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9.11でアメ車文化はどう変わったか
――バットモービルと「古き良きアメリカ」という理想
(根津孝太『カーデザインの20世紀』第3回)
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2015.10.22 vol.435
今朝のメルマガはデザイナー根津孝太さんの連載『カーデザインの20世紀』第3回です。
テーマは「バットモービル」。この想像上の車に宿る「アメリカの理想と夢」とは? 60年代のテレビドラマ版バットマンから、ティム・バートン監督らによる90年代の映画版、そしてゼロ年代以降のノーラン3部作へと至るデザインの変遷から「アメリカと車の関係」を読み解きます。
根津孝太『カーデザインの20世紀』これまでの連載はこちらのリンクから。
(◎構成:池田明季哉)
第1回は
ランボルギーニ・イオタ、第2回は
シュビムワーゲンと続けてヨーロッパの車について語ってきましたが、今回はアメリカ出身の空想上の車について語っていこうと思います。僕の大好きなバットモービルです。
バットモービルは、DCコミックスのヒーロー、バットマンの愛車全般を指す名称です。40年代のコミックスからはじまるバットマンの歴史の中で、その愛車であるバットモービルも時代とともに変化を遂げてきました。
バットモービルは、アメリカの車である「アメ車」の文化を色濃く反映しています。そんなバットモービルの歴史を紐解くことで、アメリカという国、そして個人の象徴としての車がどのように変わってきたのかということを、僕なりの視点から解説してみたいと思います。
▲歴代バットモービル。前列左から、アニメイテッド版(1992年)、『バットマン & ロビン Mr.フリーズの逆襲』版(1997年、ジョエル・シュマッカー監督)、実写ドラマ版(1966年)、『バットマン』版(1989年、ティム・バートン監督)、『バットマン・ビギンズ』以降の新三部作版・通称”タンブラー”(2005年〜、クリストファー・ノーラン監督)、『バットマン・フォーエヴァー』版(1995年、ジョエル・シュマッカー監督)(出典)
「アメ車」と言われたら、みなさんどんな車を思い浮かべるでしょうか。人によって異なるでしょうが、僕は60年代から80年代のデザインが真っ先に思い浮かびます。ものすごく大らかで、ちょっとドラマチックで、いい意味で大袈裟で……そんなドリームカーが、僕にとってのアメ車のイメージです。
90年代以降、世界中の車が均質化していると言われています。アメリカ車のデザインもいろいろな国のいいところを学んでインターナショナルになっているのですが、同時に個性も失われている気がしています。そんなふうに変わってしまう前、アメリカの車が最も個性的だった時代の、さらに究極のアメリカ車。その象徴的存在が、僕はバットモービルだと思うのです。
■大らかで大げさで夢見がちなドリームカー
それではそもそも「アメ車」とはどんな車なのでしょう。言葉通りにはアメリカで作られた車全般を指しますが、「アメ車」という呼び方はその独特の特徴を、親愛を込めて呼ぶものです。
アメ車の代表といえば、シボレー・コルベットのスティングレイでしょう。コルベットは1950年代にはじめて生産され、以降現在の7代目に至るまで連綿と続いている人気車種ですが、スティングレイはその2代目と3代目、コルベットC2およびC3の愛称です。
▲シボレー・コルベットC2”スティングレイ”。コルベットという名前の車としては2代目にあたる。1963年から1967年まで生産された。(出典)
このコルベット・スティングレイはアメリカのスポーツカーの象徴であり、みんなが憧れるような車でした。下の写真を見てもらえれば、そのままでも十分バットマンが乗り込めそうな雰囲気があることがご理解いただけるでしょう。
バットモービルは実際にコルベットをベース車にしているというわけではありませんが、デザインソースのひとつであることは間違いないと思っています。大きくボリュームのあるフェンダーが、キャビンに向けてきゅっとくびれているグラマラスなボディは、コカ・コーラの瓶に例えられ「コークボトル」なんて呼ばれていたりしました。こうした大胆さが「アメ車らしさ」のひとつの特徴です。
▲シボレー・コルベットC3”スティングレイ”。こちらは1968年から1982年まで生産された3代目。フェンダーからキャビンにかけてのダイナミックな流れはアメリカ車ならでは。(出典)
▲こちらは現時点での最新型である7代目、シボレー・コルベットC7。2014年より生産。C3以来に”スティングレイ”という名前が復活した。C2、C3を意識しながらも、現代的にアップデートされたデザインになっている。(出典)
そして下の写真は、実際にテレビドラマ版バットモービルのベース車になった、フォード社の高級自動車ブランドであるリンカーンのフューチュラというモデルです。
▲リンカーン・フューチュラ。1955年に発表されたコンセプトカー。未来的なデザインで話題となった。(出典)
ユニークなバブルキャノピーと垂直尾翼のようなリアのデザインは、どちらも当時最新鋭の「未来の乗り物」であったジェット戦闘機に範をとったものです。もっと極端なものだと、本当に大きな垂直尾翼を取り付けてしまったものもあります。
こうしたデザインは、言ってしまえば機能的な必然は全くありません。むしろ空力性能はものすごく下がっている。でも、どれもその派手さの中に、人をワクワクさせてくれる何かがありますよね。こうした未来的なデザインのアメリカン・ドリームカーが、アメ車のもうひとつの類型であり、バットモービルのもうひとつのモチーフです。
▲1960年代のテレビ版。はじめて実車として作られたバットモービル。(出典)
▲飛行機のような車。「速い」ことより「速そう」なことが重視されているデザイン。(出典)
