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本日のメルマガは、認定NPO法人フローレンス 代表理事の駒崎弘樹さんと宇野常寛との対談をお届けします。
「政治参加」と言えば選挙やデモなど、積極的な行動を取る手段がイメージされがちな日本。しかし「政策起業家」の駒崎さんによれば、むしろ「普通の人々」の現場の声こそが政治を動かすのだと言います。そうした普通の人々が社会を変えていくためにはどうすればいいのか、駒崎さんの近刊『政策起業家:「普通のあなた」が社会のルールを変える方法』を手がかりに議論しました。
(構成:野中健吾・徳田要太、初出:2022年1月14日(金)放送「遅いインターネット会議」)

「政策起業家」が行き詰まりの日本を変える可能性を徹底的に追求する|駒崎弘樹

宇野 本日は「政策起業家」という言葉をテーマに、駒崎弘樹さんとの対談を企画しました。駒崎さんは1月に『政策起業家』という本を出版し、また、代表を務める特定非営利活動法人フローレンスとしてさまざまな社会問題解決に携わっています。「政策起業家」は耳慣れない言葉かと思いますが、今日の民主主義や統治論を考える上で外せないファクターでもあります。この概念を日本的な形で持ち込むことが今の日本の民主主義の行き詰まりに対して一石を投じることになるのではないかと提案しているのがいまご紹介した『政策起業家』です。それでは今日はよろしくお願いします。

駒崎 よろしくお願いします。

宇野 駒崎さんの前著『社会を変えたい人のためのソーシャルビジネス入門』が出たのは2015年でもう5年以上経ちますが、『政策起業家』はこの数年間のセルフドキュメンタリー的な内容ですよね。フローレンスが立ち上げた事業がどのような社会的反響を得て、それが政治を通じて法制度や条例にどういった変化をもたらし、結果的にどう世の中を変えていったのか、ということが克明に記されています。

駒崎 日本だと法律を作ったり変えたりするのは政治家と官僚、特に官僚のお仕事だという発想が浸透してしまっていて、法律は民間から変えられるものだという概念自体がそもそも無いんですよね。しかし実際はそうではありません。民間からも法律を変えたり作れたりするということをぜひ知ってもらいたいんです。なぜならそれが、危機感を抱くほどにグダグダになっている日本の政治シーンの突破口になると感じているからです。今日はそんな話をガッツリとしていきたいと思います。

保育園の「20人の壁」を壊したら待機児童の未来が開けた。

駒崎 「政策起業家」という言葉自体はアメリカでは「ポリシーアントレプレナー」と言われていて割とメジャーなものです。論文数で言えば5年で8,780本も出ていますが、これが日本だと5年でたったの19本しかなくほとんど知られていません。僕は政治家でも官僚でもありませんが、今まで政策起業家として10本以上の法律や制度を変えてきたので、政策起業家というのは一体どういうものか、僕が実践してきた事例でお話ししたいと思います。
 まず僕自身のことですが、普段は認定NPO法人フローレンス(フローレンス=ナイチンゲールより命名)という団体で子育て支援・障害児の保育・特別養子縁組の支援といったことをしています。そうした「目の前の人を助ける」ことも非常に大事ですが、一方で、困っている人が生まれる社会構造や仕組みを変えていくというのが政策起業家の役目です。

