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第14回  サードパーティ参入がもたらした三つのゲーム文脈の融合

(前回までのあらすじ)
玩具シーンにおける第二次テレビゲームブームの一角をとして、
1983年に登場した任天堂「ファミリーコンピュータ」。
その設計思想には、アメリカ的な「パーソナルコンピューターでも
ホームコンピューターでもない」日本家庭への溶けこみが企図される
一方で、当時のアーケードゲームを最も忠実に再現できる機体として
頭角を表し、『マリオブラザーズ』を中心とする二人遊びゲームの
ラインナップで、ファミコンはブームの覇者へと駆け上がっていく。

■周辺機器開発とマイコン文脈の補完をもたらしたハドソン

  以上のようにファミコン発売当初の任天堂は、翌84年2月には初の周辺機器である光線銃コントローラー「ガン」とともに、かつて横井軍平が考案して人気を博したエレメカ式射撃ゲーム『ワイルドガンマン』『ダックハント』などの「光線銃シリーズ」を同ハード専用ソフトとしてリメイクするなど、玩具メーカーとしてのクオリティ感覚に基づいて制作した自社製ソフトのみでラインナップを構成していた。これは同時代に進行していた北米ビデオゲームクラッシュの原因を、質の低い他社製ソフトの氾濫を許したアタリのサードパーティ政策の失敗にあると考えた山内溥社長の判断だった。

  ただしその方針は、他のゲーム機に対する優位が見えてきた発売1年のタイミングで大きく転換していくことになる。その契機となったのが、光線銃に続くファミコン第二の周辺ハードとして同年6月に発売された「ファミリーベーシック」の開発だった。