【今週のお蔵出し】
社会学とノンフィクションのあいだで
(初出:「星星峡」2012年9月号)
僕は今、いわゆる「反原発運動」というものから距離を置いている。僕はあの日まで原子力発電の問題に、あまり高い関心をいだいていなかった人間のひとりだ。だからこそ、あの日以降はこれからこの国で原子力発電を続けるリスクというものが、いかに過小評価されていったかについては真剣に検討しなければならないと考えるようになった。けれど、あの日から急速にふくれあがった「フクシマ」をめぐる言説のほとんどに、僕は関心をいだけなかった。それはこれらの言説のほとんどが、ほんとうは原発のことなんてどうだっていいという本音が見え隠れするものだったからだ。グローバル資本主義批判、旧自民党的な利益誘導政治批判、「マスゴミ」批判――フクシマを口実に2011年3月11日以前から敵視していた存在を指弾したい――彼ら「知識人」の文章からは、そんな強い意志だけは嫌というほど伝わってきた。もちろん、それはそれで必要なことなのかもしれない。しかし、少なくともそれらは一読者としての僕が必要としている言葉ではなかった。そして、この違和感が今も僕を反原発運動から距離を取らせている。「気持ちはわかる、しかし……」という違和感が拭えないのだ。
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