 例えば僕らが取り組んだものに「小規模保育所の制度化」があります。きっかけはある時産休・育休を取っていたうちの女性社員から「保育園に全部落ちて復帰できません。仕事もやめなきゃいけない」と連絡が来たことです。彼女を戦力として当てにしていたこっちは「ええっ!?」とびっくりしてしまいました。当時は待機児童という言葉がまだまだメジャーではなくて、子育て支援の仕事をしていた僕らでも「話に聞いてはいたけど、そんなことってこんな身近で起こるんだ」という状況でした。
 ではどうするかと考え、ちょうどその時に病児保育にも取り組んでいたので、「保育する人がいるんだから、彼女のお子さんを預かれる保育園を作ればいいじゃないか」と思ったんです。そこですぐに役所に保育園の作り方を聞いてみたんですが、「入り口と出口は別々じゃないといけない」「このぐらい広さがないといけない」といったようなルールが大量にありました。その中でも一番つらかったのが、「子供の数が20人以上いないと保育園として認めません」というルールでした。20人だとかなりの広さが必要ですが、都市部にそんな空き地なんてありませんし、既存の商業物件に入るとなると坪単価がとても高くなってしまいます。「だから保育園ってなかなか作れないんだ」とそこで気づいたんです。でも「どうして20人なのかな」と思って、その理由を厚生労働省に電話して聞いてみたら「うーん、ちょっと理由はわかんないですけど、従ってください。昔からそうだったんで」と言われました。
 そこで僕は、「ははあ、これは大した理由がないな」と思ったんです。「人間工学的に20人がベストというような理由は多分なくて、何かの理由でたまたまそう決まっているんだろう。だったら別に従わなくてもいいかも」と思いました。というのもこの「20人の壁」を何とか取っ払って9~10人で認められるなら空き家を保育園として利用できるんですよね。3LDKのマンションでも保育園ができるから、その辺の至るところで作れるようになります。そのために話を聞いてくれそうな政治家にかたっぱしからアポを取り始めて、その中に以前からの知り合いだった松井さんという方がいたのですが、わざわざ首相官邸まで呼んで直々に話してくれたんです。そこで「松井さん、かくかくしかじかで児童の数が9人や10人の保育園を作れたら絶対広がると思いますよ」と説得したら、厚労省に話を通してくれました。
 実は僕の故郷である東京都江東区の豊洲エリアは「待機児童のメッカ」というニックネームがついています。そこでマンションの空き物件だった一室を保育園にしました。家を使うから「おうち保育園」というそのままの名前で、日本で初めて定員9人の小さい保育園を2010年にオープンしました。園庭などはもちろん無いんですが、近くの公園へ散歩も普通にできて子供たちは楽しく過ごせます。この「おうち保育園」は定員9人のところ、オープンしたら20数人の申し込みが来ました。おまけに、保育士不足の中で保育士さんもたくさん採用できたんです。実際に保育士さんに、「なんでうちに来てくれたんですか?」と聞いたら、「大きな園だと子供一人ひとりと向き合えないけど、ちっちゃい園だったらもっとちゃんと向き合えると思いました」という、意外だけど嬉しい答えをもらえました。つまりもう「おうち保育園」自体は成功したんですよね。

 ですが、それで助けられたのは目の前の9人だけだったわけです。それはそれですごく尊いことなんですが、待機児童問題は日本中にありますよね。でも今のままだと、「おうち保育園」は単なる特殊なケースで終わってしまいます。これをモデルケースにして制度自体を変えていかなければならないと思いました。それで官僚や政治家の人に何度も視察に来てもらい、その場でそのモデルを売り込みました。そうしたら、注目してくれた方の中の1人に村木厚子さんという女性官僚の方がいて、彼女が待機児童対策特命チームのリーダーだったんです。その村木さんが「なんで気づかなかったんだろう。大きな保育園は作りにくいけど、小さい園だと確かに作りやすいよね」と言ってくださったんですね。そして法案を書き換えて「小規模保育」という言葉を入れ込んでくれました。その法案が子ども・子育て支援法という形で通って、2015年に小規模認可保育所が正式に制度化されました。それまで保育園の仕組みは70数年間ほとんど変化が無かったんですけれど、初めて大きく変わりました。児童が20人未満でも保育園として認められるようになった瞬間でした。この小規模認可保育所は2010年時点ではおうち保育園の一つでしたが、制度化された2015年のうちに約1600ヶ所に増えて、2020年には5000ヶ所以上に増えました。そのうちフローレンスでやっているのは10数園だけで、あとは他のいろいろな事業者の方が参入して運営しているという状況です。これで大きく待機児童問題は前進することになりました。
 つまり、一つのモデルケースを作ってそれを政府にパクらせることによって国全体にその仕組みが広がり、より多くの人たちを助けることができるわけです。こう考えると、世の中を変えるというのは絵空事じゃないということがおわかりいただけるかなと思います。このように制度を変えていく人たちを「政策起業家」と言っています。

