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『静かなる革命へのブループリント』発売記念インタビュー「宇野常寛が考える"社会と個人"を繋ぐ新しい回路とは」 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.100 ☆

2014/06/25 07:00 投稿

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『静かなる革命へのブループリント』発売記念インタビュー
宇野常寛が考える"社会と個人"を繋ぐ新しい回路とは」
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2014.6.25 vol.100

本日より全国の書店、Amazonにて発売開始となる、宇野常寛の新刊『静かなる革命へのブループリント――この国の未来をつくる7つの対話』。今回の「ほぼ惑」では、この対談集に込めた意図と、そして宇野常寛がいまこの社会に対して抱く問題意識について、1万字にわたるインタビューをお届けします。
◎聞き手/構成:稲葉ほたて
 
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■ P8はそれまでのPLANETSの倍以上も売れた
 
――このメルマガの読者にはお馴染みの話だとは思うのですが、この本を読んだ読者には「あれ、宇野常寛って、今こんなことに興味あるの?」となる人が多いと思うんです。今回の対談集は「PLANETS Vol.8」(以下、P8)以降の流れの中にあると思うので、まずは少しさかのぼって宇野さんの変化を話していただければと思います。

宇野 そうね。ちょうどP8を作り始めたとき、僕は同時代のいわゆる「サブカルネット論壇」みたいなものに急速に興味を失いだしていたんですよね。みんな心の中ではつまらないってわかっていることをさも大げさに扱うことで成立しているような気がして、正直言ってばかばかしくなっていたんだよ、いろんなことが。当時は、それを個人的な問題としか捉えていなかったんだけどね。

要するに「インターネット+サブカルチャー」から震災を経て「インターネット+ジャーナリズム」に知的関心が移動して行ったのがこの国の言論空間の10年だと思うのだけど、この流れは今完全にグズグズになってしまっていると思うんだよね。結局、残っているのはTwitterのイジメ論壇だけでしょう? 週に一回、悪目立ちした人や失敗した人間を袋叩きにするのが社会参加だと勘違いしている言論人とそのフォロアーたちのつくる最悪な世界、テレビワイドショーのデッドコピーしか残っていない。ここからは何も生まれないと思うんだよね。僕自身、そんな世間にちょっとうんざりしていてさ。どうすればあの世間と付き合わないで面白いことをやっていくかってことばかり考えていたんだよ。

一方で、その頃の僕は同時に、実際に市場に流通していて僕たちの生活を変えはじめている力のようなものに、急速に興味が移っていた。その一例がたとえば衣食住にまつつわるネットサービスや交通インフラだったり、情報技術を駆使したゲーミフィケーションの新しい展開だったりした。こうしたマーケットの中の現象には、まだ知的な検証も文化論的な関心も寄せられていないけど、そこには人間の未知の可能性や行動原理の知見が、手つかずのまま沢山眠っているんじゃないかと思ったわけ。たとえば一見なんでもないウェブサービスでも、実はそのユーザーの行動パターンを解析して行くと、これまで分からなかった人間の修正や行動心理が見えて来る、といった例はたくさんあると思うんだよね。情報技術と人間の関係を考えるときに、サブカルチャーやジャーナリズムを通して考えるより、別のやり方があってその方が今はずっと面白いものができるんじゃないかと考えたわけ。

あの本は、言わばそうした興味をストレートに反映させた本だったんだよ。今だから言うけど、後半の若手言論人のコーナーはこれまでの読者の関心を惹くためだけのもので、本当に読ませたいのは圧倒的に前半の情報社会特集なんだよ。もちろん、後半も含めて結果的に一つ一つの記事は非常にクオリティの高いものになって、逆に同世代の知性に僕がほんとうに教えられた感があるんだけど、企画段階ではそんな少し意地悪な意識があったのね。NHKや朝日新聞よりも、僕たちの方が同世代の論客のいいところを引き出せるぞ、ってポジティブな宣戦布告のつもりだったんですよ。