僕がアメリカに住んでいるとき、ヴィンスという人と友達になりました。彼はいろいろな改造車を作っている人で、ティム・バートン版バットマン用のバットモービルなんかも作っています。他にも異様に長いリムジンや、ハリウッドスター向けの真っ白なグランドピアノがそのまま乗った車など、とにかくぶっ飛んだ車ばかりをデザインして作っていました。言わば、「夢の車」を実現していくアメリカン・カーカルチャーの一番面白かった時代を体現しているような人です。
▲ヴィンスの作ったユニークすぎるカスタムカーの数々。一番下の車は映画「フリントストーンズ/モダン石器時代」に登場したもの。「ステアリングが切れるんだよ」とヴィンスに自慢されたが、100m進んでほんのちょっと曲がるくらいだった。(写真は根津さん所蔵のもの)
これらの車はどれも60年代前後のものですが、びっくりするほどユニークなデザインですよね。では、どうしてこの時代に、こうした突飛なデザインがアメリカから生まれてきたのでしょうか。
■ 誰もが機能よりも「理想と夢」を追い求めた60〜80年代
最初にも言った通り、現代は車のデザインが均質化していると言われています。その理由のひとつに、空力性能の問題があります。車は空気を押しのけて走るため、できるだけ空気の抵抗が少ない形状にした方が走るために必要なエネルギーを節約でき、燃費も向上するんですね。
現代では風洞実験やコンピュータ上でのシミュレーションによって、空気抵抗の度合いを示すCd値を正確に測定できるようになりました。具体的な数字を誰もが共有できるようになり、それが燃費競争にダイレクトに影響することで、空気抵抗に最適化されたデザインになっていったわけです。みんなが「お利口さんな車」になってきていると言えるでしょう。
しかし60〜80年代はまだそこまでの解析技術がありませんでした。そのため「なんとなく空気抵抗が少なそう」というイメージ先行の形状が、そのままデザインの説得力に結びついた時代だったのです。
加えて、アメリカのモータリゼーションの独特な環境もありました。高速道路が整備され、フリーウェイがあり、駐車場も広くて、みんなが車を一台は持っている。そんな極端な状況があり、ガソリンも今に比べれば驚くほど安かったんですね。
アメ車は「エンジンひとふかし1リッター」「ガソリンを垂れ流しながら走る」と囁かれるほど燃費が悪いと言われていましたが、そんなことは大した問題ではなかったのです。こうした大らかな状況で育っていったのがアメ車なのです。
燃費を気にするという発想がそもそもなかったおかげで、アメ車のデザインは本当に「やりたい放題」でした。人々は車に、機能以上に「夢」を求めていたのでしょう。
「車が飛行機でもいいんじゃない?」――そういうものを作り手も作りたがっていたし、大衆も受け入れていました。今の目で見ればちょっとやりすぎに見えてしまうようなデザインも、「こうやって世の中は良くなっていくんだ」という人々の理想を体現していたから、自然に受け入れられていたんですね。
とはいえ、今やマスタングもフォードGTも、昔の良かった頃を思い出そうという思想で、過去のモチーフをもう一度持ってきています。アメリカ自身が、アメリカ車が一番輝いていたのはあの頃だったという自覚があるのかもしれません。
▲60年代のフォード・GT40と、2005年のフォード・GT。(出典)
■ 90年代、アメ車の「夢」はバットモービルに託された
こうした「理想」や「夢」の時代状況を背景にしたアメ車カルチャーは、80年代以降、急速に衰退していきます。70年代のオイルショックによる原油高騰や、ベトナム戦争の泥沼化、そして90年代初頭の湾岸戦争を経て、アメリカが抱いていた素朴な未来像は、粉々に打ち砕かれてしまいました。こうしたハッピーではいられない状況が自動車にも反映され、燃費が良く現実的なデザインの車がどんどん増えていったわけです。
「アメリカの理想と夢」を体現していたドリームカー――実車では実現不能になってしまったその遺伝子を引き継ぎ、フィクションの中で発展させていったのが、90年代の「バットモービル」だと僕は思っています。
下の写真は、ティム・バートンが監督した1989年『バットマン』および1992年『バットマン・リターンズ』に登場したバットモービルです。
▲バートン版。ティム・バートン自らがデザインした。コミックを参考に、威圧感を与えることを意図したという。ジェットエンジンの構造は永遠の謎。(出典)
羽が生えたリアのデザイン、そして前部が長く後部が短いロングノーズ・ショートデッキのシルエットは、「これぞアメ車」といった趣です。正面にジェットエンジンを思わせるエアインテークがあり、背面にはそのノズルがあることも特徴のひとつです。このレイアウトにするなら、インテークからノズルまでは全てエンジンになるはずで、どう考えてもバットマンが乗り込むキャビンが邪魔に見えます。「排気をキャビンを避けて左右に分け後部に流しているんです」と言えないこともないのですが、機能的にはあまり現実的とは言えないデザインになっているんです。
しかも、いざというときには車の左右が分離し、ミサイルのようなシルエットになるというギミックつき。まさに映画だからこそ成立するドリームカーです。
次の写真は、監督をジョエル・シュマッカーに交代し撮影された1995年「バットマン・フォーエバー」のバットモービルです。
▲フォーエバー版。内部構造が見えた外装に、派手な電飾が特徴。羽は三枚に増えている。(出典)
個人的な好みで言うと、僕はこのバットモービルが一番好きなんです。普通、車は外装で内装を包み込むシェル構造になっているのですが、これはシェルに穴が空いていて、内部が見えてしまっているのです。さらにボディから離れたフェンダーによって、全体のシルエットはほとんどミニ四駆のようになっています。しかもやたら電飾が派手で、あちこちから漏れる青い光が「バットマンここにあり」という圧倒的な存在感を放っています。
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