現在、実写版映画が絶賛公開中の「機動警察パトレイバー」。ニッポン放送アナウンサー吉田尚記と、弊誌編集長・宇野常寛というパトレイバーをこよなく愛する二人が語る、その到達点と限界、そして、いまパトレイバーに宿る可能性とは――!?
10年以上ぶりの新作となる実写版『THE NEXT GENERATION パトレイバー』も公開され、話題沸騰中の「機動警察パトレイバー」。劇場版第二作『機動警察パトレイバー 2 the Movie』を人生でもっとも愛する映画の三本のひとつに掲げる批評家・宇野常寛が、またしても(勝手に) 実写版映画の公開を記念して対談を行います。
今回の相手は、宇野をして「自分の数倍パトレイバーを愛している男」と言わしめるニッポン放送アナウンサー・吉田尚記。パトレイバーを愛しすぎた男二人が語り倒す、その到達点と限界。そして現代日本に必要とされる“パトレイバー”とは……?
▼プロフィール
吉田尚記(よしだ・ひさのり)
1975年生、ニッポン放送アナウンサー。慶應義塾大学文学部卒業後、1999年にニッポン放送に入社、制作部アナウンサールームに配属。以来、「オールナイトニッポン」シリーズ、「ミューコミ」などの番組を担当。現在は「ミュ~コミ+プラス」などを担当しており、2012年にはギャラクシー賞DJパーソナリティ賞を受賞。自身のラジオ番組ではTwitterなどネットを積極的に活用し、さらには自らトークイベント「吉田尚記の場外ラジオ #jz2」を開催するなど、その先駆的な取り組みが注目されている。放送業界でも一、ニを争うアニメやゲームのオタクとしても知られる。愛称は「よっぴー」。
◎構成:三溝次郎
■ファースト・インプレッション~二人のパトレイバー体験
宇野 よっぴーのパトレイバー初体験は?
宇野 よっぴーのパトレイバー初体験は?
吉田 初体験は、たぶん初期OVAシリーズの1巻なんですよ。当時いた中高一貫校で、アニメーション研究会の人たちが上映会をやっていたのですが、たまに『トップをねらえ!』や「パトレイバー」をみたいなマイナー作品をやっているときがあって、そこによく通っていたんです。
そこで、たまたま初期OVAがまだ最後まで出切ってない時期に観ました。そのときから、パトレイバーは僕にとって人生で一番面白い作品です。もうどっぷりハマって、現在に至るまで飽きない。中学生くらいの頃って、そういうことがあるじゃないですか。
初めて企業ドラマや産業ドラマのような作品を観たのが、パトレイバーだったんです。現代社会と地続きにある大人の物語を、初めて自分でチョイスしたのだと思います。
僕は、『機動戦士ガンダム』を子どもの頃に浴びるように見ている世代なんです。でも、ガンダムは、自分でチョイスして観たものではない。そりゃ街に行けばガンダムの駄菓子はいっぱい売ってるし、ガンプラはおもちゃ屋に山のように積んであるし、チャンネルをひねるとしょっちゅう再放送をやってる。でも、そういうものとしてあるだけで、やはり僕らからするとガンダムはチョイスしたものではなかったんです。
しかも大抵は、中学高校になったときに、みんな一回アニメを卒業するじゃないですか。そのときに、卒業した子に「幼稚だよ」と言われても、卒業していない子の側だった僕が「いや、全然幼稚じゃないじゃん」と返せるコンテンツだったんですよ。
宇野 僕の場合は、最初に触れたのは、たぶんTV版ですね。小5か小6のときで、最初に観たのは第2話だったんですよ。第二小隊が召集されて配置決めのために模擬戦をやる話で、遊馬が野明にわざと負けてやったり、野明と香貫花が無駄に対抗意識を燃やして決勝戦で張り合ったりするんですよね。そんな若者の微妙な人間関係を後藤隊長が「これからどうしようかな」と見ている。そういう雰囲気が今までのアニメになかった感じがして、引き込まれていったのが最初ですね。だから当時は、なんとなくリアルで大人っぽいドラマとして興味をもったんですよ。当時のテレビドラマはトレンディドラマの全盛期だったので、ああいうのは薄っぺらいしあまりリアルには思えないんですよ。むしろ僕はパトレイバーの、あのぱっとしない第二小隊の面々のぱっとしない日常のほうにリアリティを感じていた。