 こういった話をすると、「いやそれ駒崎さんだからできたんですよね」というようなことを思うかもしれないですが、まったくそんなことはありません。その一つとして双子ベビーカーの事例をご紹介させていただきたいと思います。
 うちの市倉さんという女性社員が、「双子の育児って本当に大変なのに周りに理解されない。外出もろくにできなくて鬱の一歩手前」と友人から話を聞いたそうなんです。市倉さんが「バスに乗って出かければいいじゃない」と伝えたところ、「いや、双子ベビーカーはバスに乗せてくれなくて、『乗る時はたため』とか言われる。でも双子抱えてベビーカーたたむのなんて無理」と、事実上、公共交通機関であるバスから排除されているエピソードを友人から聞かされて驚いたんですね。
 そこで彼女はGoogleフォームで双子育児についてのアンケートを作り、フォロワーなんてロクにいない自分のTwitterアカウントでこの問題提起を投稿してみたんですね。するとこのアンケートにたくさんの反応が集まって、どれも双子育児についての悩みや大変さがつづられていました。その後相談があったので、「会社としてやろう」と伝え、フローレンスとして彼女を中心にチームで取り組むことになりました。詳しいことは『政策起業家』で述べたので省きますが、彼女が頑張った結果として小池都知事にアポが取れ、都知事もこの課題を認識してくれました。その結果、双子ベビーカーを折りたたまない乗車がまずは都バス全線で、そして2022年には私営含む都内のバス全路線で解禁されることになりました。だからこれから双子の子育てをする人にとっては双子ベビーカーがバスに乗れることが当たり前になると思います。そういう新しい当たり前を行政に関わっているわけではないママが情熱から起こした行動で作れたということは素晴らしいことだなと思います。

 実はこの事例と同じことが50年ほど前に車いすでも起きていたんです。今やノンステップバスが当たり前ですが、1970年代までは車いすはバスに乗れなかったんです。けれど、当時青い芝の会という脳性麻痺者の障害団体の人がゲリラ的に車いすでバスへ乗り込んで、そこにマスメディアを呼び、今で言う炎上を起こしたんですね。それで話題になって車いすも乗れるようになったということがあったんです。

 このように、我々が当たり前だと思っていることは実は名もなき市民たちが政策起業家として体を張り、情熱を持って動いて変えてきたという歴史があります。そうして積み上げてきた数々の当たり前の上にいま我々は生活しているんだということをぜひ知ってもらえたらなと思います。ですから誰だって政策起業家にはなれます。読者の皆さんも、何か変えようと政治家に1本メールを打った瞬間に、政策起業家の道としての一歩を踏み出しているんだということを知っていただけたらなと思います。理不尽なルールがあふれている我が国ですけれども、変えるのは政治家でも官僚でもなくて我々なんです。

アメリカのシンクタンク文化に対する日本の政策起業家

宇野 ありがとうございました。本来だったら、政治に関する官民の交流はもっと活発に行われるべきだし、民間からのルールメイキングの動きももっと当たり前のものとして存在しなければならないと思うんですよ。でもそれを今の日本の社会のルールの上でやろうとすると、一生懸命考え抜いた末のアクロバティックな手を打つしかない。それはすごく不幸だなと思います。だからこそ駒崎さんは自分たちが10年かけて実践しながら編み出してきたこの「日本的政策起業家」ともいうべきカルチャーを浸透していくことが今の日本に必要だと思ってこの本を書いたんだと思います。
 けれど最初に聞いてみたいのは、もっとそもそも論のところで日本社会を変えていくことを考えなかったのかなというところなんです。例えば、永田町(政治家)と霞が関(官僚)の関係などの根っこの構造にメスを入れようと思った時期はありませんか?

