本日のメルマガは、EN TEA代表・丸若裕俊さんとPLANETS編集長・宇野常寛との対談連載「ものの茶話」第1回をお届けします。
「茶」や「工芸」といった日本の伝統文化のアップデートを志す丸若さん。この対談では丸若さんが出会った伝統的な「道具」の魅力を紹介、それらを現代人が使う意義について宇野常寛と語り合いました。
(構成:徳田要太)
「もの」を通して日常の「間」を楽しむ
宇野 これまで僕と丸若さんは対談連載「ボーダレス&タイムレス──日本的なものたちの手触りについて」を通して、「喫茶」というものの再定義についてずっと話してきています。そして昨年に創刊した雑誌「モノノメ」ではお気に入りの「もの」について語る連載もしてもらっています。これは、丸若さんが茶と工芸、ふたつの領域にまたがる活動をしていることの表れなのだけど、ここでは後者の「もの」について考えることを、これまでとはちょっと違ったかたちでやってみようと思っています。「モノノメ」の連載はコンセプトをかっちり固めてやっているのだけど、こちらは肩の力を抜いて、単に丸若さんが心惹かれたものについて、僕が聞き手になって深堀りしていくという形式でやってみたいと思います。
丸若 改めて本日はよろしくお願いします。お相手が宇野さんなので、真面目なことをいろいろとお話ししようかと思ったんですけれど、今日は逆に宇野さんに甘えて、いつもの自分の感じを届けられたらいいかなと思っています。
宇野 そうですね、普段着でいきましょう。ちなみに丸若さん今日はどんなことをされていたんですか?
丸若 「お茶のメーカーを運営している」というと「普段何をやっているんだ」と気になると思うんですが、社長室にいてパソコン作業をこなしているのかというと、全然違っていて。今はコロナ禍だから控えめにはしていますが、基本日々どこかに移動しているんです。今日は高知県にいて、一日中銘水を探していました。
宇野 探すって、水源を探して汲みにいくとかいうことですか?
丸若 そうそう。湧き水がある場所を地元の詳しい人たちに聞いていました。なぜこんなことをするかというと、やっぱりお茶をおいしく飲むためには水が大切だからです。あるいは今日も道中でいろいろな人との出会いがあったわけですが、今日ご紹介する道具などは、やはり人との出会いを繰り返すなかで生まれた思い出が詰まっているものでもあります。
宇野 なるほど。当たり前のように東京にいるものだと思ってたから、まさか高知にいるなんて思わなかったですよ(笑)。
丸若 EN TEAというプロジェクトをするなかで、お茶に表現をこめるために、いろいろな人に出会ったり、旅だったりをしてさまざまなことを吸収しています。今日お話しする「道具」というのも、自分の人生の中でいつも大切にしてるものです。そういった、普段EN TEAではなかなか伝える機会がないことを、この場でお話しできたらいいなと思っています。お茶でも飲みながら、茶話程度な雰囲気で、かなりニッチだと思うんですけれど、一緒に楽しんでもらえたらなと思います。
宇野 本題に入ろうかなと思いますが、今日丸若さんには二つのものを持ってきてもらっています。一個ずつ紹介してもらって、そこからお話を広げていけたらなと思っています。
丸若 では最初に紹介するものですが、これ何かわかります?
宇野 曲げわっぱですか?
丸若 さすが宇野さん。
宇野 一応、東北出身なので……。
丸若 秋田県にある秋田杉でできた曲げわっぱで、これはお弁当箱なんです。多くの方が知っているお弁当箱の形は、「小判型」と言われるもう少し背が低いものをイメージすると思うんですけど、僕が今日ご紹介するのは「きこり弁当」というタイプのものです。もちろん宇野さんは持ってないですよね?
宇野 持ってないですね。僕には弁当を家で作って持ち歩くという習慣がまったくないので。
丸若 実は僕もそうで、弁当を持って出歩いたりはしないんです。じゃあなんで紹介したかというと、少し見方を変えるとこれはおひつとして使えるからなんです。今日はこのおひつの話からしたいなと思っています。もちろん僕は、昔の日本に良いものがたくさんあったと思っていますが、一方で今でも使えるものと使えないものはやはり明確にあると思っています。それはデザインの問題ということ以上に、用途の問題であると思うんですよね。そもそも生活習慣がその道具を前提とするものではなくなってしまったということです。たとえば現代では炊飯器を使えば簡単にお米を炊くことができますが、実は本当に美味しくご飯を食べるには炊いた後にもう一手間加える必要があって、そこで使われるのがおひつなんです。炊きあがった瞬間はもわっと湯気が立ってお米一粒一粒はつやつやしていますが、お米にとって本当に良い状態にするためには、その後でおひつの中に入れて温度を冷ましつつ、無駄な水分をならしていく必要があるんです。
宇野 43年間生きてきていま初めて知ったんですけど、あのつやつやの状態がベストなわけではないんですね?
