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人工知能は予防医学を支援するか?(石川善樹『〈思想〉としての予防医学』第5回) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.419 ☆

2015/09/30 07:00 投稿

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今朝のメルマガは予防医学研究者・石川善樹さんの連載『〈思想〉としての予防医学』の第5回です。今回は人間の脳における「大脳新皮質」と「大脳辺縁系」の違いに触れつつ、人間の創造性を支援する装置としての〈人工知能〉の可能性について考察します。

石川善樹『〈思想〉としての予防医学』前回までの連載はこちらのリンクから。


 まずは前回の議論のおさらいから始めます。


 私は前回、GHQがトップダウンで日本中に保健所を作り、衛生状態を改善する施策を行うことで、日本人の寿命をたった6年のあいだに25年も延ばすことに成功したことを述べました。しかし、1990年代に入り、状況は大きく変わりました。「地域保健法」が改正されてトップダウン型ではないボトムアップ型での保健行政が日本でも敷かれることになったのです。

 この新しい保健行政への転換は、地方分権の流れから来たものであると同時に、現代の予防医学が直面している問題に対応したものでもありました。
 前回に述べたように、予防医学には5つの柱があります。まずは、病気の原因を調査する学としての「疫学」と「統計学」、そして上下水道や都市デザインなどの都市計画に関わる「環境保健」、それから法律の制定や保健所システムの構築などの「政策の策定・運営」――この4つは昔ながらの公衆予防医学で、まさに戦後にGHQがトップダウンで行って、国民の健康管理の土台を作りあげたものです。
 しかし、現代の予防医学の抱える問題において重要なのは、5つ目の「行動科学」に関わる要因です。これは自由に個人が生活する際の「行動」に関わってくるものであり、トップダウンで国が命じるような健康の施策ではサポートしきれないものです。

 20世紀における予防医学は、まさに戦後日本のGHQの手法に典型的なように、トップダウン型の施策によって、感染症や脳卒中などの身体の健康における大きな課題を解決してきました。その結果、先進国の人々の問題意識は徐々に、人間の精神における「健康(health)」に移っています。
 その一方で消費社会の発展は、人々に自由な生活と多くの選択肢を与えました。行動科学にまつわる問題は、こういう状況でいかに予防医学の課題を遂行していくかに関わっています。しかし、そのための明確な手法はまだ確立していません。日本に関して言えば、地域保健法の改正から約20年の月日が経ったものの、このトップダウンではない保健についての明確なビジョンは現在もなく、混乱は続いているのです。


■ 人間の「快楽」は2パターンしかない

 この問題を考えるために、前回の最後に話したダイエットの問題から議論を始めましょう。

 ダイエットにおいては、「脂肪」と「糖」を中心とした「アッパー」な味覚の快から、日本のお出汁の文化のような「ダウナーな味覚」の快への変化が重要であるという話をしました。
 人間が感じる「快」というのは、脳の構造を見るに意外と単純なものです。大きくは、まさにこのダウナーとアッパーの二通りです。しかし、そのように人間の快楽が大きく二通りであり、前者から後者への移行が必要であったとしても、そのプロセスは決して単純なものではありません。

 というのも、私たちは各々の生活環境などから形成された「習慣」に縛られる生き物だからです。そのことは人間の脳の構造を見ると、よくわかります。
 人間の脳は三層構造になっています。まず、人間の大脳の外側にあるのは大脳新皮質と呼ばれる、新しい刺激に反応する部位です。これは理性やクリエイティビティを司る場所で、「人間らしい」と言われる活動の多くに関わっています。その内側にあるのは大脳辺縁系と呼ばれる部位で、ここでは人間の感情が司られています。

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▲大脳辺縁系(Limbic System)(出典

 この部位の役割は、さらにその内側にある大脳基底核と呼ばれる部位の役割を知ることで見えてきます。
 この大脳基底核は、人間の「習慣」を司っている脳の中でも最も古い部位です。そして、大脳辺縁系はこの大脳基底核を大脳新皮質から守るようにして包み込んでいます。大脳辺縁系の大きな特徴は、変化を嫌っており、それを本能的に恐れるようになっていることです。これは大脳新皮質が変化を好む部位であることを考え合わせると、習慣とはいかなるものかが見えてきます。

