【増補版】3.11が生み出した “おしゃべり”の楽園
――『LINE』に見る日本的インターネットの欲望
――『LINE』に見る日本的インターネットの欲望
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2014.7.3 vol.106
今朝の「ほぼ惑」は、「PLANETS vol.8」に掲載された稲葉ほたてによる「LINE」論のお蔵出しです。なぜLINEはこれほどヒットしたのか? そして、Google一強時代のオルタナティブになる新しいネットサービスのあり方とは――!? 末尾には、この論考におけるテーマを、「文化先行型」の日本的磁場と、システムとのせめぎあいであると定義した【増補】も加筆されています。
▼プロフィール
稲葉ほたて(いなば・ほたて)
ネットライター。PLANETSメルマガの編集をお手伝いしています。
1.LINEの快進撃
1-1.LINEとは何か
2012年に最もIT業界で注目を集めたサービス―それは何よりも「LINE」でしょう。LINEは、NHNジャパンが開発した、スマホ向けのメッセージングアプリです。NHNは韓国企業ですが、日本法人主導で開発されており、実はほぼ純国産のアプリです。
2011年のリリース後から、中高生などの間で急速に普及しており、例えば出会い系サイト利用者の間では、かなり早い時期から「LINEは出会える」と有名でした。しかし、このサービスが表立って語られ出したのは、筆者の印象ではNHNジャパンが6月に主催した、LINEイベントが転機だったように思います。このイベントでは、全世界4500万人、国内に至ってはスマホユーザーの実に44%に当たる2000万人が登録しているという、驚異的な数字が話題になりました(※1)。また、「LINE Channnel」の設立やタイムラインの導入など、いわゆる「オープンプラットフォーム化」の構想もぶち上げられました。こうした、日本のウェブ周りのメディアにキャッチーな表現が話題を呼んだ面もあるでしょう。
1-2.日本のネット論壇の想定を超えるサービス
このイベントの頃から、ウェブ上にはLINEの開発者やNHNジャパン社長へのインタビューがいくつも出ています。彼らの発言に現在、多くの開発者や企画者が注目しています。というのも一見して、彼らの言葉には近年のウェブビジネスの常識をひっくり返す表現が頻発しているからです。
たとえば、LINEの開発を主導したNHNジャパン執行役員・舛田淳氏へのインタビュー記事では、開発にあたって「クローズド」なサービスであるという点を重視したことが述べられています。彼は、従来のソーシャルメディアが、人間関係の距離感を上手く実装できていない点を挙げ、それを切り分けることで「日常のたわいもない話や秘密の話、メールや電話でしていたようなコミュニケーションをLINE上で担う」のだとしています(※2)。
こうした発言は、特に「はてなブックマーク」を母体にアグリゲートされ、梅田望夫氏の『ウェブ進化論』の刊行を頂点として盛り上がりを見せてきた、日本のアーリーアダプタによる「オープン」を称揚するネット論壇的な言説とは鋭く対立するものです。それを象徴するのは舛田氏の「LINEにおいては友だちの友だちは友だちではない」(※3)という言葉でしょう。スケールフリーに拡大していくウェブ上の"友だち"ネットワークから、LINEは距離を置くのだと宣言しているわけです(※4)。
また、興味深いことに彼らは、日本のアーリーアダプタから「ガラパゴスケータイ」、すなわち「ガラケー」と一種蔑視的な呼び方をされてきた、日本のケータイ文化にも否定的ではありません。NHNジャパンの森下社長は、「スマートフォン上のサービスについては、フィーチャーフォンでiモードが成長した時と同じような変遷をたどるという仮説を立てていました」と発言しています(※5)。また、前出の舛田氏はインタビューで「iモードについて社内でよく話す」とも発言しています(※6)。近年のネットへの言説で、ある種差別的に語られてきたガラパゴスケータイの文化を、彼らは世界展開の武器にできるのではないかと語っているわけです。
