使って、アートをつくっていることになると。
これらは石や木そのものの力を最大限に使った「アート」であると認識しているわけだね。
猪子 新江ノ島水族館では魚も作品になっているんだけど、やっぱりスクリーンやビルのような物質よりも、水や木や生き物のような自然物の方が、情報量が圧倒的に大きいなと思うんだよね。だって、生命を彫刻だと思ったら、その情報量は凄いわけじゃない。最高級のロボットですら比べ物にならないよね。
宇野 まあ、生命のほうが人工物よりも乱数供給源として優秀だよね。
でも、だいぶ猪子さんの作品の背景にある思想が見えてきたように思うね。つまり、猪子さんは従来の、モノを中心としたアートという存在に対して、加工しすぎることで自然の持つ情報量を殺す方向に行っていると考えている。ところが、その一方で現在のデジタル技術を使えば、自然が持っている情報量をそのまま活用したアートができてしまう。
そういう発想が根底にあって、この「デジタイズド・ネイチャー・アート・プロジェクト」が作られているんだね。
なぜモノではなく空間なのか
宇野 ちなみに、猪子さんは「庭」とかは好きなの?
猪子 すごい好きなんだよね。
宇野 まあ、空間があれだけ好きなら、庭も好きだよね。じゃあ、実際につくったことはあるの?
猪子 いや、ない。まあ、「Floating Flower Garden」は一応、庭のつもりでつくったんだけどね。
▲Floating Flower Garden – Flowers and I are of the same root, the Garden and I are one / Floating Flower Garden – 花と我と同根、庭と我と一体
宇野 よく言われる話だけれど、「自然 対 人工」の表現については二通りの考え方があって、一つは西洋みたいに完全に自然を支配して、飼い慣らしてしまおうという発想だよね。ところが、その対極として、まさに日本的な、庭の中に一つの人工的な自然をつくって、そこから先は自然に任せるという方向がある。そのときに、猪子さん自身は、自分のことをどっちに近いと思っているんだろう。
猪子 うーん。人間が造った街や庭にしろ、自然そのものの森にしろ……やっぱり、そこに物理的に介在せずにアートにするのが、少なくとも今は面白いんだよね。
宇野 なるほどね。ちなみに、俺の印象では、猪子さんというアーティストは、どちらかというと後者の日本庭園の思想に近い。
ただ、実はちょっと違うアイデアを考えている印象もあるんだよね。ここまで紹介された作品は、デジタルという質量のない波を当てると、自然の一部が人工物のように人間には見えてしまうことを利用しているんだよ。だけど、猪子さんがそこで抱いている興味は、現実の自然とは少し違った新しい世界を目の前に広げていくことにある気がしてるんだよね。
その意味で、俺にとって猪子さんは、日本的想像力をデジタルの力によって半歩ずらしている作家だし、だからこそ猪子さんは空間をつくるのが好きなんだろうな、とも思う。
猪子 うん、好き。
宇野 ただ、面白いのは平面の作品ですらも空間っぽいことだよね。展示の仕方からして、すでに空間を意識しているしね。
そうなってくると、なぜ猪子寿之はこんなにもモノじゃなくて空間ばかりをつくるのかは興味が湧いてくるんだよね。
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