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ネットワーク時代の予防医学(予防医学研究者・石川善樹『〈思想〉としての予防医学』第2回) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.352 ☆

2015/06/25 07:00 投稿

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本日は石川善樹さんの連載『〈思想〉としての予防医学』第2回、「ネットワーク時代の予防医学」をお届けします。今回は「自己啓発」の歴史を振り返りながら、人間の〈意志〉と〈行動〉の関係、そして〈行動〉に影響を与える人間関係のネットワークの在り方について、最新の予防医学の知見を参照しながら解説していきます。

 
 
1.「自己啓発本」の源流をたどる
 
 しばしば、自己啓発本では高いモチベーションで物事を成し遂げていくことの重要性が語られます。こういう本に出てくるような意味での「意志」を最初に著したのは、英国の医者にして作家であったスマイルズであると言われています。スマイルズは、19世紀半ばに書いた『自助論』で欧米の300人に及ぶ成功者について書き記し、不屈の意志をもって物事を成し遂げることの重要性を語りました。
 
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 スマイルズがこういう著作を記した背景には、人類が都市文化の中で生きていくようになったことがあります。彼の言うような意味での「意志」とは、地域の規範を必ずしも守らなくても生きられる時代が来て、初めて登場した考え方だったとも言えます。
 ただし、スマイルズの『自助論』はあまりにもストイックな成功伝であり、そう簡単に真似できるものではありませんでした。それに対して、「もっとポジティブに行こうよ」という考え方で登場してきたのが、『思考は現実化する』の著者ナポレオン・ヒルです。彼が凄かったのは、スマイルズの『自助論』からさらに一歩考えを進めて、「では、その不屈の意志はどこから生まれるのか?」という問いを立てたことです。
 彼の結論は、それは願望の力である――というものでした。願望が強ければ強いほど、意志は強くなるというわけです。よく自己啓発本に、「自分が1億円を手にした姿をイメージしよう」みたいな言葉が出てくると思いますが、こういうふうに願望を具体化させて、意志の力を高めていこうと考えるのは、ナポレオン・ヒルに始まる発想です。現代の、「夢を持つのは良いことだ」という考え方の源流がここにある、とも言えるでしょう。
 
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 彼らの語るような「意志」や「夢」の機能は、今や私たちにとって特に珍しい考え方ではないくらいに浸透しています。
 しかし、行動科学の観点から言えば、夢を持つことは決して良いことばかりではありません。例えば、研究者の間で「偽りの希望シンドローム」と呼ばれる心理状態があります。そもそも人間が希望を抱くタイミングというのは大抵、落ち込んだときなのです。そういうときに手に取ると未来に希望を抱けるというのが、自己啓発本の一つの効用なのだと思います。
 しかし、基本的にはそういう希望の持ち方は危険です。なぜならば、高い希望を抱いたときに、脳はそれだけで満足するようにできているからです。オリンピックで一流選手たちの試合を見終えて、「よし、俺も明日から頑張るぞ」なんて思う人は多いですが、残念ながらそういう言葉は大抵、翌日には忘れられているものです。本来、行動というのはある種の不足感が生むものです。高い希望を抱くことは、かえって自分の脳を満足させてしまい、本当に取るべき行動を取るためのモチベーションを削ぐのです。
 また一方で、そういうふうに夢に向かって本当に邁進できるようになったとしても、なかなか到達することはできません。その過程は辛い一方でしかない――というのも、よくある話です。モチベーションを上げ過ぎるのは、決して幸福なことではないのです。
 
 実のところ、予防医学でも21世紀に入った頃、こういう「意志」の存在を前提にして研究が行われました。しかし、行動の変化に意志の影響がどの程度あったのかを定量化してみると、その影響を明言できるのはたった3割に満たない程度でした。人間がなにか行動を起こすときに、意志によらない影響というものが、実は8割近くを占めているのです。
 スマイルズが考えたような意志と、現実の行動の間にはどうやらギャップがあるようです。その間を埋めるものは――例えば、「習慣化」のテクニックかもしれないし、「楽しそうな感情」かもしれません。いずれにせよ、現在の我々は意志と行動の果てしないギャップを埋める作業をしているといえるでしょう。
 
 
2.意志と行動を埋められない
 
 少し議論が込み入ってきたので、ここからは行動科学の観点から、意志についての論点を整理してみたいと思います。行動科学では、意志は基本的に3つの要素からなると考えます。それは、「態度」、「規範」、そして「自信」です。
「態度」というのは、知識と言い換えたほうが分かりやすいかもしれません。ダイエットで言えば、「痩せるとこういういいことがあるぞ」と自ら思う姿勢のことです。それに対して、「規範」というのは「周りがそうしているから」という理由で、自分もそうするということです。そして最後の「自信」は、目指している行動がそもそも可能だと思っているかどうかです。
 行動科学では、この3つを切り分けた上で、これらが働くことで意志を形成しているという観点から分析していくのです。
 
 前回、肥満の友人関係ネットワークにおける影響で「規範」という言葉を出しました。もう一度おさらいすると、ある人が太った際には、その友達の友達の友達にまで肥満をめぐる「規範」の緩みが伝達されていきます。その数は、おそらくは数百万人にも及ぶとてつもないものでした。
 ここで言う「規範」という言葉は、上の行動科学の用法を踏まえたものです。そして、この「規範」がネットワークで伝染していくというのが、ネットワーク科学が明らかにしたことなのです。
 つまり、顔も知らない誰かの生活習慣が、皆さんの生活習慣に影響している可能性があるわけです。そして、こういう複雑な影響関係は、人間が自分の意志決定を全てコントロールできているという「幻想」を打ち砕くものです。具体的な問題として言えば、太ってしまった人が、「さあ、痩せるぞ」ということで「態度」や「自信」を抱いたとしても、今度は自分がその周囲のネットワークに与えた太りやすい「規範」によって、肥満しやすい生活習慣をなかなか改善できなくなってしまうのです。
 
 
3.ネットワークにどう接していけばいいか
 
 では、このように意志決定が複雑な影響関係のもとにあると分かってしまった状況で、私たちはどういうふうに対策を取ればいいのでしょうか。
 この肥満の問題については、一つ面白い解決策が見つかっています――それは、その人の友達の友達と一緒にダイエットをさせるという手法です。
 友達と一緒に……ではありません。友達の友達と一緒に、です。なぜかといえば、肥満している人の友人は既に肥満する生活習慣の影響を受けていて、その友人こそがリバウンドの要因であるからです。しかも、同じことはその友人にも言えて、痩せる生活習慣の影響をその友人に与えたとしても、今度はその友人が周囲のネットワークから影響を受けて、また元に戻ってしまうので、その影響を自分もまた受けてしまい……と、またもや肥満する生活習慣に逆戻りしてしまうのです。
 

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