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本日のメルマガは、好評連載『ウェブカルチャーの系譜』第5回です。
ふだんネットを使っていて、「なぜネット上で人々は(一見)利他的に振る舞うんだろう?」という疑問を抱く人は多いのではないでしょうか。今回はこの問題について、モースの『贈与論』のような学問的蓄積と、インターネット以降の様々な知見を接続しながら考えていきます。
稲葉ほたて『ウェブカルチャーの系譜』これまでの連載はこちらのリンクから。
なぜ人間はインターネット上で、一見して"利己的"とは思えない行動を取るのだろうか。
この問題について、一つの回答を与えているのが、エリック・レイモンドのオープンソースにおける古典的文書『伽藍とバザール』に続く一連の文書である。とりわけ、二つ目の文書『ノウアスフィアの開墾』では、レイモンドは「なぜ人間がオープンソースのプロジェクトに参加するのか」という動機の問題を解説している。『伽藍とバザール』が、オープンソースについて開発スタイルの具体的なあり方という、言わば「How?」の側面から大きく取り上げた文書だとすれば、この『ノウアスフィアの開墾』では、なぜ人間がそんな行動を取るのかという「Why?」を深掘っている。
その内容はウェブ上で全文が読めるが、その箇所の内容を端的に言えば、「仲間内の評判」を求めて、ハッカーたちはオープンソースに参加するというものだ。
その説明を、彼は「贈与文化」に求めている。レイモンドによれば、私たちの社会に広く普及している、中央集権型の再分配や貨幣による交換経済のような分業の体制は、希少な財をいかに配分するかの適応行動から生じたものである。だが、温和な気候で食料の豊富な地域や、あるいはショービズやセレブのような財があり余った世界では、現在も贈与文化が見受けられる。そこでは、文化人類学者マルセル・モースらが分析してきたように、気前よく他者に贈与を行うことで「仲間内の評判(名誉)」を得るためのゲームが発展する。
レイモンドの慧眼は、ハッカー文化にもこの特質が当てはまると指摘したことだ。
オープンソース・ハッカーたちの社会がまさに贈与文化であるのは明らかだからだ。そのなかでは「生存に関わる必需品」――つまりディスク領域、ネットワーク帯域、計算能力など――が深刻に不足するようなことはない。ソフトは自由に共有される。この豊富さが産み出すのは、競争的な成功の尺度として唯一ありえるのが仲間内の評判だという状況だ
そして、ここからレイモンドはオープンソースにまつわる様々な慣習について、贈与経済の特質と英米慣習法における土地所有権の理論から説明を加えていく。この文書を編著『角川インターネット講座 (10) 第三の産業革命経済と労働の変化』(角川学芸出版・2015)で紹介した山形浩生は、序文において本書をこう説明している。
「フリーソフト/オープンソースのもたらす動機の分析として、いまだに本論を超えるものはないとぼくは思う。(中略)急に有名になったあらゆる現象の常として、フリーソフト/オープンソース運動にもそれなりの誤解がついてまわった。何やらソースコードさえ公開すれば、どんなソフトでも誰かが勝手に開発や改良を引き受けてくれるとか、オープンソースの旗を掲げればどんなソフトでも誰かが無料で開発してくれるとか。もちろん、そんな虫のイイ話はない」
オープンソースという運動は、もちろんネットワーク技術の特性が可能にしたものだ。だが、可能であることと実際に機能することの間には大きな開きがある。オープンソースの参加者に働く独自の法則性のようなものを知らねば、掛け声だけが虚しく響く結果に終わる。当たり前の話といえば、当たり前の話である。
しかし、この文書の認識の凄みは、まさにそんな単純な事実を鋭く指摘した点である。インターネットは、いつも「自由」と結びつけて語られがちだ。だが、私たちはそこにおいて、「いかなる行動でも取れる」というわけではない。これは、パソコン通信やインターネットが登場したことで見えた、人間についての一つの知見である。この文書の面白さは、プログラマのような合理性を尊ぶ人々が、いわば「未開の」社会の現象として観察されてきた行動原理にぴたりと当てはまる振る舞いを、まさに合理的であるがゆえに選択していることなのである。
3つの関係意識の不変性
さて、前2回において、私は1985年の電気通信事業法の施行以降に登場した、ダイヤルQ2をめぐって登場した言説から、3つの関係意識を抽出してきた。
この1対ゼロ・1対1・1対Nの関係意識というのは、1対1の通信を行うアーキテクチャである電話の分析において取り出してきたものだ。今回は、これをインターネットの議論に繋げるための準備作業を行いたいと思う。そのためにまず確認しておきたいのは、この3つの関係意識がインターネットのようなN対Nの相互に絡み合ったネットワーク構造においても強く残存しているという事実である。
例えば、インターネットの黎明期から、「ネット上の発言は常にオープンの場に曝されると意識せよ」や「双方向性の時代なのだから、オープン性を拒否するのはインターネット的ではない」などの言説が繰り返し登場する。事実、このオープン性を称揚する思想は一見して、インターネットという技術から自然に導かれるものに見える。
だが、そのような発言はインターネットの可能性をむしろ過小評価している。一方で、インターネットにおいては黎明期から「暗号化」されたプライベートな通信への希求もまた、強烈に存在してきたからだ。スティーブン・レビーが著作『暗号化』に書き残したように、必ずしも衆人環視のもとで行いたくない欲望もまた、人々はインターネットに込めてきたのだ。その欲望と黎明期の技術者たちの情熱こそが、「暗号化」の技術にまつわる米政府の妨害を退け、電子メールや電子商取引を可能にしたのである。
実際、前回に浅羽通明氏にまつわる議論で提示した、ECサイトやクラウドソーシングを用いて市場の中で孤独に閉じていく「1対ゼロ」の生き方とは、暗号化技術にもとづくオンライン決済なしにはありえない。また、携帯メールやLINEのように、新しい「1対1」関係の結び方もインターネットは可能にした。そして、オープンな場においては、ニコ動の歌い手やキャス主、ユーチューバー、あるいは地下アイドルブームの隆盛など、プチカリスマを大量に生成する装置としての機能(「1対N」)もウェブ以降のインターネットが果たしてきたのは言うまでもない。
だから、私たちは事実を注意深く見なければいけない。ダイヤルQ2をめぐる電話論が提示してくれた関係意識の系譜は、後世にも残り続けている。だが一方で、1対1のアーキテクチャで物理的に閉じていた電話と、N対Nのネットワーク構造を扱うインターネットでは、やはり状況が異なってくる面もある。そこで、ここからは論の構成を、よりネットワーク上での情報のやりとりに向いた形に置き換えたいと思う。
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