今朝のメルマガは、『宇野常寛コレクション』をお届けします。今回取り上げるのは2019年12月公開の映画『男はつらいよ お帰り 寅さん』です。
かつて昭和を代表する定番の人情喜劇だった「男はつらいよ」シリーズ。寅さん役の渥美清の死去で1997年に途絶したシリーズの22年ぶりの新作にして「完結編」となる本作は、21世紀となった現代を舞台に、小説家となった寅さんの甥っ子・満男を主人公に据えて製作されました。「寅さん」の不在が象徴する、平成の日本が「失ってしまったもの」とは、いったい何だったのでしょうか。
※本記事はnoteでの有料マガジン「宇野常寛の個人的なノートブック」で配信した内容の再録です。
宇野常寛コレクション vol.28
「寅さん」のいなくなった日本
正月に、ふと思い立って『寅さん』の映画を観てきた。これはシリーズ50周年を記念して制作された、『男はつらいよ』の完結編と言える映画だ。僕は亡くなった父が『寅さん』のファンで、小学生のころよく週末にレンタルビデオで旧作を観ていた。もちろん、もう30年以上前の記憶なのでかなり不確かになっているが、少なめに見積もっても10本から20本は観ていると思う。
ただ、子供の頃に観ていただけなので平成に入り渥美清演じる寅さんではなく吉岡秀隆の演じるその甥っ子の満男が事実上の主役になっていったことも、その背景には渥美清の体調悪化があったことも知らなかった。そういえば満男と泉の恋愛が中心になっている作品もあったな、くらいの感覚で満男と後藤久美子の演じるその恋人の泉との関係がどう帰着したのかも知らなかった。
そんな僕がこの映画を見に足を運んだのは、別の映画を目当てに劇場に足を運んだときに目にした予告編が気になったからだ。現代を舞台に、40代になった満男が作家になり、そして彼とは結ばれなかった(という設定が加えられた)泉と再会する、という概要をそこで知ったとき僕は「あれ?」と思ったのだ。
僕は『男はつらいよ』にそれほど明るい人間ではない。しかし、それなりにシリーズを見てきた上で考えると、『男はつらいよ』とは葛飾柴又に暮らす昭和の大家族が世代を経て戦後的な核家族に移行していく過程を、そのどちらにも加わることのできない寅さんというアウトローの視点から描いた作品「でも」あったはずだ。
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