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視野は「何のために」広げるのか?
――日本に求められる
「E字型」人材とその育成について
(橘宏樹『現役官僚の滞英日記』第12回)
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2015.9.9 vol.406
http://wakusei2nd.com

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今朝のメルマガはイギリス留学中の橘宏樹さんによる現地レポート『現役官僚の滞英日記』最新回をお届けします。今回のテーマは「日英の教育観・人材観の違い」。日本とイギリスでまったく違う「大学教育とキャリアのつながり」に触れつつ、日本でしきりに叫ばれる「視野の広さが必要だ!」ということばの中身、そして今後本当に必要とされる人材と、その育成について考えていきます。

橘宏樹『現役官僚の滞英日記』前回までの連載はこちらのリンクから。


こんにちは。ロンドンの橘です。この9月1日にやっとのことで修士論文を提出し終わりまして、これで1年の全課程が終了したことになります。くたびれ果てて、深いため息をつくばかりで、「終わったー!」という幸福感がこみ上げてくるにはまだもう少し時間がかかりそう、という感じです。ぱーっと遊びに行こうにも、気温はぐんぐん下がって雨も冷たく、いつの間にか秋に突入しかかっています。もう半袖一枚では外に出られません。

1年目はロンドンの地の利を活かすためにも、政治・行政関係の勉強をしておりましたが、2年目は少し郊外にある、12世紀から続く古い大学の修士課程で、教育学・社会学の勉強をする予定です。教育を受けた効果はどのように社会や組織に還元されるのだろうか、されるべきなのだろうか、それをどのように測れば良いのかというあたりが中心的な問題意識です。
具体的には、たとえばイギリスでも昨今は投票率の低さが問題になっているのですが、小中高で投票義務や権利はどのように教えられているのか、それらが選挙に行かない人のやましさを増大させているかどうか、というようなことを日英で比較して研究してみようかなと、今のところは考えています。僕自身も国費によって教育を受けさせていただいているわけですが、官僚の国費留学の意義は、幕末〜明治維新期の「脱亜入欧」の時代からもだいぶ変わってきていると思います。


■ UCL-Japan Grand Challenge 2015

今夏は、まさにその脱亜入欧の時代、薩英戦争に敗北した直後、むしろイギリスから学んでやろうという薩摩藩士19人がUCL(ユニバーシティー・カレッジ・ロンドン)に留学してから150周年の年でした。これを記念して、鹿児島県内の高校生のほか、日本全国から応募した高校生約50名が式典に参加するとともに、UCLやケンブリッジ大学で現地高校生や大学生と約1週間にわたる研修を行うというイベントがありました。僕も(UCLの学生ではないのですが)ボランティアとしてお世話をさせていただきました。

(参考リンク)
長州ファイブと薩摩スチューデント
UCL-Jpan Young Challenge 2015 公式サイト(日本語)

研修で高校生たちは、現地の高校生や大学生でワークショップをしたり、博物館や美術館で感じたことを英語で発表したり、現地で活躍する日本人の大先輩や若手留学生らの苦労話や成功の秘訣を聞いたり、実際に大学教授らから模擬授業を受講したりと、盛りだくさんの課程をこなしました。

最初は、おどおどしていた上に英語も聞き取れない又はうまく話せなかったり、英語力の高い同級生を目の当たりにしてショックを受けたりして、へこたれていた子もずいぶんいました。
しかし、「国際的な視野を広げてもらいたい」「自分が得てきたことや、海外で勉強することの素晴らしさを伝えたい」という企画側の大人たちの熱意を、みなが素直に受け止め、それに応えようと再び立ち上がるプロセスを見て取ることができました。現状の自分と真っ直ぐに向き合い、できることをできる限り頑張ろうとするなかで、いつの間にか凛々しく逞しくなっていくようでした。「子どもたちのこういう姿を見ることができるから、教師の方々は仕事をやめられないんだろうな」と思いました。
ちなみにこの企画は、学生の国籍の多様性が高い方が大学ランキング評価もアップするので、学費の取りっぱぐれの少ない日本人留学生を増やしたい、だからより若い子供にUCLをアピールしたい、というUCLの経営側の思惑にもかなっています。来年以降もこの研修は継続的に実施されていきます。

さて、今回は、留学2年目の出発点に立ち、海外研修で一気に成長した高校生達を眩しく見守ったこともあって、留学することの意義、視野を広げることの意義、そして、広げた視野をどうすれば日本を良い方向に導けるのか、いま本当に日本に求められる人材像などについて、考えてみたいと思います。

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▲UCL-Young Challenge 2015 修了証書を持って記念写真。中央は企画責任者の大沼信一UCL教授