それから2、3年経って中学生になったとき、初めて自分でビデオレンタルの会員証を作った際に、最初に借りたのがパトレイバーの劇場版(劇場版第1作の『機動警察パトレイバー the Movie』)なんですよね。レンタルショップで、「え、パトレイバーの映画なんてあるんだ」と感動するんですよ。当時はOSという言葉もよく知らなかったのだけど、レイバーがみんな同じプログラムを使うようになったとき、そこにウィルスが仕込んであると大変なことになるというのは、なんとかわかるわけです。そういう世界観って、バブルの頃の田舎の中学生には衝撃なんですよね。TV版の方は人間ドラマとして面白いというくらいだったのが、映画版で世界観にぐっと興味がいくわけです。
吉田 僕は「NEW OVAシリーズ」は、1話から10話までをVHSで持っていて、11話から16話までをLDで持ってるんですよ。この辺が自分の映像体験を物語るなあ、と思います(笑)。
宇野 物語ってますね(笑)。
吉田 当時、1話から16話まで揃えると貰えるグッズの中に、篠原重工のノベルティの電卓があったんですよ。このノベルティシリーズは種類が結構たくさんあって、その中にカードラジオとかもあったんですね。当時のグッズって、いいところで下敷きとかフィギュアですから(笑)、そこに篠原重工の電卓がきた瞬間に衝撃を受けるわけですよ。
しかも、よく見ると“昭和七十何年度創立 何十周年記念”とか書いてあって、それを学校で使っているのを見た友達が「ねえ、これ間違ってない?」と言うのを見て、少しニヤリとしたりする(笑)。そういう、「自分たちだけがわかっている」という感覚が当時ありました。現在では主流になっている、現実とフィクションの境い目を縫っていくようなことを一番始めにやった作品だと思うんです。
僕はその後、SFとかも好きになるわけですが、多くのSFのように社会批判だとは気付かせないんですよね。ロボットの魅力みたいな素朴なところで子どもを引き入れて、最終的に「一番やばいのは押井守だろ?」というところまで連れて行ってしまう感じも、パトレイバーの凄いところでした。
宇野 僕も、まさにそのルートですね。最初はキャラクタードラマとして好きだったのが、世界観の方に魅せられていってしまい、最終的には押井信者になっていく。
■絶対付き合えます~泉野明と職業倫理
宇野 ここでキャラクターに話を移すと、だから野明、香貫花、しのぶ、熊耳と四人ヒロインがいる中で、僕はやっぱりしのぶさんが好きなんですよ(笑)。
吉田 うん、そうですね。押井派はそうなりますよね。
宇野 押井派はやっぱりしのぶさんが好きだし、ゆうき/出渕だと野明になるし、伊藤和典だと香貫花になる……みたいな感じだと思うんですよね。だから、「二課の一番長い日」のときに、遊馬は花を持って行って香貫花の方に声をかけるわけでしょう。
吉田 僕はもうダントツ、野明だなー。
宇野 小学生の頃は野明が好きだったんですよ。遊馬とくっつけばいいのになあ、と思っていたし漫画版のあの健全なデートのエピソードなんかも好きだったんですよね。でも、漫画版の物語が進むとどんどん説教臭くなっていくんですよね。そして最終巻で、野明がイングラムにビシっと指をささせて、「君、間違ってるよ!」とグリフォンに乗ったバドに説教するじゃないですか。あれを読んだときに、「ああ、野明と付き合えないな、俺」と思ったんですよ(笑)。あそこで「君、間違ってるよ!」とビシッと言う子は人間として好ましいと思うし、同僚としてリスペクトもできるけど、それでは付き合えないなと思ったんです。
吉田 あー……ちょっとわかるな……。
宇野 そういう思い入れ方をしてる時点で、何かアウトなことになってる気はするんですけど(笑)。
吉田 でも、泉野明と付き合えるかという論はありますね。
宇野 ありますよね! 野明って可愛いけど付き合えないじゃないですか。
吉田 そういうふうに言う人が多そうな気がしますね。
宇野 チームに居たらすごくいいと思いますよ、あの子は。楽しいですよね。
吉田 「モテない」みたいなことをネタにして、わかりやすくコミュニケーションを取れそうな感じが、すごくありますよね。
宇野 付き合えます?
