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第21回  「NESの思想」と『スーパーマリオ』

 だが、初期の「ファミリーコンピュータの思想」を変えていった『スーパーマリオ』の真価は、むしろ「ファミコンではないファミコン」が世界市場を席巻していく原動力になったことにこそあった。同作発売から1ヵ月ほど後、任天堂は山内溥社長の娘婿である荒川實が率いるアメリカ法人ニンテンドー・オブ・アメリカ(NOA)を通じて、北米市場へのファミコン進出を開始している。アタリVCSの後継失敗によるビデオゲームクラッシュでテレビゲーム専用機がすっかり姿を消し、その需要が「ホームコンピューター」と総称されるホビーパソコンに吸収されてしまっていた北米の状況では、「ファミリーコンピュータ」などという野暮ったい和製英語の名称やコンセプトが通用する余地はない。
 そのため、NOAは当初は「Nintendo Advanced Video System」の名で、日本国内で発売したファミリーベーシックと同様、ファミコンを核としたキーボード付きの仕様で発売し、ホームコンピューターの土俵で勝負することを検討していた。しかしながら、すでに8ビット機ではコモドール64が牙城を築いており、また以後の本格的な実用パソコン普及期の標準規格となるアップルの「Macintosh」やIBMの「PC/AT」といった先進的なシリーズの始祖が1984年の時点で登場していた情勢下で、もはや玩具にオプションを継ぎ接いだレベルのパソコンもどきに勝算がないこともまた、NOAは見本市への出展などを通じて思い知らされるに至る。