もちろん、実際のところを言えば、ガラケーの「エミュレーター」としてLINEが機能するのは、少々厳しいところがあります。ガラケーの文化は、キャリアが端末からアプリケーションまで手がける垂直統合型のビジネスにおいて、生まれたものです(※7)。何より、そもそもキャリアの最大の収益源は通信費ですから、通信を使うユーザーが増えさえすれば良いのです。ただユーザーが使うだけでは単にサーバー代が嵩むだけのプラットフォーム事業者とは、根本的に発想が違うのだと言えるでしょう(※8)。
しかし、そうした問題をひとまず脇に置いておいて、日本がゼロ年代に生み出したガラケー文化が世界にどこまで通用するかは、大変に興味深い話題です。LINEのようなネットサービスが、「PLANETS」のようなメディアで取り上げられるのは、ひとつには日本文化の世界における立ち位置について、LINEがひとつの示唆を与える可能性があるからなのだと思います。ここからは、それを踏まえて、日本独自のガラケー文化の継承者としてのLINE、という視点からまずは簡単な小論を書いてみようと思います。
2.LINEを考える上で欠かせないガラケー文化
2-1.PCとは隔絶したガラケーのメールの文化
とはいえ、ガラケー文化と一口に言っても、その姿は多岐に亘ります。そこでここでは、私たちにとって、かつて最も身近だったガラケーのサービス―メールサービスに絞り込んで、議論を進めていこうと思います。
と言っても、メールサービスがガラケー文化特有のものだったという前提認識自体が、あまりピンと来ない人のほうが多いかも知れません。しかし、日本のケータイのメール文化は、実は世界的にも極めて特殊なものでした。もちろん欧米のケータイなどにも、SMSを搭載しているものはありましたが、その場合でさえも大抵は通話で済ませることが多かったと聞きます。それに対して日本の携帯電話では、わざわざ端末の狭い表面の中にメールボタンを、それも最も目立つ配置で置いてしまうほどに、メール機能が重視されていたのは、皆さんもご存知かと思います。
しかも、日本のケータイメールは、使い方も極めて特殊でした。「絵文字」の文化などは、その典型でしょう。読者の中には、無料で落ちている「絵文字」を探して、ケータイでネットを探し回った経験のある人も多いかも知れません。しかし、そうやって探してきた絵文字をどのように使っていたのか覚えているでしょうか。「マジか」のような短文メールの後に絵文字を一つ入れてみたり、あるいは単に絵文字だけを送ったり、という使い方が多かったのではないでしょうか。
端的に言えば、ケータイのメール文化は、PCのメールよりも遥かに刹那的で、表現の自律性を欠いています。それは、口語の「おしゃべり」に近いものです。しばしば40代などの社会人が、デジタルネイティブと言われる、下手をすると子供の頃から何万通とメールを送っていかねない世代のメール作法に立腹していることがあります。これなどは、ビジネスメールの延長線上で発達してきたPCメールの世界と、「おしゃべり」に近い日本的なガラケーのメール文化との衝突と言えるでしょう。
2-2.LINEが取り込んだメール文化
おそらく、この文章を読んでいる人のほぼ全員がガラケーで、こうしたコミュニケーションをしていたはずです。しかし、それは誰かが教えたものだったのでしょうか? もちろん、違います。こうしたメールの使い方は、単に私たちの欲望がそうさせてきただけに過ぎません。この日本のメール文化は、誰が指示したわけでもなく、ボトムアップ的に創りあげられてきたものです。