吉田 絶対、僕は付き合えますね(笑)。だって、デートの回とかあるじゃないですか。それが元々描かれていたのは、グリフォン編の一番はじめですからね。漫画版の最後は覚えてます?
宇野 覚えてます。野明の顔に傷があって、遊馬が「いざとなったら俺が」みたいな事を……。
吉田 そう。「そんときゃ俺が」です。台詞まで覚えてます(笑)。それで、野明が「はい~?」って言うでしょう。
宇野 あの一言があった方がよかったかは、ファンの間でも議論が分かれてますよね。
吉田 僕は、どっちもありだと思う。でも結局、ありかなしかで言うと、いまだに結論は出てないですね。
宇野 あれは本当に難しいところですよね。特にTV版と漫画版に関しては、野明と遊馬の物語だから二人の関係性について何らかの結論が必要なんです。
おそらく、初期ヘッドギアは「野明と遊馬は恋愛関係じゃないんだ」という前提で制作していたと思うんです。しかし、後にヘッドギアの中でも意見が分かれていって、TV版から入ってきた監督の吉永さんになると、もっと恋愛の方に振りたい気持ちがあったのではないかと思う。と、いうか後から入って来た人間には、あの二人はカップルにしか見えない。だから吉永さんが監督した初期OVA7話では野明が遊馬をデートに誘うんですよね。ここは明確にスタッフ間でキャラの解釈がブレている。でも、そのブレが結果的に、視聴者に「この二人は付き合いそうで付き合わないけどどうなんだろう」という絶妙な"やきもき感"として機能していたと思うんですよね。
吉田 そこでいきなり「ゆうきまさみ論」を言ってしまうと(笑)、だから『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』を書いてしまったんじゃないでしょうか。あれって結局、野明と遊馬の代理戦争でしょう? 最後までちゃんと戦い切らせるとこうなるという話ですよね。
宇野 パトレイバーは青春群像の物語なので、必然的に野明たち新人警官が大人になって、一人前の警官になっていく話を描く必要があるわけです。ただ、そこで押井さんならば、国家や社会のような大状況に対してどう自分を位置づけるのかがテーマになるのに対して、ゆうきさんは職業倫理を身につけることで立派な社会人になる、という方向に行くんですね。そこに分岐点があるのだなと、よく思っています。
吉田 たぶん、僕が全映画で一番好きなシーンは、パトレイバー1で遊馬が 「やっぱ警官は人命尊重を貫いとくもんだ」「野明の真下だよ」と言うシーンなんです。あの辺のシーンには、職業倫理を守った人間が報われることへの、”してやったり感”があるじゃないですか。どうやら、一番好きなのはそういうところなんですよね。
宇野 なるほどね。僕は圧倒的に押井派なんですよ。やっぱりパトレイバー2で警察官を辞める覚悟で後藤隊長のもとに再結集する第2小隊にぐっと来る。と、いうかこの好みの差はそのままニッポン放送の社員でいる人間と、数年で会社員をドロップアウトしてしまった人間との世界観の違いな気もするな(笑)。
吉田 それもあるかもしれないですが(笑)、僕は結局、古典落語とか人情噺が好きなんですよ。もちろん、職業倫理を守った人間が報われる根拠はないから、それは宗教です。けれども、僕はその宗教が好きなんです。あの世界では、職業倫理に則った人たちが、その職業倫理の中では少なくとも救われているんでしょう。将軍としては負け戦でも、部下としては「俺たちは正しいことをやって、実際に何万人か救いましたけど、何か?」と充実感を持って言えるじゃないですか。
結局、部下のやっていることはとても子どもっぽくて、親が責任をとってくれているから、それで済んでいるだけなんですけどね。でも、彼らはそれでいいわけです。
宇野 それは、90年代に思春期を送った人間にしかわからないことかもしれないですね。