丸若 そうなんですよ。もちろん今の炊飯器の中にはそれに限りなく近い状態にできるものもあるんですけれど、やっぱり本来の状態はおひつでこそ出来あがります。ただおひつというと、お寿司屋さんでちらし寿司を作るときのようなものがイメージされますが、あれを所持するのはさすがに難しい。そうなったときに、同じ機能を果たせるのがこの曲げわっぱなんです。僕はまずごはんを炊いた後、この中にお米を入れておくんですよ。それで10分から20分くらい待っていると、この中でちょうどいい状態にしてくれます。木材でできているというのがポイントで、余分な水分を取って温度を一定にしてくれるんです。それを昔の人は生活の知恵で知っていたんですね。実際に食べてみるとびっくりしますが、冷めていてもお米がべちゃべちゃにならないで本当に美味しいんです。現代人は忙しくて毎日は使えないかもしれないけれど、こうして家の中で少しひと手間加えるだけで生活が楽しくなります。白米が好きな人にはこの
柴田慶信商店さんというブランドがおすすめで、使っていて愛着が沸きますし、かれこれ20年近く愛用しています。
宇野 20年はすごいですね。丸若さんはその曲げわっぱがおひつの代替品になるということを知ってて買ったんですか?
丸若 僕はやっぱりまず視覚的なものに惹かれるので、最初は見た目だけで選びました。後から、昔の使われ方と今の用途とでは明確に合致しないかもしれないということを考えたり調べたりするなかで知りました。
宇野 おひつって、やはり昔の大家族の時代の、基本三世帯以上が住んでいて子供も複数いるような家庭で使われていたから、大きいサイズが多いですよね。だからたぶん曲げわっぱをおひつ替わりに使うとしたら、今の一人暮らしか二人暮らしの家庭が一番多いわけで、そうしたときに曲げわっぱを作っている職人たちは考えていないと思うんですけど、結果的にすごくちょうどいいサイズに収まってますよね。
丸若 それが、現代と昔の用途を照らし合わせてもののとらえ方を変えていく楽しみですね。作り手の人たちと知り合ったことで、「こういう使い方もいいんだ」ということを知るようになりました。なぜこれを使っているかというと、やっぱりお茶を作っているので「お茶漬け」にすごく興味があるんですよ。「どうやって冷や飯を作るか」と考えたときに、やっぱりこのおひつで作った冷や飯でお茶漬けにすると、全然味が違うんです。
宇野 ちなみに丸若さんはさっきデザインに惹かれたと言いましたけど、このデザインだったら現代のクリエイティブクラスに支持されがちな、シンプルなスタイルとも非常に調和しますよね。
丸若 そうですね。そこがおもしろいんですよね。「きこり弁当」と言われるくらいなので、きこりの人たちが使っていた弁当箱なわけです。だからそこにデザイナーもいなかったし、ましてやトレンドもない。使いやすさと丈夫さだけが追求されていて、そしてそこに柴田慶信商店さんの美意識が乗っかって結果的にこういうデザインになっています。非常に偶然的、奇跡的に生まれているものだと思っているんです。
宇野 この道具を使うことのポイントは、ひとつ「間を置く」ということじゃないかと思うんです。僕なんかは炊飯器からごはんを直接山盛りにしてがっつきがちなんだけれど、そこにあえて一回おひつに移すという工程を挟む。そこの一拍置く、一段階挟むことの豊かさをどう捉えるかが大切だと思います。
丸若 最近禅が少しブームになっていますけど、僕もああいうものに触れるときに思うことがあります。現代の人たちは、あらゆる情報を頭(理性)で処理しようとしてしまっている。昔は、昔から日本語でも「腹を立てる」とか「腹を割って話す」「腹が座ってる」などと言うように、やっぱり感覚知的なものはおへその上あたりにあるというふうに考えていたから、理論知と感覚知は分離していたと思うんですよね。そこにはしっかり「間」が存在していた。だけど現代ではその間がぎゅっと潰されてしまっている。豊かさというものも、すごく表面的なところで得ようとしているけど、実はいろんなところに散らばっているものだと思います。
