『ポケモン』『ファイナルファンタジーVII』が
もたらした歴史的転機――新時代の脈動と巨大な成熟と
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2014.11.20 vol.205
http://wakusei2nd.com

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今日のほぼ惑は、大好評の中川大地さんによるゲーム史連載。今回は1990年代後半に登場した『ポケットモンスター』がもたらした、日本のゲーム文化の影響を解説します。さらに、現在も名作として根強いファンをもつ『ファイナルファンタジーVII』が示した「成熟」とは?
「中川大地の現代ゲーム全史」
第8章 世紀末ゲームのカンブリア爆発/「次世代」機競争とライトコンテンツ化の諸相
1990年代後半:〈仮想現実の時代〉盛期(4)


▶前回までの連載はこちらから。
 
 
■『ポケモン』というゲーム次世代の地殻変動
 
 コンシューマー据え置き機の華々しい世代交代劇や、アメリカでのパソコンゲームシーンでのオンラインゲーム市場の勃興とちょうど並行する時期、日本では意外なプラットフォームとユーザー層を母体にして、まったく様相の異なる「ネットワークゲーム」の土壌が形成されていた。1996年、当時すでに寿命を終えつつあるハードとみなされていた携帯ゲーム機・ゲームボーイに忽然と登場した、『ポケットモンスター』シリーズである。
 かつてゲーム攻略同人誌として伝説を築いた田尻智のゲームフリークが制作した本作は、戦闘で遭遇するモンスター(ポケモン)を捕獲して仲間にしていくタイプのRPGだ。こうした単体ゲームとしての骨格は、すでに『女神転生』シリーズや『ドラゴンクエストV』などで一般化していたシステムのバリエーションに過ぎないといえば過ぎない。だが、緻密に属性分けや生態系における棲息域などが設定された151種類のポケモンを収集して「ポケモンずかん」のコンプリートを目指すという目的設定と、そのために同一のゲームシステムながら収集できるポケモンの種類に違いがある『赤』『緑』という2種類のパッケージを発売した点。そして、もともとは『テトリス』の対戦プレイのような使用法を想定されていたゲームボーイの「通信ケーブル」という枯れたアクセサリーに新たな用途を見出し、プレイヤー同士が自分の集めたポケモンを交換できるという仕様の組み合わせが、従来のスタンドアローン型のタイトルとの決定的な違いをもたらすことになった。
 つまり、二つのパッケージで得られるポケモンを互いに交換しなければ「ポケモンずかん」をコンプリートさせることができないため、友達同士の協力が必然的に促進されていく。どこにでも持ち出せるゲームボーイの特性とも相まって、『ポケモン』は子供たちのリアルな交遊関係をベースに、口コミで燎原の火のように広まっていったのである。
 
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▲「ポケットモンスター」(緑)
 
 本作の主人公であるポケモンマスターは、自らが戦うのではなく捕獲したポケモンを場に出して使役する者として設定されており、このゲームをプレイする子供たち自身の立場に近い。その意味で、『ポケモン』は単なるビデオゲームの一種に留まらず、野球カードや「ビックリマン」シールといった、昔ながらのコレクションホビーの系譜に連なるものでもある。それはさらに突き詰めれば、田尻智が自身の子供時代に興じた昆虫採集の体験をデジタル環境に置き換えようとする企図のもとにデザインされていたことが、様々なインタビュー記事などで明らかにされている。
 つまり、本作の舞台として設定されている「カントー地方」の世界観は、田尻が生まれ育った自然と人工が隣接する東京郊外の原風景が刻み込まれたものでもあった。RPGとしての『ポケモン』は、糸井重里の『MOTHER』の薫陶のもとに作られているが、糸井が映画『スタンド・バイ・ミー』のようなアメリカ地方都市におけるジュブナイル冒険物語への憧れを込めていたのに対し、田尻は同種のモチーフを自分たち自身のドメスティックな風景に対応させて展開したのである。
 ここには、進駐軍カルチャーの延長線上に発展した都市の祝祭空間であるアーケードゲームの時代から、何もない郊外の日常空間の性格すら変えてしまうウェアラブルな携帯ゲームの時代へと、デジタルゲームのトレンドが動き始める大きなメルクマールとしての意味があったと言えるだろう。すなわちそれは、本書において〈仮想現実の時代〉の次なる時代区分として規定している〈拡張現実の時代〉の懐胎に他ならない。

 このように武蔵野の郊外が育んだ『ポケモン』で遊ぶ子供たちの心性について、中沢新一は著書『ポケットの中の野生』において、レヴィ=ストロース的な「野生の思考」の発露があると指摘している。つまり、現実の風景に重ね合わせられる携帯ゲーム機の擬似自然の中に、子供たちは互いの贈与を通じて何百種類もの擬似生命についての自前の博物学を育み、ポケモン図鑑を完成させてゆく。この行為の底に、農耕文明を築く以前の人類が身の周りの自然を高度な象徴操作を通じて体系化する原初的な知性の作動があることを、中沢は感受したのである。
 これ以前にも中沢は、アーケードゲーム全盛期に『ゼビウス』の攻略に夢中になっていたゲーマーたちの協働的なムーブメントに対して、原初的な精神性を見出したことがあった(「ゲームフリークはバグと戯れる」)。すなわち、隠れキャラやバグなど、ゲームの表面的なルールには顕れない、システムの外にある世界にアクセスしようとする能動性である。そんなゲームフリークの一人であった田尻が、今度は体験の提供者側に回って、ゲームハードの外側にプレイヤーたちの経験が増殖していく『ポケモン』の遊び方を生み出すに至った。ちょうどアメリカのパソコンゲーマーたちが、『Ultima Online』のような先進的なオンラインゲームの登場によって出現した仮想の大地の上に社会契約的な秩序を創り上げていったのとまったくパラレルなかたちで、日本の子供たちは、『ポケモン』というローテクノロジーのブリコラージュによって現出したプリミティブな人類学的原理に基づく共同性を、リアルな生活空間の上に拡張していったわけだ。