あの頃、もう職業倫理にしか公共性への回路はないと、ある意味でみんな思いつめていたじゃないですか。左翼的なイデオロギーは問題外だし、かといってそれに変わる思想はなく、エコノミック・アニマルもバブル崩壊後はいよいよカッコ悪くなってきた。そんな時代に「世の中のために」とがんばろうと思える唯一の回路が職業倫理だったと言われていたんですよね。論壇ではある時期の「ゴーマニズム宣言」や、その時期小林よしのりさんのブレーン的存在だった浅羽通明さんがこうした言説を担っていたし、フィクションの正解でその精神を体現したもののひとつがパトレイバーだと思うんです。特にゆうきさんの漫画版やパトレイバー1は、その結晶ですね。
吉田 榊さんが、そのエースですよね。
宇野 しかし、現在はその思想がどんどん凋落してしまい、ほとんど顧みられてもいない。というのも、やりがいや職業倫理に誇りを持てる職業は、多くの人間にはほとんどないことが判明してしまった。そう考えたときに、パトレイバーの思想はいま、説得力を持つものではないのかもしれません。でも、だからこそ、もう少し別の形でそれを再現できないかなとは思いますけどね。たとえ最終的に辿り着くメッセージは同じものでも、現在の状況に対応した別の見せ方をしていけないかと思うんですよ。
■内海課長は全然ふざけた人には見えない~80年代の面白主義は悪なのか
吉田 そういう意味では、後藤喜一にブレがないのはすごいですよ。後藤喜一は、漫画版でも映画版でもあまりブレがない。映画版だとやや感情を出し過ぎますが、それは「大長編ドラえもん」におけるジャイアンと同じ理屈なのであって。
宇野 普段の後藤隊長のすっとぼけたキャラがあるから、パトレイバー2の「だから遅すぎたと言ってるんだ!」が効くわけですよね。
吉田 それがなくなってしまったら、「踊る大捜査線」の和久さんになってしまう(笑)。ドラマ全体でいうと、後藤喜一と内海課長の二人が生まれたことが大きいんですよ。あんなキャラは、それまでになかったです。別に、しのぶさんは既存のキャラクターの系譜の中にいなくはないですからね。野明とか遊馬も、キャラクターとしての斬新さはないです。彼らが輝きだしたのも、結局はこの二人の配置あってこそだと思います。
宇野 僕は内海さんのモデルって、中沢新一だと思うんですよ。
吉田 え? 全然イメージないです。
宇野 顔が若い頃の中沢新一に似ているし、なにより内海さんは80年代の面白主義の権化じゃないですか。
ゆうきさんと違って、当時15、6歳の頃の僕には、80年代の面白主義に対して「もっと地に足をつけろ」と言うことにリアリティが持てなかったんです。僕の住んでいた田舎にはそもそも80年代の浮かれた空気は届いていなかったですしね。だから僕はむしろどちらかというと、自分が体験してきた90年代前半の、浮かれたバブルからの逆反動としての「もっと真面目に生きろよ、職業倫理を大事にしろよ」というモードの方に反発がありましたね。この時期テレビも音楽もぐっと「感動」路線に舵を切るじゃないですか。大事MANブラザースバンドとかKANとか。あれが嫌で嫌で。
だから、内海さんがラスボスでなければならない理由や、それに対して「君、間違ってるよ」と説教しなければならない理由は、ピンと来ていなかった。いま思えば、あれって80年代の面白主義を追求していくと、いつの間にかシャレにならない悪を肯定してしまうよ、人身売買とかに加担していてヤバいでしょ、という話なわけです。平行して起こっていたオウム真理教の事件を考えると、実にクリティカルな想像力だったと思う。でも、当時の僕にはそれがわからなくて、一瞬だけゆうきさんから距離ができたんです。
吉田 僕の場合は、ゆうきまさみからの派生では、火浦功とか"とり・みき"の方にいってしまいますね。やはり、80年代的面白主義とその裏にあるSF感が大事なのだと思います。
ただ、火浦功と"とり・みき"がどこにアンカーされているかと言えば、古典落語なんですよ。翻って考えると、ゆうきまさみは落語的なようで落語ではない。すると、より落語的な火浦功に行くわけですが、そこからさらに繋ぐと、今度は新井素子や大原まり子あたりにいくわけです。すると、彼女たちとゆうきまさみはまた繋がるんです。