駒崎 たとえばさっきお話しした通り、政策起業家というのはアメリカのほうがずっと盛んですが、その一因として大統領が変わると官僚が根こそぎ変わる点があります。例えば日本だと菅政権から岸田政権に変わろうが官僚はそのままですよね。これがアメリカの場合、トランプ政権からバイデン政権になるとトランプ政権の官僚は全員辞めて、民間のシンクタンクで勤めていた人が官僚になります。これはリボルビングドア=回転ドアという言い方をするんですけど、公共の政策をわかっている人が民間に出て、逆に民間から公共へ人が入ってくる。こうして政策をわかっている人たちが社会全体に蓄積されていくよう機能しています。そうすると民間と公共の間でいろいろなアクションも起きやすく、民間から政府に政策を提案できて実際にいろいろな政策が実現しています。このように、ある意味政策起業家が生まれやすい状況というのがあるんですよね。したがって、アメリカだと民間から政策を変えたいという意志のある人は、たとえばシンクタンクを起業して、どんどん政策提言をしていったりします。けれど日本でシンクタンクというと省庁から調査を引き受けたりする外注先であり、要するにSIerのような組織を指します。ですからシンクタンクからどんどん政策を提言して実現していこうというふうにはなっておらず、日本の政策起業家もほとんど育っていません。これは非常に勿体ないんですよ。なぜなら「日本ほどいま政策起業家が必要な国ってないんじゃないの?」という状況になっているからです。

 実は、アメリカのシンクタンクは一体どうやって政策起業家的なことをやっているのかなと思って以前調べたことがあります。それでわかったのは、面白いことにアメリカのシンクタンクというのは寄付を資金源としたNPO法人なんです。ものによっては数百億円という額が寄付で集まるんですが、寄付をしているうちの多くは政界に関わりを持っているわけではない一般人なんですよ。法人や、何名かの大金持ちも寄付しているんですが、基本的には個人が多くて寄付層のポートフォリオバランスが良いままに運営されています。日本はどちらかと言うと法人の方が多くて個人が少ないし、寄付総額もあまり大きくありません。このように寄付文化とそれに根差した仕組みが違うから、資金調達力の面でアメリカと日本では大きな差が出てしまうんですよね。ですから、活動するための人材を集めるにしてもアメリカは結構容易にできるけど日本では難しい。そういった事情もあって、日本でアメリカのような政策提言をするシンクタンクが成立するところまで行くのはちょっと道のりが遠いという状況があります。
 だけど個人が動いて政策を変えるということだったらそんなに資金力がなくてもできる。だから僕は統治機構や天下国家の視点ではなくて、ゲリラ戦士としての政策起業家をどれだけ増やすかという方向に向かいましたね。ただ、この政策起業家をそのうち仕組みにしてチームにしていくことが必要で、そうなった時にはアメリカ的なシンクタンクに発展していけるだろうという想いはあります。

宇野 そこにたどり着こうとした時に、日本はその1万歩ぐらい手前にいて、まずは民間からルールメイキングできるんだという「当たり前」を証明するところから始めなければならないのだと思います。でも、何十年後かには「あの頃は政策起業家っていったら、まず前例となるベンチャービジネスを成功させて、それから霞が関や永田町に強烈にアピールして自分たちのモデルをパクらせることで全体に普及させていく、みたいなまどろっこしいことやってたんだぜ」ということが昔話として言われるようになっているかもしれない。

駒崎 まさにそういうところを目指しています。そういう長いスパンで考えるのもあながち無駄ではないかなと思うのは、例えば僕は社会起業家第1世代とか、日本の社会起業家の代表事例のように言っていただいたりもするんですが、「社会起業家」という言葉自体は2008年に輸入されて2010年くらいから知られるようになったものです。ですから僕がフローレンスを立ち上げた2004年頃は僕の職業を名付ける概念が日本には無くて、「なんかNPOみたいなのやってる人」という扱いだったんです。つまり、今は無い職業や今は社会に無い概念であっても20年もあれば仕事にできることだってある。だから政策起業家も10年くらいかければ本気でそれを目指す人がある程度は出てきて10年後には割と普通な職業として、みんなが選択できるようなったらいいですね。

日本的な「スマートではない」ルールメイキングの有効性

宇野 「民間からのルールメイキング」というテーマを今の流行に乗った形で論じると、いわゆるGovTechとかvTaiwanの事例のようにテクノロジーでなんとかしようという話に陥りがちです。それはそれで良いのですが、ならばなぜ日本で駒崎さんはスマートさとは程遠いような現場での泥臭い手法で長年頑張っているのか、ここを考えないといけないと思うんです。

