現代の魔術師・落合陽一連載『魔法の世紀』 
第3回:「心を動かす計算機をつくる」
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2014.9.17 vol.160
http://wakusei2nd.com

大好評!  落合陽一さんの連載第3回をお届けします。メディアとコンテンツの関わり方を定めていった「映像の世紀」のあと、「魔法の世紀」では、そのふたつの関係はどう変わろうとしているのでしょうか?

▼落合陽一による『魔法の世紀』
前回までの連載はこちらから
 
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■「流れよ我が涙、と計算機は言った」
 
前回の終わりに、ここからは「魔法の時代」における「メディア・アート」の変容について考えていくと宣言しました。ここまでは僕の作品や研究の紹介や、研究者的側面からコンピュータと人間の関わりについて論じて来ましたが、ここからは僕のアーティスト的な側面から、コンピュータとアート文化の関係について論じていくことになるでしょう。

いきなりですが、皆さんは計算機に心を動かされたことはありますか?

ギョッとする言い方かもしれませんね。「心を動かす絵を描く」や「心を動かす映画を撮る」なら普通の印象を受けるのに、「心を動かす計算機をつくる」には違和感を覚えるのはなぜでしょうか。計算機という言葉と、我々の感性がかけ離れている印象を持つからでしょうか。それとも計算機に心を動かされるということに抵抗感があるからでしょうか? 実は、ここでの計算機(コンピュータ)はメディアアートのことを指しています。ですから、僕は何度も計算機に心を動かされてきました。常に多感な年ごろの僕は、何度かコンテンツ装置(メディアアート)で泣いたことがあります。

例えば、以前「うなずきん」というおもちゃがありました。ダルマのような小さな人形に話しかけると、相づちを打つように頷いてくれるのです。このおもちゃで遊ぶためには、独り言を言い続けるしかありません。そうなると、独白装置として機能する訳です。懺悔をきいてくれる自動神父さん、みたいなものです。
 
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人間は、何を言っても肯定してくれる存在を欲する生き物です。しかし、そういう存在と出会うことは滅多にないでしょう。恋人でも夫婦でも男女に意見の相違はつきもので、完全にわかりあえる友だちですらも全てを肯定してくれることは少ない。でも、この小さな機械は全てを肯定してくれるのです。気がついたら真面目に話し込んで、なぜか機械に心を許して、そして泣き出す自分がいました。実に不思議な体験でした。

人はコンテンツで涙したり笑ったりしますが、メディアで笑ったり泣いたりはしないと考える人は多いでしょう。映画館に入った瞬間に泣き出す人、一眼レフを見て涙が止まらなくなった人、本の表紙に触ると泣き出してしまう人……そういう人は、だいぶおかしな人間と見られることだと思います。さすがに僕もそんな体験はありません。なぜなのでしょうか。

実際、例えば自分が乳幼児だったときのことを思い出してみましょう……いや、無理でしょうか。では、周りの乳幼児のことを思い浮かべてみてください。
おもちゃを使って大人が乳幼児をあやしているとき、乳幼児は簡単に機械に泣かされていると気づくはずです。彼らは、泣かされるだけでなく、機械に笑わされたりもします。しかし、乳幼児はテレビのコンテンツを見て笑ったり、泣いたりすることは少ないはずです。それは、乳幼児が文脈やストーリー自分の感情で涙するわけではなく、原初的な快/不快のような感覚で泣くことにあります。

僕は、現代の大人たちが乳幼児のようにメディアで涙したり笑ったりできないのは、彼らの生きてきた20世紀が「映像の世紀」だったからだと思います。「映像の世紀」とは、コンテンツとメディアが分離していた時代です。しかし、今世紀はメディアとコンテンツの境目がどんどん曖昧になって行く時代なのです。映像の世紀は本質的にメディアとコンテンツの関わり方を定めていきましたが、それがどう定められて、そして今どう変わろうとしているのか。

今回は、これを議論をしていきましょう。キーワードは、先程の乳幼児の例で出てきた「原初的な感覚」です。ここにはメディアアートの現在を巡る大きな問題が横たわっています。冒頭に記したように「魔法の時代」における「メディアアート」の変容について考えていく必要があるのは、このキーワードから見えてきます。
 
 
「文脈のチェス盤の上から」
 
そのために、まずはメディアアートが登場した20世紀にメディアアートが置かれていたアート観を知る必要があります。それは、コンテンポラリーアートという潮流です。

コンテンポラリーアートとはなにか? 

