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ライターの碇本学さんが、あだち充を通じて戦後日本の〈成熟〉の問題を掘り下げる連載「ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本の青春」。
今回は、いよいよ現在連載中の最新作『MIX』を扱います。長きにわたるあだち充の魔画家人生の中で『MIX』はどう位置づけられるのか、過去のインタビューも振り返りながら考察します。

碇本学 ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本社会の青春
第23回 『タッチ』の明青学園を再び舞台とした『MIX』​​(前編)

「明青学園を、もう一度甲子園に連れていってください」

前作『QあんどA』終了から1ヶ月空けただけの『ゲッサン』2012年6月号から現在も連載中の『MIX』が開始されることになった。現在2022年6月時点ではコミックスは18巻まで発売中、7月に最新刊19巻が発売となる。
『KATSU!』からあだち充の担当編集者となり、この連載でも『KATSU!』『クロスゲーム』『アイドルA』『QあんどA』の回で名前が出てきた編集者の市原武法がいたからこそ、この『MIX』という作品の連載は始まったといえる。

市原は「人生における大切なことは、すべて上杉達也に教わったと言ってもいい」というほどに『タッチ』の上杉達也が特別な存在であり、小学館に入社後に「少年サンデー」に配属されてからもずっとあだち充の担当になりたいと年度ごとに担当替えを編集部に訴えていた人物だった。そして、2004年に『タッチ』二代目担当編集者であり、当時の「少年サンデー」編集長だった三上信一から『KATSU!』連載中に担当編集者を任されることになる。
ちなみに『MIX』にも三上信一という名前の先生が登場し、彼が黒板に「市原武法」と書いて生徒に「何をした人物だ?」と聞くお遊びの場面があり、この二人のことをあだち充がいかに信頼しているのかがわかる。
『KATSU!』連載中のあだちは兄の勉の体調が悪かったこともあり、モチベーションが下がっていた時期だった。そのことを知らなかった市原は「あだち充はこんな漫画を描くような人ではない」という危機感を持っていたという。
実際に担当編集者となった市原は『KATSU!』を早く終わらせて、新連載を立ち上げようと動き出す。そして始まったのが逆『タッチ』ともいえるあだち充の集大成的な要素が詰まった『クロスゲーム』だった。少年漫画家としての限界も囁かれていたあだち充は『クロスゲーム』によって少年漫画家としての復活を果たすこととなった。

「月刊少年サンデー」を立ち上げるために市原は社内でも動いており、実際に2009年にその尽力もあって『ゲッサン』が創刊されることになった。そこでは編集長代理を務めながらも新人発掘と新人育成に力を入れていた。また、引き続きあだち充の担当編集者でもあった。
長期連載の合間となる肩の力を抜いたあだち兄弟を彷彿させる『QあんどA』は創刊号から2012年4月号まで約3年間続いた。連載終了する際に、市原はずっと企画として温めていたテーマを次作としてあだちに提案することになる。

 市原は密かに計算していた。1986年、達也は18歳だった。ならば、彼らが大人になったのなら、2012年は、その子どもたちがちょうど高校生くらいの年齢に差し掛かるはず。「この企画は、今しかできない」と市原は確信した。ただ、あだち充は常々「続編は絶対に描かない」と宣言している。
「続編なんか描いて欲しくないんです。達也や南のその後を描く必要はない。ただ、僕らが愛したのは達也や南はもちろんですけど、明青学園の世界観をも愛していたはず。その明青学園を、もう一度描いて欲しかった」
 新連載の打ち合わせ、喫茶店「アンデス」。雑談から始まり、あだちが頼んだ2杯目のアメリカンが運ばれると、あだちが切り出した。
「次は何描きゃいいんだよ?」
 市原は「南っぽく言おう」と悩んだ末、決めていた。
「明青学園を、もう一度甲子園に連れていってください」
 20秒か30秒、あだちはしばらく何も言わず黙った。開口一番、イエスでも、ノーでもなく、あだちは言った。
「前商(前橋商業)に行ってみねーと、なんとも言えねーな」
 描いてくれるんですか? そんな野暮天はいけない。この時、担当になって既に8年の歳月が流れている。市原は即答した。
「そうですね。すぐ行きましょう」〔参考文献1〕
「MIX」は市原のわがままで、「明青学園を、もう一度甲子園に連れていってください」という指定でした。「タッチ」の続編ではないけど、同じ時空間の中の話だから絶対やりにくくなるんじゃないかと思った。「タッチ」の人物に触れないわけにはいかなくなっちゃうぞって。
 以前から僕は「続編は描かない」と言ってきました。だから最初は断ったんです。でも市原が、「一回だけ取材に行きましょう」としつこいから、明青学園の校舎のモデルとなった母校の前橋商業へ行ってみました。そしたら校舎から何もかも変わっていて、まったく新しい場所になってた。それを見ていたら、この時間の変化のようなものをなんとなく描けるかもしれないと思ってしまった。じゃあ、少しは自分が力になれる間は、やっておこうかなと思って始めました。〔参考文献1〕