■ 学部と仕事

実際、つらつら1年間を思い返してみると、様々なネットワーキングや課外活動の場でも、やはり各国の教育制度の善し悪しはよく話題になっていました。特に、イギリス暮らしが長く、お子さんをこちらの学校に通わせている日本人の方々との交流の中では、日英で教育は、何がどう違うとか、うちの子はどうするつもりだ、という話もたくさん聞きました。大学で学んだことと職業との関係は、日本ではよく議論がありますよね。関係あるべきだとか、なくてもよいのだとか。社会で役に立つことを教えるべきだとか、純粋にアカデミックな方が良いのだとか。イギリスの教育論壇の動向をまだよく調べてはいませんが、僕が接したロンドンのイギリス人学部生やヨーロッパ系留学生の間では、大学の専門と就職は関係ないのが当たり前のようです。換言すると、大学の3年間(イギリスの大学は通常3年制)は、その3年間学びたいと思ったことを学ぶのであって、就職準備としては捉えられていないのです。「英文学の勉強をしたかったので、英文学科を出た。仕事は金融をやりたいので銀行に就職する」「美術の勉強をして商社に就職する」というのが全く普通なのです。ですから、大学での授業も演習も、教授は迷いなく純粋にアカデミックな内容を展開するようです。また、大学で何を学びたいか、ということについては、中学生の時から時間をとってしっかり考えさせられるそうです。みなさんは中学生の時、大学での専攻について考えていましたか?

ちなみに、就職活動も大学を卒業してから行うのが普通です。大学にはキャリアセンターなどは一応あって情報提供をしていますが、卒業生の就職支援にあまり熱心ではないようです。
そして、こちらの新卒の就職活動には厳しい現実があります。というのも、ヨーロッパの企業は普通、即戦力を欲していますから、新卒の若者は専門性の高い熟練労働者達と労働市場で競い合うことになります。「地頭」と「低賃金」しか競争力がない若者たちは、一流大学を出ていても、「どの分野で何をやっていきたい」などの贅沢はそうそう言ってもおられず、何がなんだかよくわからないような会社にとにかく雇われてみて、まずは3年間くらい働いてみることになります。
そして、その過程でいろいろ考えるなかで自分の専門分野を決めて修士課程に入り直し、卒業後はその分野で仕事をしていく、というのが、イギリスのホワイトカラーたちの最初のキャリアアップ方法のようです。日本のように新卒至上主義が強かったり、3年目での離職者の多さが「問題」になったり、エリートが有名大企業にまっすぐ就職して、勝ち組風の顔をしながら組織内でぬくぬくとしてみる、などというのとはだいぶ違うようです。

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▲ケンブリッジ大学構内にある、長州藩からの最初の留学生「長州ファイブ」を記念する石庭。5つの石が藩士を表す。灯篭は知の灯火ということでケンブリッジ大学の象徴。


■ 視野が広いのは本当に良いことか

「海外に出ると視野が広がる」「視野が広がることは良いことだ」よく言われます。反論する人もなかなか少ないと思います。しかし、視野を広げて帰国した人はいつも得をしているでしょうか。視野の広さで組織に貢献できているでしょうか。まず、視野が広い人、すなわち、(海外事物の)情報量が多く、多様な考え方がこの世にあることを知っていて、それゆえに決めつけを憎む、知的に慎重な人々は、より視野が狭い人たちが出す結論に対して疑問や異論を抱いたりしがちだと思います。
そして、視野が広い人たちは構造上、常に少数派になりがちです。もちろん、視野の広さを買われて意見を求められることもありましょうが、その真意が広くみなに理解されるとは限りません。ゆえに、良かれと思って色々学んできたのに、知見の活かせる場所の少なさから、孤立感や苛立ちが募ってストレスが増したり、それどころか嫉妬や羨望の対象となり「鼻持ちならない」「上から目線だ」と、いじめられる原因になったりするパターンも多かったりするのではないでしょうか。
さらに言えば、組織の側も「視野が広いことは良いこと」と謳う裏で、「海外経験の豊富な人は海外折衝や国際会議のある部署に配置すればいいや」くらいにしか考えていないことも現実には多かったりしないでしょうか。

そしてこれは、海外畑の人々だけではなく、閉塞・硬直した業界や組織内で、異分野、異業種の事例や発想法を導入したい人たちもまた直面しがちな悩みではないかと思います。「イノベーションには多様性が大事」「柔軟な思考、挑戦や試行錯誤が大事」という論説がビジネス論壇で今日もたくさん主張されていて、みんな頭ではそうだそうだと頷きながら消費しています。
でも、いざ重要な会議で、自分の知らない分野の知見を取り入れようという提案が出た時に、「へー」のあとは、「うーん…」となり、特段コメントもできず、なんかピンと来ないと、結局スルーしてしまうというのも、組織の現実だったりしませんでしょうか。
(ちなみにイギリス流では前回言及したとおり、「うーん…」のあとは、「わからないから、とりあえずやってみよう」「結果から猛烈に学ぼう」が定石のようです。(「無戦略」を可能にする5つの「戦術」~イギリスの強さの正体~(橘宏樹『現役官僚の滞英日記』第11回)

とはいえ、「視野の広い」人たちの方も、他人を視野狭窄だと批判しているだけでは不足だと思います。「イギリス『では』~だ」「アメリカ『では』~で」と紹介しているだけでは「日本では前提が違うから」と一蹴され、「出羽守(でわのかみ)」と揶揄されて終わってしまいます。


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