でも、やっぱり本当に読ませたかったのはゲーミフィケーションや日本的情報サービスの特性を論じた特集部分なんですよね。当時僕の抱いていた理論的な関心がすべてなんですよ。けれど、それをストレートに追求しても、読者がついてこないと思った。だから若手論壇勢揃い的なパッケージングにしたんです。そういう意味でP8は「動員の革命」的なネット・ジャーナリズムやインターネット・サブカルチャーに興味を失いつつある自分を発見して、そんな自分と折り合いをつけるために作ったところがある。あれは僕の中のひとつの時代というか、「インターネット+サブカルチャー」から「インターネット+ジャーナリズム」といった問題設定が急速に色あせていって、もっと端的に情報テクノロジーと人間社会や文化の関係について考えたくなった結果生まれた一冊なんだよね。実際、PLANETSは商売のために作っているものではないわけで、そういうやり方で構わないと思ったしね。

ただ、クオリティにこそ自信はあったけど、ああいう方向に投げた球がしっかり反応が返ってくるかは不安だった。

――自分自身の内的な変化をストレートに読者にぶつけた本だった、と。結果はどうでしたか?

宇野 結局、P8は既存の論壇には全くと言っていいくらいに取り上げられていない。マスメディアでの反響という点では、7号以前のほうが遥かに大きいくらいじゃないかな。

でも、僕自身の手応えは非常に強いものがあって、実際にP8はそれまでのPLANETSの倍以上も売れて――現在もなお売れ続けている。僕としても、本当に奇妙な体験としか言いようがない。

ちょうど発売の1ヶ月後に、教育テレビで僕のドキュメントがあって、その瞬間Amazonでははねたんだけど、あれから1年経ってみるとその後じわじわ売れた方が大きいんだよね。2ヶ月に一回くらいネットのどこかで話題になってがっと売れる、というのを繰り返している。

何よりも、お客さんが全く違っているんですよ。これまでの僕の読者は、サブカルチャーや批評が好きな文系学生が中心だった。ところが、この本は普段は批評や思想には興味がない、技術者やプランナーのような人たちも多く読んでくれているみたいなんだよね。実際、この反響で新しい人脈も生まれていて、具体的には、衣食住に関わるサービスや通信業界、あるいは都市建設の分野で商業地開発などをしているビジネスマンのような、世界の人たちとの交流が増えている。

彼らの世界に足を踏み入れてみると、そこには全く次元の違う世界が広がっていた。「若い世代がネットで育んだ文化が、ネットジャーナリズムを通じて政治に反映していく」というような、震災前後に膨らんだ「動員の革命」の夢――あの勝手に膨らんで、そして勝手に破裂してしまった夢とは違うビジョンがあったんだよ。彼らの活動は、具体的なサービスや商品を作ることで、民間事業を通じて世界を変えていくことができるのだという強烈なリアリティに支えられていた。しかも、実はそれって、震災とは関係なしにずっと強くなり続けていた世界観でもあるんだよね。その活動と並走する言論が求められていた状況で、まさにP8の文化批評の言葉が刺さったのだと、彼らと一緒に活動する中で気づいていったように思う。

――インフラやウェブサービスの事業者たちが見据えているような大きな時代の変化に、宇野さんの抱えていた問題意識がシンクロしていたということかなと思いました。

宇野 結果的に、僕自身も予想していなかった需要があったのだから、そうかもしれないね。

こういう問題意識のあり方は、そもそも僕の批評のモチーフと強く関わっているんだよ。例えば、僕は特撮が好きなのだけど、あれは「現実には存在しないキャラクターを一度造形物に落とし込んで半現実化したものを映す」という形でしか成立しない映像表現なんだよね。一方で僕は、「現実そのものを映したもの」にも、「現実とは完全に断絶した虚構を映したもの」にも興味が持てない。本当に興味があるのは、特撮のように「まだ存在していないけど、これから存在する可能性があるもの」なの。それは個人的な趣味嗜好にも反映していて、だから特撮以外でも、絵画よりも立体造形物の方が好きで、模型も大好き。このあいだ反響があったレゴ対談も、こうした興味の延長線上で作られている。
 
 
僕自身は、こういう感性というのは、現実に商品やサービスを制作して、それによって新しい文化やビジネスを生み出していくような動きにどこか親和性がある気がするんだよね。実際、イノベーションやマーケットの力というのは、まさに「まだ存在していないけど、これから存在する可能性があるもの」に力を与えていくものなわけでしょう。
 
 
■ 「静かなる革命ヘのブループリント」とは
 
――『静かなる革命へのブループリント』というタイトルは、どういう意図でつけたのですか?