駒崎 言ってしまえば、台湾のようにテクノロジーを使って意見を集約して全体最適を見て意思決定するといったスマートなところにも、日本は遠く及んでないんですよね。もっともっと非常にウェットで、「こんなに困っている親御さんがいてね、どう思われますか?」といった意見を聞いた政治家が涙を流しながら「それは大変だね、なんとかできるよう頑張るよ」という世界なんですよ。10年後とかにはもっとスマートになっているかもしれませんが、いいか悪いかは別としてそういう状況なので本当に制度を変えたいとなるとそのウェットさにがっぷり四つに組んで戦っていかなければなりません。僕が政策起業家の概念を提起した時は、本当にリアリズムが徹底された中で出すしかなかったんです。

宇野 いや、僕はこのスマートではないアプローチが逆にいいと思っています。例えばvTaiwanというのはやはり専門家とマニアの集まりで、専門的な問題について議論ができたり意識が高く能力もある市民が集まって「シェアリングエコノミーの規制をどうするか」というような検討をしたりしているわけです。要はvTaiwanなどに表れているオードリー・タン的なアプローチというのは、テクノロジーエリートが先導することによって全体最適を目指すという発想ですよね。ですが今の日本というのは、スマートではない部分で民主主義の目詰まりを起こしているわけです。だから日本では等身大の困りごとに対してみんなで徒党を組んで行政の人と話しに行く、そしてその困りごとを解決するための仕組みを考えてみる、とかいった形で公共を作っていくことに駒崎さんは取り組んでいると思います。

駒崎 そうなんですよね。しかも、台湾は人口規模的にも小さいですが日本は1億2000万人以上いるし、新たなテクノロジーに不慣れな高齢者も非常に多い。その状況のモデルケースとなる国がない中で、それでもいかにこの衰退を緩和させていくかということが今の我々の世代に問われています。だからそこはもう徹底的にリアリスティックにやるしかないところですね。いろいろと取り組んでいる中で、わが国では市民が強い公共意識を持って動くなんてことは実際にはないんだという実感があります。とはいえ、それでも課題解決に向けて1ミリでも前に進めなければならないとしたら、やはり政治家に石を投げたり公務員を馬鹿にしていたりするだけでは駄目なんですよね。彼らに通じる言葉で、何が課題なのかを噛み砕いてお伝えして、そのためには何をすればいいのかを説明して、一緒にやっていきましょうよと説得していく。そういう地味な営業マンようなことが必要で、この泥臭さこそが日本的なのではないかなと思います。

宇野 変な話だけど、そんなに専門知識があるわけでもないしすごく卓越した自分の知見があるわけでもないような人が世の中にコミットしようと思ったときには、嫌いな政治勢力をTwitterでディスるという手法が、恐ろしいことにいま一番人気がある。そういったことをする人々に対して、「スマホを握って誰かを攻撃すること以外にも社会にコミットする方法ってあるんだよ」と実例で教えることが大事だと思います。そういった人たちはvTaiwan参加者のようなスマートなやり方ができないからそうしていて、だから「スマートじゃない」アプローチをしている駒崎弘樹的な政策起業家のモデルにこそ最大の可能性があると僕は思ってるんですよね。

駒崎 本当にそうですよね。10年前に僕らが共演したNHKの番組「ニッポンのジレンマ」でも話しましたけど、当時は僕らもSNSが日本の民主主義を変える夢を見ていました。しかし、結果そうはならなかった。僕は1999年に慶応のSFCに入って、「インターネットが世界を変える」「民主主義をより活性化させ、より個人が発信できるようになり、より自由になる」という夢を大学4年間で叩き込まれたんですよね。だからネットに対する夢はものすごくあって、その延長線上に生まれたSNSは個人が本当に世界に発信できて、より自由な市民社会を描けるんだという思いで宇野さんとも夢を語り合っていました。ところが、そこから「アラブの春」などを経て結局行き着いたのが、Twitter上でのディスり合いとその追走劇です。さらにはTwitter上の世論なんて現実の政治には基本関係なく、選挙では「ドブ板選挙」が勝利していき、自民党はずっと与党であり続けるという、僕らの夢が全敗した絶望の10年でした。ただ、マクロで見ると負けであっても、その中でミクロでの勝利を重ねていって少なくとも生活空間の中では少しずつ良くなっているということを生み出したいんですよ。