「描いてくれるんですか? そんな野暮天はいけない。」という部分はあだち充の性格を市原がよくわかっている描写に見える。おそらく、そこで「描いてくれるんですか?」と聞けば、あだちは『MIX』となる作品を描かなかっただろう。
粋であるかどうか、言わなくてもわかるという江戸っ子的な気質はあだち充が影響を受けている落語や好きな落語家である立川談志や三遊亭圓生や古今亭志ん生たちの振る舞いを思えば、聞かなくてまさに大正解と思ってしまうものだ。
本筋とは関係ないが、『MIX』において主人公の立花兄弟の両親がデートで落語を見にいくシーンがある。演芸場に置かれているめくりには「胡麻」とあり、頭を下げて舞台から下がっていく落語家の姿は『虹色とうがらし』の七兄弟の長男である落語家の胡麻と少し似ている、まさに「あだち充劇団」とも言える。そもそも「あだち充劇団」と揶揄もされるほとんど顔がかわらない登場人物たちは「漫画の神様」と呼ばれた手塚治虫が用いた「スターシステム」の系譜にあると考えた方が理解しやすい。

上記の引用はどちらも『あだち充本』からだが、前者は市原武法へのインタビューの部分からの引用であり、後者はあだち充への全作品徹底解説の『MIX』部分からの引用である。
どちらとも読むとわずかな話のズレが感じられなくもないが、それぞれの人物の視点からの出来事であったり、記憶というものは当然ながらまったく同じではないし、見て聞いたものもまったく同じということはない。
たとえば、自分が話したと何十年も信じていたものが、当時の日記や書き残されているものやその場にいた人の証言から、実は他人が話したことを自分が言ったものだと思い込んでしまっていたということは起きうる。それはノンフィクションやドキュメンタリー作品ではよく出てくる事柄だろう。どちらが間違っているわけではなく、どちらも自分にとってはそれが正しいと覚えている当時の風景や記憶である。人は記憶を書き換えたり、忘却していく生き物でもある。世界は生きている(生きてきた)人たちそれぞれに存在すると言われるのもそれ故である。

この連載でも資料として非常に参考にさせてもらっている『あだち充本』はあだち充が全作品についての解説という、当時のことを思い出して語っている証言がとても貴重な一冊になっている。そしてこの連載でも何度も名前を出してきた担当編集者たちもあだち充担当編集者時代や彼との関わりをインタビューされて掲載されている。そのことで漫画家と担当編集者それぞれに見て感じていたことがわかり、同時に同じ出来事でもそれぞれの考えや記憶にも多少の誤差のようなズレがいくつか見られる。一方だけではそれがある種の真実として信じられてしまうが、双方であれば重なる部分と重ならない部分が出てくる。私個人としてはその方がよりリアルだと感じるし、漫画史に残る重要な証言となっている。

 市原が様々なメディアのインタビューを受けてくれて、言葉を選んで、「タッチ」の続編とは一言も言っていないはずなんだけど。改めて、「タッチ」という漫画のすごさを思い知りました。「タッチ」で育った連中が騒いでくれる年齢になって、それぞれのメディアで偉くなって取り上げてくれたんですね。〔参考文献1〕