宇野 まず、そもそも河出書房の編集者と「ここにはまだ誰も可能性を見出してないのだけど、希望があるのだ」というメッセージを打ち出したいという話をしていた。それで、タイトル決めの段階で、高田馬場の10℃AFEで編集者とずっとああでもないこうでもないと話していて、例えば、その中で出てきたタイトルの一つが「ここにだって天使はいる」(笑)。これは、NMB48のチームNの新公演のタイトルなんだけど、いくらなんでも天使とか言いながら出てくるのが中年男性だらけというのは問題があるだろう、と(笑)。

最終的には、ヒカリエでやっている連続トークイベント「渋谷セカンドステージ」第一回目のキャッチコピー(『衣食住から始まる「静かな革命」』)を担当編集者の人が気に入ったのが決め手になった。実のところをいうと、僕は「革命」という言葉が少々左翼っぽいので抵抗感があったの。だけど、話しているうちに、ありかもしれないなという気がしてきた。

この本は、ひと言でいうと、マーケットが世界を変える力を持つことを主張した本なんです。でも、それってみんな肌では知っていても、やはり特に旧左翼的な文系の人は「それを言ったら負けなんじゃないか」という気持ちを抱く話なんだよね。でも、幸か不幸か僕には左翼的な知識人の血が全く入っていないので、そういうことがあっさりと言えてしまう立場にいる。だったら、現在マーケットで起きていることを「革命」と言い切ってしまうのは、彼らにとって大変に嫌なことだろうから(笑)、あえてつけてやろうと思った。
ブループリントについては、実際に焼けるわけだから青写真なわけじゃない。「現実には絶対に存在し得ないがゆえにラディカルな理想」ではなく、「実際に現実に存在し得る理想」というニュアンスを込めたかったんだよね。

――今回の本の一番面白いところは、人選がほとんど言論メディアに出てこない人たちであることだと思うんです。彼らとは、どういう形で知り合ったのですか。

宇野 この本におけるキーパーソンを一人あげると、楽天の尾原和啓さんだよ。実は、彼を中心とした、ある種の異業種交流会のようなものがあって、彼らはそこで知り合った人たちなんだよね。ちょうどP8を作る半年くらい前に僕も彼らに合流して、それ以降、僕と尾原さんを中心にクローズドな勉強会やプロジェクトを、もう二年近く走らせている。もちろん、門脇さんのように別の場所で知り合って、僕が尾原さんたちに紹介した人もいるけどね。

今回の人選で一つ基準にしたのは、僕が取り上げなければメディアにはなかなか出てこない人たち、というところかな。もちろん、猪子さんや駒崎さんなんかは色々な場所に露出しているけど、でも駒崎弘樹を徹底的に社会運動家として論じたり、猪子寿之を徹底的にアーティストとして見るような視点って、実はありそうでなかったと思わない? 実際、猪子さんにデジタル論や日本文化論の話を聞きに行くメディアは沢山あるけど、「あなたは作家としてどうなの?」と迫った人って見たことないでしょう。彼らに対しては今回、そういう方向から話をしている。

ある意味で吉田さんなんかもそうで、彼も世間では単に「ビジネスを上手くやった人」としか扱われていない。でも、他のクラウドソーシング系サービスとクラウドワークスの最大の違いは、実はビジョンだと思うんだよ。実際、彼の話は「日本にフリーランス文化が根づくとすれば、それはどういう形だろうか」というところから始まっていて、それはノマド論争だとかの若者の雇用や労働の未来をめぐる論争に対する具体的な回答であり、一つのビジョンだと思う。カーデザイナーの根津さんも、いまの「若者のクルマ離れ」という言葉を象徴とした「若者の~~離れ」論に対して、言論やジャーナリズムの外側からひとつの回答を与えてきた人だと思うんだよね。彼らを、単に上手くやった人としてでなく、その思想そのものに意味がある人物として紹介したかったんです。

