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第15回 ファミコンブームの諸相
(前回までのあらすじ)
任天堂が1983年に送り出した「ファミリーコンピュータ」は、米アタリVCSが拓いた
ROMカートリッジの交換によって様々なゲームソフトを交換して遊べるタイプの
各社テレビゲーム機がしのぎを削った国内での第二次テレビゲームブームの中、
ハード性能と自社製ソフトの完成度により、発売1年で市場の覇者として抜け出してゆく。
そして周辺機器「ファミリーベーシック」の開発に参画したソフトハウス・ハドソンと、
三大アーケード企業の一角であるナムコをサードパーティに迎えたことで、
マイコン的なものと遊戯場的なものとがクロスするゲーム文化の合流点としての
ファミコンのプラットフォーム性が打ち立てられることになった。
■プラザ合意後の日本社会と「パックス・ファミカーナ」の確立
1985年という年は、戦後日本が前提としていた世界の前提が次々と覆っていく時代の起点であった。スターウォーズ計画などに象徴されるアメリカのテクノロジー軍拡路線に押されて、いよいよ壮大なチキンゲームのコストに耐えきれなくなったソビエト連邦では、ミハイル・ゴルバチョフが共産党書記長に就任。ペレストロイカと呼ばれた経済の市場化と政治体制の民主化を目指す改革を開始し、人類滅亡の日まで続くかと思われた冷戦体制に終結への道が開かれる。その一方で、財政と貿易の莫大な「双子の赤字」とインフレに悩まされるアメリカの側は、対日経常赤字を是正すべく先進5ヵ国蔵相・中央銀行総裁会議(G5)にて、為替レートを円高ドル安に導くプラザ合意を締結。日本を狙い撃ちにしたこの合意による円高圧力に対処すべく、日本経済は金融政策の混乱を経て大幅な内需拡大へと舵を切らされる。結果的に、もはやモノに密着した生産部門への設備投資など実体的な必要性から遊離した膨大な資金が土地や株に向かってその値を空虚に吊り上げることになり、日本は空前のバブル景気へと向かってゆく。
富裕層が板につかないマネーゲームに乗り出す一方で、筑波研究学園都市の起爆剤として開催された国際科学技術博覧会(つくば科学万博)は、かつての大阪万博のように社会全体に進歩や調和の〈夢〉を提示する国民的祝祭というよりも、せいぜい東京ディズニーランドをテクノロジー寄りにした時限テーマパーク程度の趣向として消費されていた。そうして日本人のリアリティが様々に浮き足立っていく〈虚構の時代〉のクライマックスを彩る風景のひとつとして、ファミコンブームもまた推移していくのである。
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