『タッチ』の連載最終回を中学生一年の時に読んだ市原武法が、あだち充好きだからと記念受験とした小学館に受かって「少年サンデー」に配属され、三上信一からあだち充の担当編集者を任されたということがまさに運命だったとしか言いようがない。そして、思春期に自分に影響を最も与えた漫画『タッチ』と同じ舞台で、あだち充に「明青学園を、もう一度甲子園に連れていってください」と言えるほどの関係性と信頼を市原が得ていたことが非常に大きかった。

漫画家や小説家で才能豊かで若い時期にデビューした作家がずっと第一線にいても、ある時期から仕事がなくなると言われることがある。それは共に戦ってきた同世代や上の世代の編集者たちが30代から40代にかけて編集長などの管理職となっていき、現場にいなくなってしまうことが大きく影響している。
もちろん第一線にいる作家には後任の担当者がついて作品を一緒に作っていくのだが、その辺りの関係性や同世代ではないとわからない皮膚(時代)感覚のようなもののズレも影響していき、徐々に第一線から離れていくということが起きうる。
だが、第一線級の作家がある時期から見なくなったり、ヒット作が出なくなっても何年か十数年のインターバルを置いて再び作品を見たり、名前を聞くようになって復活したと感じることが時折ある。それはかつての読者やファンだった世代が出版社などに就職して編集者となっていることが多い。かつて憧れていた作家と一緒に仕事をしたいと編集者が望むことがうまくプラスに作用して作家に新たな力を与えて再生させることで、第一線に戻ってくるというものだ。
あだち充と市原武法という関係はまさにこの影響を与えた作家と影響をかつて受けたファンが編集者になったという構図の大成功パターンだと言えるだろう。

映画関連でいえば、何作もヒット作をプロデュースし、自身も小説を執筆して映画監督もするようになった東宝映画の川村元気が思い浮かぶ。川村元気原作の映画『世界から猫が消えたなら』の作中に出てくる映画館に岩井俊二監督『花とアリス』のポスターが貼られており、公開時に少し気になっていた。
その後、岩井俊二監督の初期の代表作『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』(ある世代の映画監督が作る作品において深夜のプールに忍び込むシーンを入れたがるのはこの作品の影響が大きい)のアニメ映画を川村元気が企画・プロデュースしている。そして、岩井俊二監督の名作『Love Letter』(韓流ブームに火をつけることになった『冬のソナタ』はかなり『Love Letter』の影響を受けたと思われる箇所が随所に見られる。また、岩井俊二監督は現在でも韓国と中国では圧倒的な人気を誇る日本の映画監督である)のアンサー的な要素を持つ『ラストレター』を川村元気が企画・プロデュースを行なっている。
川村は『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』が岩井俊二監督作品でいちばん好きで完璧な作品だとあるインタビューで語っていた。このようにかつて影響を受けた世代によって、影響を与えた側がフックアップされる(一緒に仕事をするようになる)ことで、彼らを知らない若い世代にもその名前や作品たちが知られ、当時のファンも戻ってくることの相乗効果が起きるということは漫画や小説や映画などでは度々起きており、リバイバルヒットもそういう中で起きやすくなる。その意味では同世代に圧倒的に受けるよりも、下の世代に影響を与えられる人はおのずとして活動期間が長くなっていくとも言える。
熱心なファンであり自分の作品を愛してくれていた相手との仕事は、やはり作家の心を鼓舞するはずだ。そこにはある程度の年齢差があることも重要になってくるのだろう。もちろん、それも諸刃の剣的な要素はあるので、思いが強すぎてぶつかってしまい作品が失敗する可能性もあるが、『MIX』はそれがうまく作用したからこそ実現した作品となっている。
そう考えると「続編は作らない」と宣言していたあだち充が『タッチ』と同じ明青学園を舞台にした『MIX』を描くことになった経緯自体がかつてのあだち充自身でもあると言っていいのではないだろうか。