――評論家・宇野常寛として、彼らを具体的にどう位置づけているのでしょうか。

宇野 それは、パッと答えるのはあまりに難しい問題ではあるけれども……(笑)、インターネット論という文脈でいうと、既存のそれを一言でいってしまうと、梅田望夫と濱野智史ですよ。要は、西海岸デッドコピーでしかない「意識高い」系とドメスティックな「2ちゃんねらー」だよね。僕としては、その二元論を止揚するような存在として、彼らを位置づけているんだよね。

例えば、Facebookにリア充写真を上げまくってるような六本木の「意識高い」系の人たちって、非常に知的レベルも年収も高いのだけど、自分が好きすぎて喋ってる内容が本当につまらないでしょ。以前にGoogleで講演をしたときも、「何をすればいいかわからないから、毎週末にボランティアのビデオを見ています」なんて言う人が結構いるわけ。能力は非常に高いのに、自分をどう使えばいいのかがわからなくなっているんだよね。一方で、2ちゃんねるやニコニコ動画が象徴するような文化圏は、極めて文化的な生成力は高いのだけれども、普通に考えれば、やはり社会化に失敗していると言わざるをえない。ネットの言論空間のイジメ文化が象徴的だけど、あれほど豊かなサブカルチャーを生み出しておきながら、その先に行ったときにテレビのデッドコピーにしかならなかった。

もちろん、どんなものにも一長一短はあって、それらを上手く止揚するようなビジョンを、ここで取り上げたような生活系のサービスから出していきたいということなんだけどね。ちなみにこれはインターネットの歴史でいうと、iモードからLINEに至る「通信インフラと密着した生活系サービス」の文脈という、あまり注目されていない第三の日本的インターネットの可能性だと思うんだよね。

――吉田さんとの対談で、クラウドワークスがゲーミフィケーション的に労働者を上手くエンゲージメントさせながら、彼らが仕事の領域を広げていく第一歩として機能する可能性を話していましたよね。

宇野 クラウドワークスで面白いのは、識者たちの議論よりも現実が進んでいる例の最たるものだということだよね。

コミュニティのあり方として、地域コミュニティかテーマコミュニティかという議論があって、基本的にはテーマコミュニティになっていくしかないと多くの人が思っている。でも、趣味によってテーマコミュニティが形成される可能性には――実は僕はそうでもないのだけど――多くの人が懐疑心を持つ。そのとき、生活者による生活の必要性からの連帯の可能性には説得力があるし、実際にクラウドソーシングのようなサービスを利用することによって、地域を超えた連帯が出来上がっていくというビジョンは具体的だとも思うのね。これって、鈴木寛のような頭も良くて実践もしているような人が答えを出せずに悩んでいる問題に対して、商売をやって成果を挙げてる実例から物を考えた方が早いという端的な事例になっていると思う。

やっぱり、既存の言論空間ではポジティブなことを言うと、どうしても馬鹿に見える構造があるんですよ。特にネットの言論空間なんて顕著だよね。でも、僕は幸いにしてそういう商売で食べているわけではない。あの陰湿なTwitter論壇のいじめ文化に加担しなくても、読者がついてきてくれる位置にいる。これは10年近くインディペンデントな活動を続けて来た成果だと思う。だからその立場を使って、NOと言うのではなくYESというタイプの仕事をしていきたいんだよね。

それは歳を取って丸くなったとか、ちょっといい話にしたくなったとか、そういうことじゃなくて、端的にもう少し生産的なことをしないと、自分の人生の残り時間を考えたときにあまりに虚しいからだよ。Twitterのいじめ論壇に加担して30代を使い潰す気にどうしてもなれないわけ。そうじゃなくて、既に存在している、あるいはこれから育って行くかもしれない変化や可能性を分析して、意味付けて、紹介していくことでムーブメントを起こしていきたいんだよ。それも3年とか、5年という単位でじっくりやりたい。
 
 
■ コンテンツよりも商品やサービスについて考えるほうが刺激的になっている
 
――宇野さん自身は、彼らと実際に会っていく中で、なにか手応えや変化はありましたか。

宇野 たぶん、彼らは自分たちが思っているよりも大きな仕事をしているんだよ。彼らだけが知ってしまっている人間の新たな行動原理や人間の心理的特性があって、それを抽出してきて表に出すだけでも、大きな思想的意義と批評的インパクトがある。そんな彼らが行っている仕事の社会的インパクトや介入力があまりにも低く見積もられすぎているのも気になるね。本人たち自身ですら充分に自覚できていないし、文化論の人たちに至っては全く気づけてすらいない。この二点はすごく気になったところかなあ。