つまり、円になっているのだけど、僕の一番深い根っこにあるのは、たぶん古典落語なんです。なぜかと言うと、自分が生まれた地域というのが、本当に落語みたいなことが起きるような場所だったからなんですけどね(笑)。
だから、僕の中では内海課長は全然ふざけた人には見えないんです。「こいつがシリアスなドラマに組み込まれてるのを初めて見た」というモードがあったんだと思いますね
宇野 当時の僕には、「なんでこんな敵と一生懸命戦ってたのか」がわからなかったですけどね。人身売買なんてしてたらそれは端的な悪であり、80年代的な面白主義じゃなくてもいいだろう、と思いました。悪いのは人身売買で面白主義じゃない。いい面白主義と悪い面白主義があるだけじゃないかって高校生の僕は思ったんですよね。
吉田 いや、あれは結局そうは描かれてないんですよ。頼まれてそういうことをしているだけなんでしょう。バドに対する距離感で言っても、「あれはバドを救っているのじゃないのか?」と思うんです。芸者の身請けみたいなものにすら見えますね。
宇野 もちろん今になって思えばそうなんですけど、そうなると逆に当時ゆうきまさみが一生懸命描こうとしていた倫理感って、ものすごくまっとうで、そして普通のことだと思うんですよ。それだけに僕はあれがわざわざフィクションで描かなければいけないことなんだろうか、と思うんですよね。なんだか、中学の日教組の先生が道徳の時間にカマす説教みたいに聞こえちゃう。
ゆうきさんが漫画版の最後に遊馬の告白を描いたのは、彼なりに踏み出したんだと思いますね。野明と遊馬の恋愛に踏み込んでいくのは、パトレイバーの世界を壊すことを意味しますからね。でも最終回でゆうきさんはそれを描いて、パトレイバーにケリを付けた。そして、ゆうきさんはそうやってモラトリアムの物語から先に踏み込んだとき、良くも悪くも『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』のような単なる「いい話」しか描けなかった。あの漫画ってメチャクチャ巧いけれど、メッセージが凡庸すぎて僕は読むのが辛かった。こんな現実世界にありふれたお説教を何でこんなよくできたフィクションを通じて享受しなきゃいけないのか、って(笑)。
きっと、あれを描いたとき、ゆうきさんは自分が何を捨てようとしているのか、わかっていたはずなんです。だけど、彼はそっちを選んだ。この歳になってみると、それはすごく勇気のいる決断だなと思います。だけど、当時の僕は……一言でいうと「寂しかった」のだと思いますね。
■パトレイバー2が否定しようとしたもの~押井守の臨界点と読み違い
吉田 それで言うと、ゆうきまさみはまさに青春の作家で、野明と遊馬が「そんときゃ俺が」「はい~?」というやりとりになるわけですが、押井守はしのぶが柘植に手錠をかけて手を取っていこうとするじゃないですか。もう、全然違う男女関係なんですよね(笑)。
宇野 当時の僕は、あれをすごく格好いいと思ったけど、いま見ると、あの団塊世代的なロマンチシズムが逆に恥ずかしいんですよね(笑)。当時は、聖書の『ルカによる福音書』の第12章51節とか暗唱できたんですけどね。「我、地に平和を与えんために来たと思うなかれ」みたいな。パトレイバーのせいで、旧約聖書を文語体で暗唱できる男とかになっていた(笑)。
吉田 それ、いっぱいいる! いっぱいいるよ、そういう人(笑)! ……まあ、僕は暗唱まではいきませんでしたけど。
宇野 当時はやはり高2病をこじらせていたから、柘植としのぶの方が大人に見えてましたね。いま見ると「この団塊親父的ナルシシズムにうんざりだぜ」とか思うんだけれど(笑)。
結局、『機動警察パトレイバー 2 the Movie』はオッサンたちの話になってるんですよ。そして、ゆうきまさみが最後に野明に「はい~?」と言わせたことによって、パトレイバーの世界を失ってしまったのと同じく、押井守の方も、あそこでしのぶが手錠をかけてしまったことで、やはりパトレイバーの世界ではなくなってしまったわけです。
吉田 うん、そう思います。だから今度の実写で気になるのは、"パトレイバーではないもの"として成立するかですね。