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▲脳の構造(出典

 脳という臓器は数億年をかけて進化してきた、人体の中でも非常に特異な臓器です。最も古い大脳基底核と、最も新しい大脳新皮質の登場の間には数億年の時間差があります。人間が環境に適応しながら、常に新しい事柄を学習して創造していく生き物になったとき、大脳新皮質はそれを司るものとして登場してきました。
 しかし、最も古い大脳基底核は「習慣」を司ります。これは人間ほど大きく環境が変化する中を生きていない多くの生物にとって、もっとも重要な機能です。自分の生息する環境において生存に適した習慣を日々繰り返していくことこそが、生き延びるために重要だからです。だから、そんな簡単に習慣が変化してはいけないのです。
 このふたつの矛盾の間で、大脳辺縁系は大脳新皮質の変化を好む影響が大きくなり過ぎないようにしています。変化を恐れるように感情をコントロールすることで、大脳基底核の「習慣」を守っているのです。

 以上のことを考えたときに、いわばダイエットにおける痩せる行動習慣の変化というのは、この数億年のジェネレーションギャップを超えて、未知の味覚を試したりすることで、新しい習慣を大脳基底核に与えていく作業であるといえます。


■ 行動習慣とコーディネート問題

 では、その新しい行動習慣に変えていく作業とはどういうものなのでしょうか。

 ダイエットの問題に即して言えば、最近の私が興味を持って研究しているのは、新しいレシピの可能性です。
 実は、「脂肪と糖分」と「うま味」の美味しさは、料理としてはかなり離れたところにあります。いきなり習慣を変えるのが難しいのは、そのためです。こういうときに行動科学の観点で重要になるのは、大脳辺縁系が抵抗感を覚えない程度に、徐々に習慣を変えていくことです。つまり、脂肪と糖分を中心にした食事と、うま味の食事の間を上手く橋渡しをするようなレシピができれば、人々を徐々にそっちの方向に誘導することができる可能性があるのです。

 ここで面白いのが、食文化においてはまだ多くの食材の組み合わせが試されていないことです。というのも、これほど膨大な食材が流通するようになったのは近年の出来事にすぎないからです。「脂肪と糖分」と「うま味」の美味しさの間には、実は膨大な新しい味覚が隠されている可能性があるのです。

 もちろん、これは食における習慣をどう変えるかという問題にすぎませんが、「人間はいかにして習慣を変えるのか」というより一般的な問題の一例でもあります。
 これについては、ある一つの問題に答えさえすれば、食にかぎらずファッションから住居、健康、あるいは音楽などの娯楽に至る様々な問題が一挙に解決していく可能性があります。それが――「コーディネート問題」です。

 例えば、ファッションを例に取りましょう。
 クローゼットの中にたくさんの服が入っていたとき、一体どの服を選べば自分はときめくのか……その問いに答えるロジカルな分析方法は、現在もまだ確立していません。
 食事についても同様です。
 冷蔵庫の中にいま存在している食材で、どんな組み合わせで料理を作るのが最も美味しくて健康的なのか……これもロジカルな分析方法は存在していません。
 世の中に言うクリエイティビティやイノベーションというものの多くは、組み合わせの妙で生まれると言われます。しかし、その組み合わせをいかに上手く行うかという研究はほとんどされてこなかったのです。

 これは「幸福」を考える上でも重要です。従来のテクノロジーは、人間が「早く目的地に着く」だとか「コスト低く情報にアクセスする」だとかの「効率化」を重視した観点から開発が行われてきました。
 しかし、現在の世の中で多少の効率化で生活を便利にしたところで、私たちがかつてほど幸福の度合いが上がることはあるのでしょうか。それよりも、普段の生活のなかで直面する、様々なコーディネートにまつわる意思決定を支援してくれるテクノロジーのほうが、よほど私たちの幸福に大きく貢献するのではないでしょうか。

 そして、ここで私が注目しているのが、近年の人工知能の発展なのです。


■ 人工知能は人間の創造性を支援するか?

 ――というのも、人工知能におけるフロンティアになっているのが、この大量の組み合わせのパターンを試していく領域だからです。特にこの大量の組み合わせのパターンを作ることで、機械が人間のクリエイティビティをどれだけ助けられるかという問いはとても重要なものとして認識されています。
 もちろん、最終的なクリエイティビティの判断は結局のところ、「これはイケてる」だとか「美味しい」だとかという感覚の問題に行き着くので、最後は必ず人間による判断に行き着くのだと思います。しかし、そこに至る無数の組み合わせの試行錯誤は、人間にはなかなか出来ないものです。

 この、人間の創造性にまつわる能力をコンピュータに補助・代理させていく発想を、「コンピューテーショナル・クリエイティビティ」といいます。


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