この自発的な文化が突如として断ち切られたのが、近年のスマホブームなのです。スマホの端末には、そもそもメールボタンがありません(2014/7/2 注:現在ではメールボタン付きのスマホはいくつも存在しています)。メールが届いても自動的に開けないですし、メールにたどり着くまでに複数の操作ステップが必要です。そこに滑りこんできたのが、まさにLINEでした。LINEが復活させたもの―それは、まさにメール文化なのです。実際、NHNの社長は、先のインタビューで挙げた発言に続く形で、「スマートフォン上のサービスについては、フィーチャーフォンでiモードが成長した時と同じような変遷をたどるという仮説を立てていました。日本のコミュニケーションサービスでは絵文字やデコメ的なものがフィットするのではないかという仮説のもとにスタンプを出したところそれが当たりました」(※9)と、スタンプが絵文字を参考に生み出されたことを明かしています(※10)。
2-3.「ウォームライン」の伝統
さて、こうした絵文字の文化は、おそらく利用法の水準でもLINEに引き継がれています。例えば、スタンプの使用法として、(主に女性に多いようですが)いきなりスタンプを投げるコミュニケーションがしばしば行われるようです。しかし、ガラケーのメールでも、しばしばいきなり絵文字を投げてくるコミュニケーションが行われていたのを、覚えている人はいるでしょうか(こちらも、主に女性が多かったようです)。絵文字がコミュニケーションの発端になって、メールのやり取りが開始するわけです。これは、相手の空気を読みながら、重くならないように話しかける作法です。ある意味では、電話の発信音の弱いバージョンと解釈しても良いでしょう。
こうしたコミュニケーションは、もちろんPCメールの文化から出てくるものではありません。しかし、設計者の側に、そうした意図が全くなかったわけではないようです。例えば、浅羽通明『「携帯電話」的人間とは何か “大デフレ時代”の向こうに待つ“ニッポン近未来図”』所収の精神科医・大平健氏へのインタビューでは、iモードを立ち上げた松永真理さんが大平氏の著書『やさしさの精神病理』を読んで、iモードにメール機能を組み込もうと考えたということが明らかにされています。1995年刊行の同書では、当時流行っていたポケベルのコミュニケーションを、通常の電話が相手を強制的に呼び出してコミュニケーションする「ホットライン」であるのに対して、互いを傷つけたくない人びとが選んだ"淡い通信手段"であるとして「ウォームライン」と名付けています(さらに『「携帯電話」的人間とは何か』では、最初にメール機能を搭載した携帯電話をリリースしたJ-PHONEの担当者が、インタビューでポケベルをヒントに開発したことも明かしています)。
現代風に整理してしまうと、コミュニケーションに強く「同期性」を求めるのが「ホットライン」であり、コミュニケーションに弱くしか「同期性」を求めないのが「ウォームライン」であるという言い方もできるでしょう。先ほどのスタンプや絵文字を投げかけるコミュニケーションは、まさに「ウォームライン」的なコミュニケーションをユーザー側でも意識して行った事例です。
事業者の目論見通りか、メールは頻繁に、ある意味で電話以上に使われるようになりました。「ウォームライン」のコミュニケーションが、私たちのコミュニケーションを覆っていったとも言えるでしょう。しかし、読者の方も心当たりがあると思うのですが、それが私たちのコミュニケーションを必ずしも楽にしたわけではありません。というのも、電話は出られる場面が限られているのに対して、メールの場合は気軽に返せてしまうからです。そのため、返信へのタイムラグに一種のメッセージ性が生まれてしまったのでした。
特に決定的だったのは、メールに気付いた瞬間に即レスする文化が生まれたことです。これによって、メールの返信へのタイムラグが、相手の自分への興味の度合いを測る「指標」になりました。相手の気付きに任せる「ウォームライン」のコミュニケーションが、いつしか相手の自分への興味の度合いをメールによって測定し続ける「ゲーミフィケーション」を促してしまったとも言えるでしょう。
このゲーミフィケーションもまた、LINEによって復活しています。しかも、LINEでは熾烈さが更に強化されています。特に既読機能は、ウォームラインのコミュニケーションの抱えていた「郵便的不安」を無効化して、即レスゲームを加速する機能です。
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