宇野 パトレイバー2は、いま思うと「パトレイバー的なもの」を否定することによって、終わらせようとした作品ですね。最後は全員、警官を辞めてしまうわけですから。それにはっきり言って、戦闘ヘリとか戦車が出てきたら、レイバーなんて役に立たないって身も蓋もない現実を描いてしまった。
吉田 事実、ハンガーが襲撃されるシーンで、ほぼ全滅してますからね。
宇野 イングラムよりはるかに強いはずのヴァリアントも、起動するまでもなくボコボコに倒されてしまう。伊藤和典やゆうきさんが築き上げてきたモラトリアムの世界なんていうのは最初からあり得ない、嘘だと示しているわけです。
押井守の『TOKYO WAR』というパトレイバー2のノベライズで、二課の同窓会で進士が「僕たちの夏は終わったんですよ」と言うシーンがあるんです。まさにパトレイバー2は冬の映画で、ゆうきまさみとは違う形でケリを付けようとした。やっぱりパトレイバーは基本的にモラトリアムの物語であって、そこから先に踏み込もうとすると作品自体を否定するしかないんだと。
吉田 ひとつ特徴的なのは、「なぜ押井守はグリフォンを全く描かないのか」じゃないですか?
宇野 それは、たぶん押井さんの中にああいうものが仮想敵たりうる感覚がなかったんじゃないですか。
吉田 まあ、どう考えてもグリフォンは出渕モノですしね。
宇野 あと、押井さんの場合は、80年代面白主義も敵にはならない。ロボット同士の力比べのような、80年代のオタク的な感性を肯定するか否かなんていうのは、押井守にとっては極めてどうでもいい問題だったことに尽きるんだと思います。
吉田 しかし、ゆうきさんには、どうでもよくなかった。よく彼は『鉄人28号』だと言ってますよね。頭の良さで戦える、コントローラーを使った戦闘のほうがロボット同士の戦いよりも重要でそれがやりたかったのだ、と。僕も、そこにはすごくシンクロするんですよ。
その戦いを大人の味付けでやると、たぶん面白くないんです。やはり少年漫画の味付けでないといけない。大人の世界だったら、それって管理が甘いだけの、ゆるい人たちが出てくる物語になってしまいますから(笑)。だから、誰でも観られるという意味で、実はゆうきまさみ版の方が物語の器としては大きいのかもしれないな、と思ったりもします。
宇野 というか、押井守はそういう管理の甘い大人たちしかいない、どうしようもない世の中でいかに戦っていくのかを描いている人だと思うんですよ。そしてそんな管理の甘い大人たちの姿を具体的に描いてしまうと、とてもショボい話になるから、押井守はそういうバカな大人たちの生む状況を描写することしかしない。たとえば「パトレイバー2」では、そんな馬鹿な大人たちが生んだ状況がひたすら作中のニュースとして報道されて、それをひたすら後藤と荒川が解説することで成り立っている。あの映画はそんな「管理の甘い大人たち」が生んだ状況で何が起きているかを正確に把握した一握りの賢者たちが、いかに知的ゲームを戦うかを描いた作品ですよ。あれは、かなりアクロバティックな作りをしていると思いますね。
吉田 それにしても押井守はなぜここに来てパトレイバーを撮っているんでしょう……理由がなさすぎて困ってしまうんですよ。
宇野 ですよねぇ。「パトレイバー2」って、「もはやパトレイバーは成立しない」ことを映画にした作品ですからね。
吉田 押井守のルートで行くなら、本当は『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』になるわけじゃないですか。先ほどのダメな日常の中の賢者の戦いという話だって、もう『イノセンス』までで全部やってますよ。そして、そちらに出口はなかったわけです。そこで結局、押井さんは燃え尽きているのかなあ。
宇野 実は僕は、『パトレイバー2』から『GHOST IN THE SHELL』に展開するところで、押井さんは決定的に間違えたと思っているんです。
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