人によって意見は様々ですが、大枠のコンセンサスがとれるところは、さながら「文脈のゲーム」と化している点でしょう。例えば、日本の現代アーティストに村上隆さんという人がいますが、彼は国内芸術の文脈にある浮世絵やマンガ、アニメなどの平面性を再構成して、「スーパーフラット」という文脈を作り出すことで、世界的に評価されました。

奇麗な絵を見て「傑作だ!」と思う一般人の価値観に対して、コンテンポラリーアートはそうした感覚をゆさぶる作品に必ずしも高い評価を与えてきませんでした。一つには、写真技術の到来とともに、技巧的なもの(うまい絵、写実的な美しさ)が評価された時代は過ぎ去ったのが大きいでしょう。その結果として、従来の芸術観が崩壊してしまい、文脈による評価が高くなったとも言えます。これは20世紀美術の大きな潮流でもあります。
実際、美術史の教科書には、20世紀のコンテンポラリーアートを説明する際に、必ずマルセル・デュシャンの『泉』という作品が挙げられているはずです。男性用小便器を寝かせて置いただけのこの作品は、レディメイドの芸術の始まりだとか、現代アートの夜明けだとかと言われています。
なぜこんな作品が重要なのかでしょうか。それは、マルセル・デュシャンがこの作品を通じて、「これは芸術足るか」という問いを投げかけたからなのです。20世紀のコンテンポラリーアートとは「芸術の文脈そのもの」に対する問いかけそれ自体が文脈を形成する時代であり、この作品はその幕開けに相応しかったのです。
……少々、わかりにくいでしょうか。つまりは、「芸術表現とはなんだろうか」と考えた時代なのです。芸術表現のあり方それ自体を探求する試みこそが高く評価されていく流れが、20世紀には大きくあったのだと思っていただければいいでしょう。

その際に一つ大きな評価の基準となったのは、「西洋芸術史の中における文脈の構築」でした。例えば、アメリカの芸術家にジャクソン・ポロックという人がいます。彼は「抽象表現主義」と呼ばれる手法を代表する画家で、アクション・ペインティング(寝かせたキャンバスの上に絵の具を撒く)という独特の技法で、同時代にはモダンジャズのインプロビゼーションなどと比較されながら、ニューヨークのギャラリーを中心に高く評価されました。
この技法をコンテンポラリーアートの視点から見ると、彼の絵画は「絵を描く」という行為そのものの刷新になっています。それは「描くという芸術行為はキャンバスを打ち立てて、そこに描いて行くものだ」という「文脈」に対する大きな逸脱なのです。この立場からは、彼は独自の抽象絵画の世界を切り拓きながら、「文脈のゲーム」に新しいゲームを仕掛けてきた作家と言えるでしょう。
こうした世界では、やや単純化して言ってしまうと、「美しい絵を描くことなどよりも、新たな文脈を構築することの方が重要であり、感覚的なものは評価されにくかった」と言えます。そして、メディアアートも大きくはコンテンポラリーアートの一種として評価されることが多く、私たちが普段触れている映像装置というメディアに対する文脈への関わり方、つまり「文脈のゲーム」の中で評価されてきた面が強くあります。

以上が、美術史における教科書的な説明です。
しかし、別に写真の登場で不要になった技巧的な表現技術以外にも、心を動かすような表現は存在するはずです。とすれば、そうした軸が低く評価され、20世紀を代表的する潮流であるコンテンポラリーアートが「文脈のゲーム」になってしまったのはなぜなのかという新しい疑問が湧いてきます。

それに対する僕なりの解答は、まさに20世紀が「映像の世紀」、すなわちマスメディアの時代だったから、というものです。
そもそも、アートとアートでないものの境目を作っていたのは何だったのでしょうか。それは、美術館という制度の存在です。例えば、現代アートでは中心地にあるニューヨークのギャラリーが、現代アートの文脈を作り出しています。その周囲にいる専門家や画商のコミュニティの中で評価された現代アートは、高い値段でやり取りされます。彼らは、現在の資本主義市場の中心地である米国で、雑誌やテレビなどの様々なマスメディアと、その中で活動する批評家たちのような権威を上手に駆使しながら、アートの流れを生み出してきたのです。