正直なところ、コンテンツについて考えるよりも、彼らの創りだす商品やサービスについて考えるほうが遥かに刺激的になりはじめているんだよね。
僕個人は、どこかで虚構や文化の価値を信じたい気持ちがあるのだけど、現実にいま流行っている虚構って、現実をそのまま写しとっただけのコミュニケーション主導型のコンテンツか、現実には絶対にあり得ないようなファンタジーに二極化していて、その中間が失われてきている気がする。でも、僕はその中間的な虚構こそを擁護してきた人間で、実は彼らの作る「これから企画されて、どこまで伸びていくかわからない」ようなサービスには、どこかそうした虚構に極めて近いあり方を感じている。かつて僕がサブカルチャーに見ていたものを、クラウドソーシングの未来のあり方のようなものに見出している面はあると思う。

――今後の宇野さんの活動について教えて下さい。

宇野 とりあえずは、三つの領域での活動を考えています。まず、一つは理論的な本。具体的には、『母性のディストピア』です。これは個人と社会が繋がるためには何が必要なのかという、想像力を巡る『ゼロ年代の想像力』から続くモチーフを発展させた本で、ここでひとつこのテーマにはケリをつけておきたいと思っている。
もう一つは、渋谷セカンドステージと、この『ブループリント』がその象徴だけれども、僕は同時代カルチャーとして断トツに生活文化に興味がある。衣食住や交通のような、市場に流通するサービスや商品を"コンテンツとして読む"仕事をやっていきたい。
そして、三つ目はオリンピックで、これは僕の編集者的な欲望から生まれているものかな。とにかく一つテーマを決めて、記憶に残るような伝説の一冊を作りたい(笑)。2020年に実際にオリンピックが開催されたときに、現実のシミュレーションとしてもオルタナティブの社会的提案としても優れていたと驚かれるような本にしたいね。

以上の三本柱で活動していこうと思っているけど、これは明らかにP8以降に生まれてきたテーマだよね。たぶん、P7以前に僕がやってきたようなことは、もう他の人がやればいいのだと思う。最近は時事問題についてすらも、親しい人に頼まれたとき以外には書かなくなっているのだけど、それも慎重に選んでいこうかなと思っている。自分に残された時間というのを大事に使いたいからね。

――この「ブループリント」の実現過程に関わっていくビジョンは持っていますか?

宇野 あとがきにも書いたけど、吉田さんや尾原さんと話しているウェブ共済のアイディアについては、何とか形にしていけないかなと思っている。あと、根津さんたちとは、戦後文化が一段落した後における、新しい「カッコよさ」について考えてみたいんだよね。やっぱり、いま新中流層ってどんどん自分のことにしか興味がなくなっているのだけども、文化の担い手の端くれとして、彼らに自分の外側にある燃える「理想」のようなものを与えられたらと思いますね。

一方で、現在メルマガではここにある対談を引き継ぐ形で、マーケッターから事業者、デザイナーまでジャンルを問わずに紹介しているんだよね。
 
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彼らのように、既存の言論空間の文脈には乗らないだけで、実は世の中を根本的に変革している面白い人たちが沢山いるのに、それを捉える言葉がなくなっている現状がある。需要があるのなら、やっていくのに如くはないよね。ちなみに、この本の評判が良ければ第二弾を出したいのだけど、そのときにはもっと強気のラインナップの対談集にしたい。より具体的なことを社会で実行している、社会起業家の人たちなども取り上げていきたいね。
 
(了)  
 

【次回予告】

我らがメールマガジンに惑星開発委員会が放った次なる刺客は、吉田尚記!

ニッポン放送の特派員として2008年の北京オリンピック取材も経験した
"よっぴー"は、なぜ2020年の東京オリンピック破壊を企てているのか?

次回、ほぼ日刊惑星開発委員会
「愉快な東京オリンピック破壊計画」はありうるか
――ニッポン放送アナウンサー・吉田尚記が語るポリティカル・フィクションの可能性 
に、ご期待ください!

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