宇野常寛書き下ろし『「母性のディストピア2.0」へのメモ書き』第1回:「リトル・ピープルの時代」から「母性のディストピア2.0」へ
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2015.1.6 vol.234
http://wakusei2nd.com『ゼロ年代の想像力』から7年、『リトル・ピープルの時代』から3年――。2015年の「ほぼ惑」は、批評家・宇野常寛の次なる著作『母性のディストピア』単行本化に向けた連載を配信します。カルチャー批評や情報社会論にとどまらず、より長いスパンで「戦後日本の文化空間とはなにか」を問いなおしていきます。
「母性のディストピア」を放置した理由
こんにちは。これからしばらく、不定期で新著の準備のためのメモ書きというか、エッセイのようなものを連載していきたいと思います。新著と言っても、それはもう5年も近く前に文芸誌に連載していた「母性のディストピア」という評論を単行本にする企画なので、個人的にはむしろ懐かしい名前だったりします。
既に十三回分の連載原稿があるのだから、さっさとそれをまとめて本にすればいい、と思う人も多いかもしれません。しかし、そうはなかなか問屋がおろさない。なぜかというと、まずは当時の連載で僕が扱っていた問題の何割かは4年前に出した僕の代表作「リトル・ピープルの時代」で扱ってしまったという事情があります。少なくとも、大幅なリライトをしないと内容的にセルフリメイク感の強いものになってしまうことは間違いありません。これはほとんど、僕と出版社の関係の問題というか、僕の仕事計画の問題でそちらの企画が先に出版されてしまったので、この企画は割りを食ってしまったという身も蓋もない話があります。そしてもうひとつ、「母性のディストピア」の単行本化に慎重になった理由は、この連載で僕が扱ったテーマのうち、「リトル・ピープルの時代」で扱わなかったものがいまの自分にとってあまり大切なものではなくなってしまった、ということが挙げられます。
「リトル・ピープルの時代」回顧
少し解説しましょう。「ゼロ年代の想像力」以降、僕が考えていたことは大きく分けて二つです。ひとつは、「大きな非物語」をどう記述するかという問題、もうひとつは「政治と文学(社会と個人)」の新しい関係をどう記述するか、という問題です。かんたんに言い換えると、かつてのように個人と社会が物語によって結ばれなくなったとき、社会をどうイメージするのかという問題と、人間は世界とどう関わるのか、という問題のふたつです。「リトル・ピープルの時代」はこの二つの問題について、震災と村上春樹と仮面ライダーを素材に考えた本だと言えます。
2011年の3月、この国を襲ったあの震災は、大方の予測とは裏腹にかつての敗戦のようには機能しなかったはずです。個人がそれをどう評価するかはともかく、敗戦という物語は国民の大半が共有し、少なくとも文脈共有のレベルでは日本をひとつにしていたのに対して震災のそれはむしろこの社会が既にばらばらであることを露呈させたわけです。東北、関東、西日本といった地域差はもちろん、福島の原子力発電所事故への評価は無数の陰謀論を産んでもはや収拾がつかないレベルに達しています。
あるいは、かつての敗戦が1945年8月の前と後ですっぱりとこの国を書き換えたのに対して、この震災は決定的な変化を社会にもたらすことはないが、しかしその前後では確実に変化が起こっている、といった奇妙な状態を僕たちにもたらしています。長く続く余震や、長期化する被災地復興、特にその処理に数十年を要する原発事故の性質もあり、日常の中に非日常的なものがランダムに現れるような感覚が常態化しています。
要するに、横の広がり(空間)においても、縦の広がり(時間)においても、現代において僕たちは少なくとも70年前のようなかたちで大きなもの、国家や社会をとらえてはいない。では、それはどのようなかたちを取っているのか、そしてこうした世界で僕たちはどこに社会に関与していく根拠を得たらいいのかという問題を扱ったのが「リトル・ピープルの時代」です。
ただ、今振り返ると――これはむしろ僕がこの本を自分の代表作だと思っている理由なのですが――この本の大半は後者に、つまり、「大きな非物語」が支配する世界の構造(を人間がどう捉えるか)を記述することではなく、むしろそうした新しい世界をどう生きるのかという問題を「正義」の問題として考えている部分の記述が圧倒的に多い。
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