宇野 ぜいたくな時間を過ごす、豊かな時間を過ごすといったときに、とりあえず効率よく何かを吸収するとか、手っ取り早く何かを片付けていくという方向に意識が向かいがちだと思います。でもそれは一見時間を節約しているように思えるけれど、結局切り詰めた時間でまたすぐにコストパフォーマンスの良い作業をこなしていこうとしてしまって、それを無限反復していくだけだと思うんですよね。だから豊かな時間を過ごそうと思うんだったら、そういった、手っ取り早く何かを時短的に処理していくということから背を向けなきゃいけないと思うんですよ。そう考えると、せいぜい口の中にごはんがある数十秒なんだけど、その数十秒を味わうために、一回おひつに移して冷やす・蒸らすといったことを考えることが、自分で自分の生活時間を豊かに演出するための最初の一歩になる気がするんですよね。
丸若 そうなんです。結局一日というのはあっという間に終わってしまって、できることなんて限られている。人間の一日なんて無駄だらけだと思うんですよ。だから、たとえば一個二個手間を増やすことで何かが大きくロスをするかというと実は違っていて、「わざわざ」をすることによって、むしろ整理される。ちょっと隙間を与えると、脳は自動的に情報を整理しようと動いてくれるわけです。そういう実感を得られる時間が必要だと思います。
たとえば道具選びもそういう感覚で選んでいいと思うんですよね。今日紹介するものは二つともそうなんですが、そのものが育っていくというか、時間の経過と共に変化する期間を感じられるものが良いと思います。ものがある種の魂を持っているようにも感じられて、それと触れ合っているといろいろな学びがあります。この弁当箱も最初買ったときの色とは変わってきていますけど、それがいい風合いだな、とか。
宇野 この柴田慶信商店さんというブランドは、職人さんならではのアプローチで、曲げわっぱというものを、伝統を引き継ぎながらも現代の感性に合うように提供できていると思います。そのあたりの柴田さんのアプローチについて解説していただきたいのですが。
丸若 僕が柴田さんとお付き合いするようになったのはけっこう前です。そのとき柴田さんたちがこの曲げわっぱを心から愛していて、本当に美しいものだと思って接してるんだということがわかったんですよね。丹念にひと手間加えることの積み重ねで、木の弁当箱がここまできれいになるんだな、と。具体的なポイントとしては、天板と側面の角度が少しだけ丸みを帯びているんです。これがあるかないかで表情ががらっと変わるので、今後柴田さんの品を見ることがあったら、ここの部分に注目してみてほしいです。個人的にはこの部分にかわいらしさを感じてすごく好きですね。
でもこのデザインができるにあたって、何か若い感性が入っていたのかというと、実はこのスタイルを築いた方は、バリバリ昔の秋田弁を話す僕よりずっと年を重ねている方で、東京の文化がどういうものなのかということを想像すらしていないと思うんですよね。もちろん世界中から声がかかっていて、東京にも来る機会があったけど、どこであろうとスタイルは一貫している。どこのホテルでも同じように作業をしているし、やっぱりものと向き合っているんですよね。
一般的な曲げわっぱとの違いがどこにあるかというと、言ってしまえば「曲げわっぱを曲げわっぱでなくした」というところです。たとえばさっきお話ししたように角を取ったり、目の細かい良い秋田杉を選んだりと、形だけ見れば至ってシンプルなんですが、よくよく見ると、柴田さんの品は「それ柴田さんのですよね」ということがみんなわかります。また、ほとんどの商品が木材に塗装をせず白木のまま作られているので、本当にごまかしがきかないというか、手触り的にも自然物のまま作られている。そういう細かいところの積み重ねで、柴田さんならではの曲げわっぱになっているんですね。
生活様式に根付いた「もの」
宇野 ありがとうございます。では次の品を紹介していただけますか?
丸若 さっきは木材のものを紹介しましたが、今度は焼きものです。僕自身、お茶をはじめとする伝統工芸と言われるものに興味を持つようになったきっかけが焼きものなんです。日本って、本当に世界に誇る焼きもの大国で、これだけ多くの産地があって、これだけいっぱい湯呑みを見かけるところはない。少しわかりにくいかもしれないんですけど、画像を用意しました。
▲東屋さんのジューサー「恋ひとしずく」(出典)
宇野 これは上から見た写真ですね。これだけ見るとZZガンダムの頭部に少し似ていますが……。
丸若 さすがですね。宇野さんの見立ては(笑)。残念ながらこれはガンダムとは関係なく、ジューサーなんです。焼きものというとどうしてもやわらかいフォルムが多いんですが、これはすごくシャープなんですよねこの上部の突起物で半分に切った柑橘なんかを絞るわけです。