【『P9』掲載予定の記事を先行公開!】
2020年「原宿聖地化計画」
――概念としての原宿から本当の原宿へ
(増田セバスチャン・インタビュー)
2020年「原宿聖地化計画」
――概念としての原宿から本当の原宿へ
(増田セバスチャン・インタビュー)
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2014.12.2 vol.213
本日のほぼ惑は、来年1月末発売予定の『PLANETS vol.9』(P9)掲載予定の記事を先行公開! おなじみアートディレクターの増田セバスチャンさんに、「2020年に向けて原宿と”カワイイ”カルチャーはどうなっていくのか?」を聞いたインタビュー記事をお届けします。
『PLANETS vol.9(東京2020)』その他の先取り記事はこちらから。
かつて、原宿という街はユースカルチャーを牽引する場所だった。1970年代、暴走族排除のために施行された歩行者天国は、その意図とは裏腹に若者を引き寄せる場として機能した。「竹の子族」から始まり、80年代の「ホコ天バンド」、90年代から2000年代前半にかけての「裏原宿」「ロリータ・ファッション」など、様々な若者文化を生成してきたのだ。
2011年にはきゃりーぱみゅぱみゅが「もしもし原宿」でブレイク。増田セバスチャンがアートディレクションを手がけたMVはYouTubeで瞬く間に拡散され、一気に原宿のポップアイコンとしての地位を確立した。
ちなみに、画像共有SNS・Instagramで「KAWAII」を検索すると、900万以上の投稿が見つかる(ちなみに「Anime」は約1800万、「Otaku」は約450万)。きゃりーの躍進、世界的なアイコン化により、原宿「KAWAII(カワイイ)」カルチャーはアキバのオタクカルチャーと双璧をなす「クールジャパン」の観光資源となったのである。
現にフランス・JAPAN EXPOなど海外の日本フェスではアニメやゲーム、マンガといったオタクカルチャーと同等にロリータ・ファッションなどの「カワイイ」カルチャーを愛好する若者が集っている。現実の街としての原宿ではなく、概念としての「HARAJUKU」も拡散し、世界各地で「HARAJUKU」の名が付くショップ、サークルや集会も誕生しているのだ。
ではその一方で、現実の街としての、「HARAJUKU」のオリジンとしての「原宿」は、来るべき2020年に向けてどうアップデートされるべきなのか? ゼロ年代以降のカワイイカルチャーをリードする増田セバスチャン氏に、その展望を伺った。
▼プロフィール
増田セバスチャン(ますだ・せばすちゃん)
1970年生まれ。アートディレクター/アーティスト。6%DOKIDOKIプロデューサー。1995年に"Sensational Kawaii"がコンセプトのショップ「6%DOKIDOKI」を原宿にオープン。2009年より原宿文化を世界に発信するワールドツアー「Harajuku"Kawaii"Experience」を開催。2011年きゃりーぱみゅぱみゅ「PONPONPON」PV美術で世界的に注目され、2013年には原宿のビル「CUTE CUBE」の屋上モニュメント『Colorful Rebellion -OCTOPUS-』製作、六本木ヒルズ「天空のクリスマス2013」でのクリスマスツリー『Melty go round TREE』を手がける。2014年に初の個展「Colorful Rebellion -Seventh Nightmare-」をニューヨークで開催。
◎聞き手:宇野常寛/構成:藤谷千明
写真:GION
■原宿に聖地的なモニュメントを
――増田さんは「原宿」という言葉は、単なる街の名前というだけではなく、ある種の「概念」として世界中に広まっていると仰ってますよね。2020年のオリンピックに向けて、原宿という街は大きく変化するとともに、「概念」としての原宿も変化せざるをえないと思います。
増田 原宿という街には代々木競技場もあります。つまり東京オリンピックのお膝元ですよね。観光地化はすでに急ピッチで進んでいますし、外国人のお客さんも増えています。「文化的な“概念”としての原宿」化というのは上手く行ってるんじゃないかな。
――外国人観光客の目的は何なのでしょう、たとえば「ファッションアイテムを買いたい」のか「原宿のカラフルな子たちを見たい」のか。