宇野 でも僕は今がけっこう勝負のときだと思っていて、例えば選挙の話をすると、公明党や共産党って明らかに足腰が弱っている。あの人たちがすごく得意だった、ひと家庭ずつ訪問して困りごとを聞きながら自分の党の中に取り込んでいくようなやり方も基本的には昭和の遺物なので団塊世代とともに緩やかに退場していく運命にあると思うんですよ。でも、彼らがいなくなったからといって、困っている人とか弱い人、ある種天下国家のことを理知的に分析する余裕がない人は変わらず大量に居続けるわけなんですよね。このままいくとそこにイデオロギーが入ってくる。比喩的に言えば橋本チルドレンと山本太郎の取り巻きが入ってくる。それが結構危ないと僕は思っていて、そうではなくイデオロギーを地上に下ろさないために何か自分たちの生活の課題や困りごとを政治に結びつける市民文化が必要だなと思っています。それを向こう10年ぐらいで作っていって、それが共産党や公明党が退場した後の受け皿になっていく以外、この国の民主主義がまともに機能するシナリオが思い浮かばないよ。悪い意味でのSNSを通じたイデオロギー浸透が生じる前に、スマートではないけどしっかり人々が社会に関わって世の中を変えられるんだという手触りを覚えられる市民文化を作っていかないと、時間切れになる気がしている。

駒崎 その「イデオロギーを地上に下ろさない」というのは非常にいい言葉ですね。あるイデオロギーの視点から誰かを悪者にしてそれをぶったたこうという発想が、ネタとして言っている次元から本当にそういうふうに思い込んで実際に排除が始まることがあるので、やっぱりイデオロギーというのは怖いですよね。また「スマートじゃないけど手触りのある市民文化」という言葉を聞いて僕が想起するのは、アメリカへ視察に行った時にボストンで参加したゴミ拾いイベントです。特に誰彼関係なくみんなでゴミ拾いやろうぜという感じのイベントで、ボロボロの格好の人とかも当たり前のように参加していました。そこに僕も混ぜてもらって、一通りゴミを拾い終わった後にみんなで輪になって、その日の感想を話し合っていたんですよ。そしたらそこにいた7歳くらいの男の子が最後に「僕はこのイベントを通じてボストンに貢献できたことを誇りに思います」というようなことを普通に言っていて、「えええっ!?」って衝撃だったんですよね。そんな言葉を子供が普通に言うのかと。例えば自分の子供とかが「住んでいる北区に貢献できて嬉しい」なんて言わないわけです。だからボストンでは地域社会というものの手触り感がしっかり根付いているという事実に少し戦慄したんですね。
 もちろんこれはアメリカの一側面であって全然駄目なところもたくさんあるんですけど、市民としての社会への関わり方について、7歳の子供にその温度感があるのはすごいなと思いました。じゃあ、我が国にそれがあるのか? 例えば地域社会への貢献が普通に手触りを持って日常の中に組み込まれているかといったら、ないわけですよね。

宇野 そこの話で言うと、地域に愛着があるから関わりたくなるとみんな思いがちだけど、それは逆だと僕は思っている。別に好きで北区に住んでいる奴ばかりじゃないけれど、例えばゴミ捨て場が少なすぎだとか暴走族がうるさいよねとか身近で困っていることはあって、それを自分たちの動きで変えられたらその街のことが好きになるんじゃないかと思う。だから僕は先に「変えられる仕組み作り」からやっていけばいいなと思うわけ。地域への愛情なんてものは最初からなくてもいいし、後から勝手に出てくると思う。

駒崎 それはその通りで、いわゆる「IKEA効果」ですね。あそこの家具は安くて素敵だけど、組み立てるのに2時間とかかかる。汗だくになりながら本棚とかを作って、「作業時間を時給に換算したら果たして安かったのかな?」なんて思ってしまいます。でも、作った後にその家具がすごく愛しくなる。あれはコミットメントしたから愛せるんですよね。それと地域も同じなんです。関わって悪戦苦闘しながら変えていく中でいろいろな知り合いができたりこういうことができるんだという達成感も出てきたりします。だから行動しようとしたら自ずと愛は生まれることはあると思うし、「よくわかんないけどやってみようか」といった形で人々を巻き込む装置が必要かなと思います。


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