滋賀県のとある街で、推定築130年を超える町家に住む菊池昌枝さん。この連載ではひょんなことから町家に住むことになった菊池さんが、「古いもの」とともに生きる、一風変わった日々のくらしを綴ります。今回は住まいのある滋賀県から奈良県への小旅行記です。アート作品や神社仏閣に触れる中で、古代から現代に至る人の流れに思いを馳せます。
菊池昌枝 ひびのひのにっき
第6回 朔風払葉(きたかぜこの葉をはらう)
滋賀から奈良へのブラまさえ
2021年は厩戸の皇子遠忌1400年にあたる。山岸凉子の漫画『日出処の天子』をオンタイムで読んだ真性厩戸(常に「ウマヤドの」と言う)ファンな私。実は夏には国立博物館で聖徳太子遠忌1400年記念展にも行った。我が家のある琵琶湖東のあたりは『万葉集』で知られる「蒲生野(がもうの)」という古名で呼ばれるところがあり、近所にある正明寺は聖徳太子創建と伝えられている。自分が滋賀に引っ越してくるまで、よもや近所に厩戸由来のお寺さんがあるとは思いもよらなかった。奈良と湖東にどんな関係があったのだろうか。
奈良時代に蒲生野と言われた場所は正確には特定できないが、おそらく我が家のあるこのあたり一帯のはずで、万葉集には天智天皇の蒲生野での遊猟(薬猟)に同行していた大海人皇子(後の天武天皇)が額田王に詠んだと言われる和歌(返歌)があり、飛鳥京、大津京、蒲生野と奈良と滋賀は繋がっているのだ。
紫草のにほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに われ恋ひめやも
(大海人皇子・『万葉集』)
加えて天智天皇時代の白村江の戦いのあと渡来してきた百済人が数百人ほど蒲生野に移り住んだとも言われている。奈良とこのあたりの地理や歴史が日々の暮らしの中にも関わってくるのであれば、これは嬉しい限り。というわけで奈良に行こうと思い立った。
滋賀県は『古事記』の頃から「近つ淡海」(湖のある畿内に近いところ)と言われ、いつの時代も交通の要衝であり、東西は関東から京都、北陸からの道、伊勢からの道。滋賀を通らずして行かれんだろうという感じで、中世からつい最近まで近江商人を排出していたりと、滋賀県で話題に事欠かないエリアの一つだ。
そんな遠い昔の土地の何層あるか数えきれない記憶の宝庫滋賀県から、これまた国宝の宝庫奈良県に1泊2日の小旅行。首都圏から新幹線で向かうのとは一味違う風景を見ながらの旅路で、いつもとは感覚が全く違ったので共有したい。家を出発してひたすら広域農道のような道を南下すると、前日まで雨の朝だったこともあり、田畑からもうもうと地霧(湯気)が立ち上っている。この風景はとてもダイナミックで自然の近くにいないと観られない風景だ。
朝霧のたなびく田居に 鳴く雁を 留めえむかも 我が宿の萩
(光明皇后・『万葉集』)
▲町内の早朝の田畑の様子。朦々と立ちのぼる地霧に圧倒される。
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