増田 ニューヨークのタイムズスクエアだって、何かがあるわけじゃないと思うんです。「とりあえず原宿行っとこう」、みたいな人が多いのでは。その意味で「原宿」は、世界ブランドとしては確立されている気がしますね。
――オリンピックに向けて再開発も進みますが、「官」の手が入ると「街」の魅力も変質してしまうのではないでしょうか。
増田 「原宿」が形骸化してるところはありますね。1990年代の歩行者天国があったときの原宿には街のエネルギーがあったように思えたけれど、今はそういうのが無害化して、「ここから何かが生まれる」というよりは「メジャーシーンに躍り出た」というか。生命体としての街のエネルギーみたいなものは、原宿から失われ始めているんじゃないかな。
――京都や浅草の場合、そこにかつて文化があり、それが成熟してある意味「終わった」からこそ、観光地として機能しているわけですよね。街としての「原宿」もその段階に入っているのでは。「原宿」という街の役割は、世界中の人間が憧れている「原宿的なもの」「カワイイ」の巡礼の場所というか、象徴としての意味の方が大きくなっている、6年後はますますそうなりますよね。
増田 僕がこういう発言をすると語弊があるかもしれないけど、もしかしたら……これから原宿という街からは新しい文化が生まれないかもしれません。
――オリンピックの時に、「パパは陸上競技を見てるけど、私は服を買いたい」という女の子が原宿にたくさん来たとして、そこで新しいドキドキするものに出会えたという想いを持ち帰ってもらわないといけないと思うんです。「来て良かった」と思えるような街にすることが、原宿的なものに関わるプレイヤーの使命じゃないでしょうか。
増田 「原宿」のプレイヤーが次にやるべきことは、ある意味で聖地的な、モニュメントを作ることだと考えています。今「タイムアフタータイムカプセル」っていうアートプロジェクトを構想しているんですよ。「タイムカプセル」って、そもそもの発祥は欧米なんですけど、実は定番になっているのって日本くらい。日本人だけが校庭に埋めるんです。
それは面白いなと思って、世界中でタイムカプセルを作るプロジェクトを進めているんですよ。世界各地の「原宿」を愛する子たちが未来に送るものをタイムカプセルに詰めて、それを集めたものを原宿のモニュメントにする。全世界の原宿ファンの若い人のエネルギーの象徴みたいなもの、みんなが巡礼できるようなものを原宿に作れないか、そういうプロジェクトです。概念としての原宿から、本当の原宿へ、全世界の人が想いを込めてできた「原宿」を作る。一度壊れた原宿で何ができるかという、ある種の挑戦ですね。
――90年代の原宿カルチャーとは、言ってしまえば「渋谷」的なメインカルチャーに対してのオルタナティヴだったからこそ、その土地にとらわれず結果として世界中に拡散していった。その原宿の本質をもう一回取り戻すために、2020年に何かを示してあげるべきですね。
増田 「原宿」カルチャーは、「この独特のファッションは自分たちのものであり、他にどこにもない」という各人の強い思い入れで成り立っています。だからSNSなどによってカルチャーそのものを伝播させていけば、原宿という街でなくても、世界中のどこでも成立する。実際、フランスやメキシコでも「ハラジュクファッションウォーク」と銘打った運動が起きています。
――オリンピックをきっかけにして原宿に来た「カワイイ」好きの人たちが、新しい2020年の原宿を見て、「私の街にも仲間を集めて原宿を作れるかもしれない」と思って帰ってもらえれば、勝ちですよね。
■「概念」の原宿から「祝祭空間」としての原宿へ
増田 今は「原宿が大人のものになっちゃって、私たちの原宿じゃなくなった」と感じている若い人たちがいます。
――今までの話が外交的な問題としたら、この話は内政的な問題です。そういった若い子たちを巻き込んでいかなくてはならないし、それをクリアするのが「原宿」に関わる大人の責任というか、課題ですよね。「増田セバスチャン」はもう責任のある固有名詞ですから。
増田 いえいえ(笑)。でもたしかに、僕たち大人がやるのは、行政を動かすことなんですよ。
――行政?
増田 90年代の原宿は、全国から人が集まって形成されていましたけど、やっぱり日本国内だけのものだった。だけど今の原宿は「世界選手権」なんですよ。
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