もちろん、これもまた教科書に載っている程度の説明で、そもそも『泉』という作品の出展の中にその問いかけは含まれています。だから、ここではもう一歩踏み込んで考えます。そうした美術館の権威の源泉は、一体どこから生まれたのでしょうか。

結論から言えば、それは「鑑賞可能性」にあったと僕は考えています。

世界中でも限られた場所にしか存在していない美術館やギャラリーというスペースに、多くの人が鑑賞しにやってくる。その構造こそが、アートをアート足りえさせていたのではないでしょうか。つまり、一部の発信者の作品に注目が集まるような仕組みとしての「美術館」こそが、重要だったのではないかと思うのです。

しかも、その集客効果は、「映像の世紀」のマスメディア技術を抜きに語れません。ニューヨークのギャラリーの権威ある大きな声が、資本主義市場の中心地であるアメリカのマスメディアに乗せられて、世界中に届いてゆく。これによって、共通の文脈が共有され、権威の声は世界全体の文脈と合致することが可能になっていたのだと思います。

しかし、この「魔法の世紀」には、作品はそのようには受け取られません。なぜなら、インターネットが台頭してしまったからです。
 
 
「島宇宙の共通言語を探して」
 
そこでは、誰もがあらゆるものを鑑賞できるようになりました。

例えば、現在TwitterやFacebookなどのメディアは、コンテンツに対する巨大な鑑賞装置――すなわち、大きな美術館として機能していると言えます。民主的かつ巨大なコンテンツ鑑賞空間がネットに広がっていていて、あらゆるコンテンツ(コンテンツ的なメディア装置も含む)が、万人によってキュレーションされ(=選び取られシェアされ)、万人によって鑑賞されているのです。
しかも、最近はメディアアートやインタラクティブ作品のプレゼンテーションに、映像が用いられ,それが広告などにも使われるようになっています。リアルな場でしか鑑賞できないスケール感、ディテイル、五感への表現などはあれど、やはり時間と空間を超えて誰もが鑑賞可能になったのも事実です。
何よりも重要なのは、これがメディアアートのみに留まる話ではないことです。最新のプロダクトもニュースもメディアアートも、メディア装置上のコンテンツを鑑賞する同様のプロセスで消化され、拡散されていくのです。世界中のありとあらゆるリアルの事物が、美術館に置かれた作品のような「鑑賞可能性」を持つ時代がやってきたのです。

その結果、たとえニッチな興味であったとしても、小さなコミュニティを保つことが可能になっています。
これまでメディアコンシャスの消失を語ってきましたが、それはマスメディアの相対化ももたらしたわけです。共通の文脈を展開するのは難しくなり、ニューヨークのギャラリーのような一部の権威者が文脈を制定することも、マスメディアがマスメディアとして機能しないために、不可能になりました。島宇宙としてバラバラになってしまった興味のコミュニティには、共通言語も共通文脈も存在しなくなり始めています。全員に受容される作品は、もはやつくりにくくなってしまいました。
 
こうした情報拡散を中心にした文化において、集約型である前世紀の権威者の威光は徐々に陰りつつあります。20世紀とは「代理表象」の時代でした。表現はマスメディアに乗る際に、感覚を代理する文脈に置き換えられ、文脈のゲームが戦わされたのです。しかし、魔法の世紀には、もう「代理表象」による文脈のゲームで戦うのは難しい。文脈のゲームプレーヤーは、実はロールモデルを失いつつある時代になっていると言えるでしょう。
 
 
「人間という感覚装置の内と外」
 
こうした状況の中で、メディアアートは既存の芸術の枠組みから変わりつつあります。
具体的には、二つの道に分かれているように僕は感じています。一つは、「文脈のゲーム」として、20世紀の延長線上でメディア装置に関する文脈で戦う芸術。もう一つは、より「原初的な感覚」を対象とした芸術です。